日本語であれば「よっしゃ!」や「よし!」
英語であれば「Come on!」
スペイン語であれば「Vamos!」
プレイ中にポイントを取ったときにガッツポーズとともに選手が出す掛け声です。
100回記念大会を迎えた甲子園でも、創志学園の西投手のマウンド上でのガッツポーズが問題となりましたね。
この「雄叫び」や「ガッツポーズ」については、メンタリティーの上で大切なことがあるので、注意しましょう。
テニスでもコート上でのガッツポーズや雄叫びにルール上の具体的な記載があるわけじゃない。
いわゆる「マナー」とか「アンリトゥンルール」というやつです。
まあ、テニスでは滅多に、相手に向かってのガッツポーズをやる選手はいませんし、やったら、確実に警告を受けます。
今回の甲子園の問題については、いわゆる「識者」の中に、
「ガッツポーズがダメならばルールに記載すべきだ」
などと言っている人がいますが、それは間違いです。
ルールとは本来、ゲームの勝敗に関わるものについて記載することを原則としているわけですから。
ルールで禁止されていないから良いじゃないか、というのであれば、そもそも高校の部活動としてスポーツをやる意味も無くなると思います。
うちのチームでは、ガッツポーズや「雄叫び」について特別な指導はしていません。
もともと女子高校生に「雄叫び」をあげる選手は少ないからですが、中途半端にガッツポーズや「雄叫び」をやり始めると、メンタリティーにも影響が出てくるからです。
まず、この種の「雄叫び」や「ガッツポーズ」は、自分を鼓舞したりするのに非常に有効です。
しかし、普段からおこなっていなければ効果はあまり見込めません。
「付け焼き刃」であることを、自分がよく分かっているからです。
逆に、それが付け焼き刃であることを冷静に客観的に見られる人間でなければ、テニスは勝てませんし(笑)。
少なくとも、ゲーム形式の練習ぐらいでは,出すようにしていないと、ただの「ポーズ」になって終わってしまいます。
そしてもう一つ大切なのが「雄叫び」を出すタイミングです。
やってはいけないのは、明らかな相手のアンフォースドエラーでの発声。
もちろん、マナーとしてダメなのですが、それ以上にメンタリティーとしてダメです。
これを繰り返すと、いつの間にか相手のミスを単純に喜ぶ心理が働くようになり、相手の「ミス待ち」の心理状態を引き出してしまうからです。
長いラリーの末に相手がミスをした場合、あくまでも長くラリーをした自分を褒めるための「雄叫び」でなければなりません。
そして、これは「注意集中」シリーズでもお話したことと重なるのですが、「内的で狭い」注意集中に陥る危険性があるのです。
ガッツポーズをする選手の中には、自分のプレイに「酔う」選手が出てきます。
これを食い止めないといけない。
ガッツポーズをしながら、今のプレイを噛みしめるように頭の中で反芻することは、すでに終わった過去に心を奪われ、次のポイントへ切り替えができないことにつながります。
ガッツポーズや雄叫びの本来の目的は逆なのです。
感情を表に出す──つまり吐き出すことで、次のポイントに注意集中を切り替えることになるのです。
だから、ガッツポーズ+雄叫びをやった直後に、すぐに視線をあげなければならない。
一番良いのは、応援してくれている仲間に向かってガッツポーズを取ることです。
それができない場合──1人で参加している場合や仲間がいる方向に相手選手がいる場合には、ガッツポーズをしたあとにすぐに視線をあげ、「Far Point Look」といって、遠くの一点に視線を集中し、すぐに「外的」な注意集中を取り戻す、ということをします。
だからこそ、僕はポイントを取ったときのガッツポーズを生徒に強要しません。
人には向き不向きがあるからです。
ガッツポーズと雄叫びで感情を吐き出した方が切り替えが早いタイプと、そうでないタイプがいるからです。
なんでもかんでもガッツポーズをすれば盛り上がるわけではない。
ガッツポーズの意義と発声の効用を理解した上でおこなわなければいけません。
ですから、普段英語を喋らない日本の高校生が、
「Come On !」
って雄叫びを上げているのをみると、かなり違和感を感じるのです。
自分の「言葉」としての雄叫びでなければ意味が無く、であれば、それは普段使っている言語でなければおかしい、と思うからです。
決して母国語でなくてもかまいません。
錦織もフェデラーも「Come On !」って言いますから。
だからこそ、創志学園の西投手のガッツポーズについては、本人の言うように「自然に出る」というものであれば、気の毒な面はあります。
ただ、それでも、あの下関国際戦でみせたガッツポーズは明らかにやり過ぎです(笑)。
関西風に言えば「いきった」表情をホームベース側に向けていましたから、主審からは示威的なものと思われても仕方が無かった。
明らかに「マナー」や「アンリトゥンルール」を引き合いに出されるレベルでした。
ガッツポーズや雄叫びが、ただの「リズム」ではなく「メンタリティー」に関わるものであることを、周りの大人たちが指摘し、早くから指導すればあんな派手な「パフォーマンス」的なものにはならなかったでしょう。
「試合途中に急にいうのは可哀想」
という意見もあるようですが、それもおかしな話です。
西投手のガッツポーズも、必ずやる、というものではありません。
審判も「全くしてはいけない」とは思っていなかったからこそ、それを試合前に指摘することもしなかったのではないでしょうか。
審判が判断を下せるのは「生じた事実について」だけなのですから。
ただ、大きく「ライン」を越えたものになってしまった、ということです。
考えてみてください。
茶髪のヤンキーが地方大会で、西投手と同じようなガッツポーズをしたら、誰が擁護してくれるでしょうか?(笑)。
それほどの大きなガッツポーズだった。
西投手だから味方をする、ヤンキーだったらダメ、というのはおかしいでしょ?
万人に共通であるからこその、マナーであり、ルールなのですから。
その意味で、今回の主審の方は、非常に公正な判断をしたのだ、ということだと思うのです。
ガッツポーズや雄叫びは、マナーや教育的なことも絡むことなので、なかなか統一した見解をみんなが共有する、というのは難しいものです。
だからこそ、これは、子供の頃、または初心者の頃の、指導者の責任なのです。
ガッツポーズや雄叫びを、ただただ感情の「発露」として看過せず、メンタリティーの「一端」なのだ、というふうに捉えることが、そのスポーツで強くなっていくことにもなるのではないでしょうか?