春の朝 | バイカルアザラシのnicoチャンネル

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 サイコロジストの日常と非日常を季節の移ろいを交えて描いています。バイカルアザラシのnicoちゃんの独り言です。聞き流してください。

 ツリガネソウって、こんなに綺麗でしたか。朝露をはらんだ純白の花びらはひときわ美しいです。周りは静か、音を立てるは一つもありません。昨夜の強風にさらされてひたすら一夜を耐えていたのでしょうね。そんなことは一言も語らずにしんと静まって咲いています。寒かった、寂しかった、我慢したなんて一言も言いません。ただただ健気に咲いているだけ。弱いから美しいのかも、しなやかだから強いのかも。それは春の神ペルセフォネの指がツリガネソウの花びらに触れたからなのでしょう。何か背後に彼女の気配を感じた朝でした。

 

 いつか撮ったしだれ梅。向こうには菜の花畑が広がっています。東伊豆の河津桜の岸辺にも菜の花が咲くと言うけれど、黄色と桃色はなぜよく似合うのでしょう。気まぐれな春風が枝を揺らすと、菜の花もそれに応えます。菜の花畑にはミツバチがいっぱい。春また春がここにあります。

 

 寒椿ももう終わりです。花って不思議です。椿のように一気に地面に落ちて、形を残す花があります。花の美しさを完全に保ってひとえに潔く散ります。美しさが失われるのを恐れるかのように。

 

 晩夏のヒマワリ。太陽を慕った黄色の花びらは茶色く枯れて、どこまでも醜い姿をさらします。地面に落ちるときは茎から倒れて、最後の最後まで散ろうとしません。でも、花にはたくさんの種が重々しくついています。命をつないだのだと誇るように下を向いて。

 

 潔く美しく散るのも好き。どこまでも最後まで散らないのも好き。

 

 笠汲み橋に続く小径は、寒椿が昨夜の寒風にあおられて赤く染まっています。なぜ、笠汲み橋というのでしょう。昔、紀州の殿様のお姫様が、この橋をお通りになりました。満月の夜です。あまりの美しさにお姫様は、家来にあの月をとっておくれと命じました。気を利かせた家来は、笠に谷川の水を入れて満月を笠に映しました。そんな伝説を思い起こさせる寒椿の道です。