8月7日、『けんか七夕』祭りを観に気仙町(陸前高田)へと向かいました。
以下はそのときの話です。
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平安時代から900年続くというこのお祭りは、
気仙町4つの集落それぞれが持つ山車の前後に突き出た丸太をぶつけ合い、
文字通り「けんか」をして勝敗を決める。
山車の重さは3トンを超える。
今年は津波により4台の山車のうち3台が流され、
お祭りの開催が危ぶまれていた。
私は6、7月と陸前高田に作業に行った際、
ある現地の方が何とかお祭りを実現させたいと奔走しているのを見聞きしており、
何としてもその晴れ舞台をこの目で観たかった。
陸前高田に到着すると、
毎度の作業場のすぐ近くに山車と人だかりが見えた。
華やかに、でも清らかに飾りつけられた山車には
現地の人たちの心の声が書かれた短冊が垂れ下がっており、
どれも痛いほど胸に突き刺さる。
「二度と津波が来ませんように」
「主人が見つかりますように」
「母ちゃん有難う」
…それぞれの筆跡で、
それぞれの想いを込めて書かれた短冊を見るのはどうしようもなく切ないけれど、
これが現実だということを噛みしめる。
それでも私が見た人たちの多くが、冷静に、日々を送っている。
陸前高田では幼いころから男の子は太鼓を、
女の子は笛を習うことが習慣になっているそうで、
お囃子の音は途切れることがない。
「よいやっさぁー、よいやっさ」 ― とにかくみんなキラキラしてまぶしかった。
途中、20代前半と思われる女の子に「たくさん写真を撮ってください。」と笑顔で言われた。
陸前高田を訪れ、その実情をありのままに書きたいと思うのだが、
色々な想いが交錯してなかなか難しい。
それでも彼女の言葉に少しでも沿えるように、
けんか祭りの記録を書いておきたい。
陸前高田の町は何もかもが流されてしまっている。
しかし今は悲壮感に満ちているわけではない。
もちろん、人々は心の中に哀しみを抱えていて、
それが爆発する瞬間がある。
笛を吹いていた一人の女性がお囃子が終わった瞬間に泣き崩れたのを見て、
私はそれを感じ取った。
馴染みの畳屋さんは
「ほんとの“けんか”を見てほしいけどね。これだけでも奇跡だからね。」
目を細めて言う。
今度は山車がぶつかり合うけんかを観たい。
彼らならきっと実現するに違いない。
現地の人たちが、自分たちの手で実現させたこのお祭りの意味合いは大きい。
きっとみんなあのお祭りが大好きなのだ。
あの人たちのキラキラした姿は、ずっと忘れない。