
春谷寺の緋寒桜が咲いてます。
梅から始まり、桃が咲き、桜と続きます。梅は一つの花芽から一つの花が咲きます。桜は一つの花芽からいっぱい花をつけるので豪華です。私は桃が好きですけど。桜と言えば、伊勢物語に登場する在原業平が桜をこのように詠っています。
世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし
この世界にまったく桜がなかったら、春の心はのどかなものになったでしょうに。宴会の中で、藤原氏の繁栄を願う歌を求められて詠みました。業平は文徳天皇の第一皇子惟喬親王に仕えていました。皇太子のなるのもまもなくです。そうなれば、大臣の座も見えてきます。そのとき、藤原良房の娘が惟仁親王を産みました。文徳天皇はわずか8歳の惟仁親王を皇太子にしてしまいます。業平の将来は一気に閉ざされてしまいました。
自分の未来を奪った藤原氏の繁栄を歌にしなければならない。夢なのか現なのか、あり得ないことが現実には起こっています。その激しい葛藤の中で、業平は桜の美しさから一歩身を引いて、この一句を詠みました。桜の美しさや春爛漫そのものを詠めば、千年の時を超えて、この歌は残らなかったでしょう。
それは深い深い漆黒の地中の中で純粋に透明に結晶した貴石のようなものです。遙かなる時空を超えて、業平の31音は今を生きる私たちの心に直に伝わってきます。それは失意の中でなお今を生きようとするひたむきな心なのかもしれません。そんな人の営みを知らないで、今日も桜は美しく咲いています。