テレビで濁流に呑まれる家屋の映像を見ていて、
忘れられない子供時代の話を…。
小学2年生の夏
連日の大雨により川が氾濫し、
自宅が水害に遭いました。
深夜、寝静まっているときに
「水害だ~ッ !」
「起きれ~ッ」
と、叫ぶ声があちらこちらから聞こえてきました。
親から起こされて、
2階の窓から外を見ると、
まるで水面に浮かぶ船に立っているように、目に写る景色は濁流の世界。
1階に行くにも、
階段の途中まで水が押し寄せてきていたので
下りて行くこともできません。
完全に1階は濁流に沈んでいました。
隣近所みんなで励まし合いながらも
大騒ぎ。
2階の窓から消防隊?に
筏(イカダ)とボートで救助されました。
2階の窓からイカダに乗るときの恐怖は
今でも忘れられません。
1ヵ月?くらい
小学校の体育館で避難所暮らし。
毎日、ぬるい水道水と具も海苔もない「おにぎり」だけ。
母は毎日、水が引いた後の家の掃除。
泥との闘い。
夏休みが終わっても
体育館で避難所暮らし。
小学校からノート2冊と鉛筆、消しゴムが入った茶封筒をもらいました。。。
なんと、そんな水害が翌年も続いたのです。
避難所暮らしの同じ夏が続き、
うんざり……
うんざり……
何百世帯?のみんなが辟易したことでしょうか。
行政も重い腰をやっと上げたのか、
その翌年から長い堤防の工事が始まりました。
築4年の家は取り壊され、近くに引っ越し。
驚いたことに
当時の写真がネットでありました
多分、当時の近くの写真でしょう。
そんな所にいたのも遠い昔のことです。
今では想像できないくらいのひどい避難所生活。
すべてを濁流に持って行かれたのに、
淋しく悲しいほどの僅かな援助物資。
(援助していただいているのに文句を言うのではありません。)
テレビで災害に遭われ、避難所生活をされている方達を見るたびに思い出しています。
天災は防ぐことができるが、仕方のないこと。