京都盆地の暑い夏も終盤、慈照寺銀閣は秋の風が吹き始めました。足利義政が東山に築いた別荘でした。金箔の鹿苑寺に対して、こちらはいたって質素、おちつきます。義満が築いた金閣を象徴する北山文化、幕府の財が富んでいた時代でした。幕府の財政が枯れてきた義政の時代、乏しくなった財の中でわびさびの境地が生まれてきました。そして、昼よりも夜の美に焦点が当たる時代に。ここで月を見たらどんな風景になるのでしょうか。銀砂の庭が月の光でどのように輝くのか。光と影はここにどんな小宇宙を投影するのでしょうか。
京都大学教授和辻哲郎が愛したという哲学の道。ここを歩くと思索が深くなります。紅葉が落ちて小径にも水路にも赤や黄色に染まっています。桜の下には真っ白な彼岸花が咲いて、京都の秋は深まっていきます。
哲学の道の途中で見つけたおそば屋さん。山菜蕎麦をいただきました。味付けは薄味です。これが京のお味。関東のお味が濃いのは、江戸を開拓する労働者に味の濃いおかずでご飯をいっぱい食べさせて力仕事をさせるため。それに対して京都は、薄味で奉公人のご飯を節約させるためだったとか。どちらも白けたネタですが、ここのお蕎麦は上品な味がします。
程なく歩くと、南禅寺に着きました。アーチ型の水道が大門の右にあります。その下を和服姿の婦人がはんなり歩いている姿は、ここが京都なんだと。着物を着る文化がここでは生きています。レンタル着物のお店があるので着物で京観光もハードルは低くなるのかも。
清水寺に来ました。銀閣寺から南禅寺へは、人も少なめでのんびり。ここは京都の表のようなにぎわいです。修学旅行生達が、足早に次の見学地に。清水寺、京都国立博物館、金閣寺、太秦映画村とハードスケジュールのよう。もちろん動く教室なので学習の一環ですから仕方ないけど。みんな真剣に解説に耳を傾け、メモしながら質問する姿はこれも秋の京都の風景なのかも知れません。
それにしても秋の京都は、頭を空っぽにして時計なんか気にせずに、行きたいところにいたいだけいる気ままな一日を過ごしたいものです。人も少なめで静かな京都が自分には似つかわしいかな。