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15時に作業を終えた後、
アツシさんがミュージシャンの方から依頼を受けていた
ウクレレライブの企画で避難所となっている高田一中に同行させてもらう。
窓口になっていたのは恐らく家庭科室だったと思う。
調理実習台の上にPCや書類が並び、事務局のオフィスになっていた。
担当者の方(NPOに所属)曰く娯楽は大歓迎ということで話はあっさりまとまり、
「ステージを確認しておきますか?」ということで体育館にご案内いただく。
体育館には段ボールやパーテーションで簡易的に区切られた
居住スペースが広がっていた。TVで観たことのあるあの光景である。
段ボールには紙で作った表札が張られている。
ステージ、つまり壇上に上がるとその居住スペースを見降ろす格好になり、
プライバシーを犯している感じがして心苦しく、早々にその場を後にした。
仮設住宅への移動などで一時は1,000人を超えていた避難者数は
現在300人規模になっているという。
それでも一世帯毎のスペースに十分な余裕があるようには見えなかった。
*photograph by Atsushi-san
夫婦の馴染みの小さな避難所へと移動する途中、
高田松原へと立ち寄った。
白砂青松の景勝地ながら、チリ地震や明治三陸大津波、
そして今回の震災と何度も大津波に襲われてきた海岸である。
見渡す限り瓦礫や木が散乱して荒れ果てた灰色の海辺には、
一ヶ所だけ黄色く輝くところがあった。
ニッコウキスゲが咲いているのだ。
海辺の惨状に破壊的な災害をもたらした自然のエネルギーを感じると同時に、
そのエネルギーは新しい生命の息を吹き込むのにも向けられているのを感じたのだった。