1月の終わり頃、「林先生の初耳学」に出演したダルビッシュ有さんが、それを補足する形でツイートをしました。

 

 

 

 僕も以前に同様の内容についてブログで書いたことがあって、自分のブログを引用してリツイートもしています。

 

 ダルビッシュさんのツイートのリプとして書かなくて良かった、という話はそのときにもしていますが(笑)。

 

 

 そのリツイート、意外と多くの人が見てくれたようで、同じ同業者の方から何人か、メールやDMという形で、質問やご意見をいただきました。

 

 中には否定的なものもあったのですが、よくよく読んでみるとたぶん読解力のない方か、文章を読み通す忍耐力に欠ける方らしく(笑)、ブログで言っていることの半分も読んでくれていない……。

 

「ここに(すでに)こうやって書いてありますよ」

 

 っていうのを何回も送り直さないといけないっていう。。。。(笑)。

 

 まず、ダルビッシュさんのツイートについての批判的なリプを紹介します。

 

 ダルビッシュさんのツイートに対するリプの一つに、こういうのがありました。

 

「毎年のように1回戦負けだったチームだったが、先輩たちがチームが弱いなりに強く見せる方法を考え、行進だけでも賞をもらおうと言って、そこから毎年のように入場行進の練習をするようになった。

 

 その結果、入場行進で賞をもらえるようになり、野球のほうも徐々に勝てるチームになっていった。

 

 だから、脚をそろえるのはチームワークの向上になると思う」

 

 これって「入場行進で足をそろえた」ことで、チームワークが向上したのではなくて、「入場行進で賞をもらえるようにみんなで練習した」ことでチームワークが向上しただけではないでしょうか?

 

 つまり「みんなで一致団結して練習する」ということが大事で、そして、その「目標設定」がちょうどよかっただけであって、「足をそろえて行進したこと」そのものがチームワークの向上に寄与したわけではないと思うのです。

 

 また、

 

「丸坊主になるのは、みんなが一つの目標にむかって一丸となるため」

 

 というリプもあったのですが、それなら、他競技の人たちは一丸となれないのか?女子のチームは一丸になっていないのか?ということにもなります。

 

「厳しさの中に学ぶことがたくさんある。

 

 あえて忍んで、なんて古くさいと思うが、その厳しさの意味が分かるときがくるから、無駄にはならない。

 

 選択する力がつくまで経験する経過だと考えて」

 

 というのもありますが、その「厳しさ」も別のことで置き換えられるんじゃないか、と思います。

 

 礼儀作法・マナーを、「意味なく大きな声で挨拶」や「坊主頭」によって身につけさせる必要はないんじゃないでしょうか?

 

 僕の弟などは野球経験者ですが、坊主頭の強制には反対です。

 

 ただ、

 

「普通、真夏の練習で、帽子もかぶって、長髪で練習なんてできなかった。

 

 ちゃんとハードな練習なら、自然と長髪が邪魔になる選手もいるはず。

 

 楽だから丸刈りが好き、って、選手が選べるのが一番」

 

 って言って、おっさんになった今でも丸刈りです(笑)。

 

 なかには、

 

「本当に野球がしたいなら、坊主頭ぐらい我慢できるはず」

 

 みたいなのもあったんですが(現在消されてる)、たとえば厳しい練習を我慢することと、丸坊主を我慢することは、全く次元が違います

 

 ダルビッシュ投手は、

 

「なんで野球をするために、丸刈りにすることを我慢させる必要があるの?」

 

 って問題提起してるのに(笑)。

 

「カレーが好き。でも納豆は嫌い」

 

 って言ってる人に対して、

 

「カレーが好きなら、納豆カレーもおいしく食べられるはず!

 

 納豆を入れただけで食べられないのは、カレーが好きじゃない証拠」

 

 って押しつけているようなものですからね。

 

【次回へ続く】