明石と言えば、明石焼き。具がタコなのでたこ焼きかと思っていたら、ふわふわで柔らかい。それを出汁湯につけて食べる。これが明石焼きらしい。15個も食べられるかと思いきや完食した。結局、今日の昼食はこれになった。商店街は平日なのに賑わっている。おじさんが煮タコを楊子に刺して、通っていく人に配る。通行人は足を止める。おばさんが声を掛ける。だれもが一品を買っていく。これがいつもの風景なのだろう。夫婦の絶妙の連携がこのお店を支えてきたのだろう。
明石駅から北に歩いて行くと商店街になっている。すごいにぎわい。瀬戸内の海の幸をどの店でも売っている。売っているものも面白い。品数も種類も多くて、買ってしまいそうな衝動になる。アーケードからぶら下がっている大漁旗の色が鮮やかで財布のひもを緩くしてしまう。
明石城には堀が巡らされていて、白鳥が1羽泳いでいた。一体どこから飛んできたのか。その横には真っ黒な1メーターほどある鯉が群れをなして泳いでいる。誰かがクッキーを投げ入れた。鯉の口が水面に一気に現れた。一つのクッキーに五十ほどの口が殺到する。お堀の世界は街の雑踏とは違った世界になっている。堀の中では生きるためにしのぎを削る世界が繰り広げられている。坂を上っていくと天守台に突き当たる。何があるわけでもない。城は展望台になっていて街全体を見渡すことができる。明石海峡大橋が見える。向こう岸は淡路島だ。
三時になった。侍が出てきた黒田節を踊り出した。と言ってもからくり時計。からくりは工業用ロボットで何とも優雅に舞を舞う。ここで黒田節を踊っているより、自動車工場にでも行って、車の車体を溶接している方がこのロボットには似合うように思われた。
そもそも明石に来たのは、おばさんに会いに行くためだ。崖の下の小さな平屋に住んでいた。裸電球の下で三人の幼児が木戸から出てく。「もうご飯だよ。」と母の声が聞こえると、みんなは家の中に入っていった。半世紀以上前の高度経済成長時代前夜の風景。今はマンションが建っていて、そんな面影はみじんもない。働けば豊かになった。洗濯機・冷蔵庫・炊飯器が手に入った。クーラー・車・カラーテレビがどの家にもやって来た。豊かさが目に見えて、日本の成長が体感できた。ここに来たのはそんな小さいときの思い出を見つけに来たのだろう。人はどこかに聖地を持っている。たまには日常を離れて巡礼をしたくなるのかも知れない。白髪のなったおばさんは、同じことを繰り返す。優しい人は、年を重ねるとますます優しくなるんだと思った。
神戸は面白い街だ。メリケンパークの夜景は豪華で美しい。今日は六甲アイランドに泊まった。ここは静か。六甲山の北南斜面は小さな点々で覆われいる。その一つひとつの煌めきが家の光や街灯なのだろう。六甲ライナーが高架の軌道を走り抜けていった。ここから見える夜景は細かな点の集まりしか見えない。それを見ているとそれが面白く見えてきた。メリケンバークの電飾は豪華で目を見張る。若者達がスケボーを担いで集まってくる。舟の音や電車のけたたましい音が聞こえる。同じ町なのにこんなに違いがあるとは。
お風呂に入った。赤茶色の濁った湯船に入ると少しぬるい。長湯をして出ると、汗が噴き出してきた。石川県の和倉温泉を思い出した。こんな埋め立て地に本格的な温泉が出るとは。強い塩泉は肌をつるつるにする。冬の乾燥肌が一夜で治ってしまった。