人はなぜ出雲に向かうのか。ここに来るとそんな素朴な疑問が湧いてくる。それでは、なぜ伊勢に向かうのか、熊野に向かうのか、それと同じことだと思った。梁塵秘抄に「熊野に向かうとて、伊勢路・紀路どれ近し、どれ遠し。」という問いかけがある。熊野三山に行くには、和歌山ルートと伊勢ルートとどちらが京から近いか。答えは簡単である。梁塵秘抄はそれに続いて、「広大慈悲の路ならば、どちらの路も遠からじ。」と結んでいる。仏の憐れみの路だから、どちらも遠くはないと。本殿の傍にある巨木には、たくさんのおみくじが結ばれている。一つひとつがご縁を求めて神に願いをかける。
大社の横には歴史博物館があり、大林組が建てたジオラマがある。今の本殿の高さもさることながら、実際の高さは49mになるという。柱の発掘から導き出された高さだ。大国主が国を譲った代わりに、神として祭られるにはこんなにも格式を上げて祭られなければならなかったのだろうか。大国主が国を譲らなければ、数世紀は戦乱の世となり、血みどろの世界になっていただろう。大国主が神となり、人々が土肝を抜くような社を建てたのは、国譲りの代償であった。大国主は国譲りをする前は大己貴(おおなむち)であった。彼は国を譲ることによって大国主(おおくにぬし)となった。ここには国を譲ることによって稲作を東国に伝え、新しい国作りをするという究極の選択がみてとれる。小を捨てて大をとる。その選択は豊かな大和国家をつくるために通らなければならない通過儀礼であった。
国を譲ることは、東国への稲作文化の橋渡しをすることであり、見知らぬ人々と縁を結ぶことにつながる。80人もの兄の生活グッズを一つの袋に入れて、兄たちの後からのこのこやってくる大黒様。どこまでも人がいいのか、自分のことはさておいて人に譲る精神が見て取れる。サメをだました白ウサギは予言する。「美しいお嫁さんを得るのは、兄さん達ではなくて、大国主だ。」と。
今日も人々は大社にお参りにくる。淡々と時間は過ぎていく。縁結びの神様なのだから、そんな風景は当たり前なのかも。ご縁を求めることは、大国主のように自分のことはさておいて、人に一つ譲ることなのではないだろうか。譲ることは損をするようにも思われる。でも、その譲りからご縁ができて、新しい関係が結ばれ、それが豊かな生活につながるような気がしてきた。兄の生活グッズを袋に背負って譲り、白ウサギに出逢ってお嫁さんと出逢うことができた。白ウサギの予言がなければ、素戔嗚尊の妹と結ばれることはない。その過程でさえ、荒ぶる素戔嗚尊にどれほど譲ったことか。そして、国を譲ることによって、東の国に稲作を伝え、人々の生活を豊かにした。縁とは人と人を結んで、生活を豊かにしていくことなのだろう。
人はなぜ祈るのか。人はなぜつがうのか。人はなぜ出雲に向かうのか。そんなことはよく分からないけど、ここに来るとそれが自然に理解できる。理解できると言うよりも大国主の考え方がすんと腑に落ちるという感じだろうか。もともとそんな問いかけの答えなんかあるはずもない。たとえそれが言葉になったとしてもむなしい気がした。なぜなら、その答えは、そこに大国主がいらっしゃるからだ。大国主の存在そのものが、答えになっている。
伊勢神宮は、日本国家の源と社会のルーツを否応なしに考えさせる聖地である。そして、出雲は、人と人の縁、稲作の伝播を考えさせる聖地であった。そのルーツは大黒様の譲りの精神と優しさから来ているような気がした。中世、蟻の熊野詣でと言われるように人々は熊野に向かった。近世、おかげ参りが伊勢に人々を向かわせた。出雲は不思議な場所だ。それは大和民族の遺伝子の奥深くに流れている精神風土、魂そのものなのかも知れない。今日も出雲は縁を結び、未来を豊かにする営みが捧げられている。大国主がそうしたようにそれは古代から今日までずっとそうしてきたし、これからもそうしていくのだろう。