僕は、部活動は教育活動の一環として行っているという自負があり、だからこそ学校部活動は、システムを良いものに改変しながら継続していってほしい、ということを、これまで何度もブログで書いています。
ただ、その「教育活動」そのもののあり方を勘違いしている大人が多い──それこそ、指導者だけじゃなく保護者も含めた多くの大人が、勘違いしているのではないでしょうか?
勝利をつかむため、もしくはもっとうまくなってテニスの醍醐味を味わうために、厳しい練習にも耐えてほしいし、その結果つかんだ勝利や「うまくなれた」という成功体験こそが「教育活動」につながるのです。
テニスの技術向上に全く寄与しない球拾いや運動能力を低下させるだけの炎天下での練習に「耐える」ことは「教育活動」でもなんでもない。
「一生懸命頑張ることができた」という成功体験と、「つらいことに耐え続けた」というただのトラウマ体験を一緒くたにするべきではありません。
「一生懸命頑張ることができた」経験から生まれるのは「忍耐力」ですが、「つらいことに耐えた」というトラウマ経験からは、表面上は口をつぐんで裏で文句をいうばかりの無気力な人間しか生まれないのです。
チームワークも、丸刈りにしなければ生まれないような安っぽいものではありません。
ましてや、足並みを揃えてランニングをすれば、自然と身につくようなものではない。
そこまでしてチームワークを徹底しようとしている指導者は、必ず他の場面でもチームワークの大切さを説いているはずで、足並みを揃えてのランニングをやめても、絶対大丈夫なはずです。
逆に、それをやめたら崩れるようなチームワークなんて、もともとどうかしているのです。
上下関係についても同様です。
先日、室内でのトレーニングでのこと。
以前にも言ったように、うちの部では、練習の準備や後片付けは1年生が担当です。
が、その日は練習道具も多く、練習場所も、普段道具がおいてある部室から非常に遠い場所でした。
1年生の人数も少ないので、多い荷物を1度には運べず、1年生は何回か往復することになります。
そのとき、2年生は、1年生が荷物を運んでいる間に、本来であれば1年生の担当である片付けを肩代わりする形で、そのほかの道具を運びやすいようにまとめたり、練習でお借りした場所の掃除をしたりしてくれました。
1年生に頼まれたわけでもなく、ましてや僕の指示なしにです。
それこそ、本来あるべき上下関係でしょ?
今の2年生たちも、自分が1年生のときに先輩たちに助けてもらったのを覚えているのです。
それこそを伝統として残すべきなのです。
そういう先輩たちだからこそ、後輩はついてくるのです。
決して、1年生の働きぶりを偉そうに監視し、命令するだけの先輩ではないのです。
悪弊の連鎖を断ち切れない人間が、偉そうにする資格はないし、そんなやつに従う義理もない(笑)。
礼儀作法は普段の挨拶や会話などで十分に身につけられますし、健全な上下関係はまずは尊敬される先輩や指導者であることが前提ですし、忍耐力や向上心は、練習をしっかりとこなし、スポーツの楽しさや難しさを体感すればいくらでも身につくのですから。