群馬大学の片田敏孝先生のお話を聞いたことがあります。先生は、釜石市や尾鷲市で子供たちに防災教育をしている方です。その成果は、東日本大震災の当日に「釜石の奇跡」として生きました。講演の題名は「想定外を生き抜く力 大津波から生き抜いた釜石の子どもたち、その主体的行動に学ぶ」です。2時間のお話の中で皆さんにも伝えておきたいことがあったのでメモしてきました。それは避難の三原則です。
1 想定にとらわれるな。
釜石市が作成したハザードマップ(危険箇所を示した地図)では、赤や黄色で塗られていた危険箇所に住んでいた人達は避難して無事だった。千人の死者行方不明の大半は危険箇所に指定されていなかった所で出た。どんな規模の災害になるか分からない。
釜石市が作成したハザードマップ(危険箇所を示した地図)では、赤や黄色で塗られていた危険箇所に住んでいた人達は避難して無事だった。千人の死者行方不明の大半は危険箇所に指定されていなかった所で出た。どんな規模の災害になるか分からない。
2 最善を尽くせ。
何が起こるか分からない。安全なところはどこにもない。自分がより安全と考えるところまで逃げるだけ。津波なら少しでも高いところに避難する。これで助かるという保障はない。やるだけのことをやる。
何が起こるか分からない。安全なところはどこにもない。自分がより安全と考えるところまで逃げるだけ。津波なら少しでも高いところに避難する。これで助かるという保障はない。やるだけのことをやる。
3 率先的避難者であれ。
自分が生き残らないと、他の人を助けることができない。自分が逃げれば、みんなも逃げる。釜石の子どもたちは、親が迎えに来るのを待たなかった。家の人も必ず避難していると思って逃げた。お互いを信じ合っていたから、どちらも助かった。
自分が生き残らないと、他の人を助けることができない。自分が逃げれば、みんなも逃げる。釜石の子どもたちは、親が迎えに来るのを待たなかった。家の人も必ず避難していると思って逃げた。お互いを信じ合っていたから、どちらも助かった。
3月11日、そのとき子どもたちはどう行動したのでしょうか。左下の地図は釜石市鵜住居(うのすまい)地区です。駅から河口に近いのが中学校です。地震が起こると教頭先生がマイクで避難を呼びかけました。そのときには、もう中学生達は避難を始め、近くのお年寄りに声をかけながら走っていく姿が見えたと言います。中学校よりも標高が高い小学校は耐震性の新しい校舎です。しかも、ハザードマップでは安全地帯でした。中学生は小学生に声をかけて一緒に避難しました。さらに標高が高い「ございしょの里」の高齢者の方にも声をかけて、一番上にある「やまざき」の作業所に避難しました。その30秒後、中学校も小学校も、下にある社会福祉施設も津波に襲われました。ハザードマップでは全部安全地帯と考えられていた場所です。最後に逃げてきた子どもたちは足元をすくわれそうになったそうです。こうして600人の子どもたちは助かりました。子どもたちは、自分から判断して行動しました。ここなら安全と気を抜かないで、できる限り高いところに避難しました。これが「釜石の奇跡」を生みました。それでも5人の子どもたちがなくなりました。当日欠席していた子ども、早退した子ども。もう一人は、リヤカーでお年寄りを助けに行った一人の中学生です。
片田先生は、これでよかったのか、正解はないと話されました。600人の子どもは助かった。でも、5人の子どもは津波の犠牲になりました。しかし、子どもたちは、よく生きた。そのとき、できる限りのことをした。この教訓を、これから全国の街で生かしていきたい。片田先生は尾鷲にも十年ほど関わってみえます。災害の犠牲者をゼロにするまで、研究を続けると仰いました。
南海トラフの巨大地震が起これば、マグニチュード9の地震が起こり、尾鷲には17mの津波が来ます。そのとき、私たちはどう行動するでしょうか。想定にとらわれないこと。安全と言われていても、安全なところはどこにもない。その時は、その時で最大限のことをやる。とにかく逃げること。自分が生き抜いて助かること。すべては、そこから始まるのだと思いました。
片田先生は、これでよかったのか、正解はないと話されました。600人の子どもは助かった。でも、5人の子どもは津波の犠牲になりました。しかし、子どもたちは、よく生きた。そのとき、できる限りのことをした。この教訓を、これから全国の街で生かしていきたい。片田先生は尾鷲にも十年ほど関わってみえます。災害の犠牲者をゼロにするまで、研究を続けると仰いました。
南海トラフの巨大地震が起これば、マグニチュード9の地震が起こり、尾鷲には17mの津波が来ます。そのとき、私たちはどう行動するでしょうか。想定にとらわれないこと。安全と言われていても、安全なところはどこにもない。その時は、その時で最大限のことをやる。とにかく逃げること。自分が生き抜いて助かること。すべては、そこから始まるのだと思いました。
これを熊本地震に当てはめると、どんなことが考えられるでしょうか。今から400年前に伊予伏見地震が起こっています。愛媛県の佐多岬半島の北側から讃岐山脈、さらに東には和歌山県の和泉山脈まで一直線に並ぶ断層があります。これが中央構造線です。中央構造線は千年に一回程度動きます。伊予伏見地震はこの中央構造線が動いたと考えられています。中央構造線は佐多岬からさらに大分・熊本へと南西方向に点在する活断層に続いています。
直下型地震では、他の活断層を刺激して新たな地震を引き起こすことが、今回の熊本地震で分かりました。また、従来は強い地震が起きたらあとは余震になって収束していくと考えられていましたが、さらに強い地震が起きるという前震・本震という概念が広く知られるようになりました。
気象庁のホームページを見ると、震源地から北東方向へ、南西方向へ震源が広がっているのが気になります。これが中央構造線に飛び火していけば、南海トラフの巨大地震につながることも考えられます。伊予伏見地震から400年、中央構造線が動くのはあと600年あると考えないで、いつ起こるか分からない巨大地震への備えをしていかなければならないと思いました。東海・東南海・南海地震は三つが連動して起こることがあります。1944年に起こった東南海地震は、尾鷲市街に多くの災害を与えました。東海地震が30年以内に起こる確率は、70%です。明日の降水確率が70%なら、必ず雨傘を持っていくでしょう。
「想定にとらわれるな。最善を尽くせ。率先的避難者であれ。」この三つの言葉を心にとめて、備えをしていきたいと思います。
