10月2日。リアド・ブッサのテラスで朝食をとった後、オーナー、ブリジットさんお勧めの新市街のマジョレル庭園へ向かう。この庭園は、フランスのアールヌーボー画家だったジャック・マジョレル(18861962)が1924年に造園したもの。



マジョレルの没後、壊されてホテルが建築される予定だったこの庭園は、1980年にイヴ・サンローランとパートナーのピエール・べルジェに買い取られる。そしてモロッコと同じマグレブ諸国のアルジェリアで生まれたイヴ・サンローランの遺灰は、2008年の没後にこの庭園へまかれた。モロッコの強い日差しと建物の青のコントラストは、眩しくて、美しい。




モロッコでとても驚いたことの一つは、イスラム建築の装飾模様は「職人の頭の中にある」(!)ということ。タイルも、化粧漆喰も、アトラス杉の装飾も、頭の中のイメージを形にしているというのだから驚いた。幼い頃からたくさんの幾何学模様や文字装飾を見て、実際に手を動かし、頭の中にそのイメージが蓄積されているのだという。写真はベン・ユーセフ・マドラサ(神学校)の壁の一部を写したもの。このマドラサはスーク(市場)の狭い路地を突き抜けて、奥へと進んだところに現れる。壁には装飾文字でクルアーンと歴史が書かれている。






ベン・ユーセフ・マドラサは1565年、サアド朝の時代に建てられた神学校なのだが、神学校といっても実際には歴史や法学、自然科学など広範な教育が行われていた。細部まで美しい装飾の施された内側とは対照的に、外側は何の装飾もない高い壁に覆われているというのも面白い。それにしても内部の装飾はため息が出るほど美しい。





モロッコに行きたいと思った理由の一つは、ドラクロワである。彼に鮮烈な印象を与えた地を、その色を、自分の目で見てみたかった。ドラクロワの日記(The Journal of Eugene Delacroix)のモロッコ旅行についての記述は、1832129日、“馬の戦い”から始まる。


The scene of the fighting horses. From the very beginning they reared up and fought with a fury that made me tremble for their riders, but magnificent for painting. I am sure that I have witnessed a scene as extraordinary and fantastic as anything that Gros or Rubens could have imagined. Then the grey got his head over the other horse’s neck, and it seemed an eternity before he could be made to release his hold…


ドラクロワは奔馬の躍動を愛した。そして1833年の『アラビアの幻想』ではモロッコで目にしたアラブ人の猛々しい騎乗の姿を描いている。



写真はマラケシュ2日目の夜に観た『ファンタジア』ショーでのもの。正直に言うと全く期待していなかったのだが、実際に観てみると野性的なエネルギーに溢れ、大変な迫力だった。100mほど先に一列に整列していた馬が猛スピードでこちらへと走り寄り、その馬に乗っていた騎手たちが揃って鉄砲を打ち放す。騎手たちは馬が興奮して後ろ足で地面を蹴っているところを手綱をぐっと引いて向きを変えて列を整え、元の位置へと走り去る。もともとは戦いの訓練として行われていたという。



ファンタジア・ショーが終わってメディナに戻ってきたのは夜の12時半。その時間でも、フナ広場の人出と盛り上がり方は夜8時くらいではないかと錯覚する。朝430のアザーンに始まり、夜中のフナ広場の盛り上がりまで、マラケシュは眠らない、エネルギッシュな街だった。

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(マラケシュの象徴、クトゥビアのモスク。ミナレット(塔)の高さは77mで、これを超える高さの建物を建設することは禁止されているのだそう。ミナレットの上にある三つの球は、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教ほか、幾つかの意味を持つ。)