最近、親鸞の教えをもとにしている仏教講座で

勉強を始めたばかりであるが、

個人的には、仏陀の教えにもどるべきだと、思っている。

(これを通常は原始仏教と呼ぶらしい)

そこで、先日二回目を読み終えた

田上太秀 氏の「仏陀がいいたかったこと」

(講談社学術文庫)

を再度よみつつ、その内容をまとめていこうと思う。

 

ただし、今日の仏教は

大乗仏教であり、

大乗仏教と原始仏教の関係性についても

考えるべきである。

そこで、その次には

増谷文雄氏の「根本仏教と大乗仏教」の

再読を予定している。

  • 長南氏の講座からの抜粋
  • まとめのことば ⇒ 私の言い換え
  • 重要なことを重要と見極めるジャッジメント能力 ⇒ 本質を見抜く!
  • その時大事なことを判断する能力がないと金や物に殺される ⇒ 金や物よりも命が大事!
  • 周りに流されていると将来大きな差になってくる ⇒ 情報に振り回されるな!
  • 時には識見と英断が必要 ⇒ 親は子の罪を償わせるべき!(万引きした子供をかばうな!)
  • 「世人薄俗にして、共に不急のことをあらそう」(大無量寿経)
    • 世の中の人は、急がなくていい目先のことに心を奪われて、人生の大事を知らない。
    • なぜ生きるかという目的を知らず、どう生きるかばかり。
    • みんなどうでもよいことにあくせくしている
  • 「天上天下 唯我独尊 三界皆苦 吾当安此」
  • (てんじょうてんげゆいがどくそん さんがいかいく ごとうあんし)
    • 大宇宙ひろしといえども、私たち人間だけが犬猫には果たすことのできない尊い目的がある
    • 人生にはいろいろな苦が満ちている。私はその苦しみの世界にありながら安んじて楽しい。
    • ⇒ 我々人間だけが生きる意味を考えることができる。だから苦しみの世界でも生きていける
  • 犬猫は完成している。人間だけが未完成!人格の完成こそが生きる目的?

聖徳太子が、

篤く三宝を敬えと言ったのが、

はじまりかどうかわからないが、

現代において仏教を勉強するに当たっては、

三宝でなく一宝でいいような気がします。

 

三宝は仏法僧で、仏はブッダ、法はダルマ、僧は教団

この三宝は厳密には、ブッダが生きていたころの仏法僧であり、

そういう意味では、篤く三宝に帰依することは正しい

ことなのだろうと思う。

 

しかし、私のように仏教を純粋に学びたいと思っている人間は、、、、

ネットでの様々な情報や、

寺で真のブッダの教えが説かれていない現状から考えて、

どこかの宗教団体もしくはお寺の檀家となる場合は、

信じるブッダは不在、教団そのものを信じることはできない

ということを前提に醒めた目で<法>だけを信じるのがまっとうであって、

常に、お釈迦様はどういう教えを説かれたのか?

というところに的を絞って学ぶべきではないかと思うのです。

 

原始仏典をたどって分かることは、

仏陀はだれにも増して謙虚な人であり、

衣食にはこだわらない人であった。

そうしたブッダの人柄から経典の中身を解釈してゆくことが必要では?

 

したがって、高森氏や長南氏のような

その人を信じ、その人を頼る気持ちで

仏教を学んではならないと思う。

自らの頭と心で考えて、

ブッダが相手により異なる説法の仕方をしたのは

単に相手のレベルに合わせたのではなく、

それぞれの人間に適した仏教があると思われたからだと思う。

 

長南氏の講座がしばらく続くが、

これは、親鸞の教えを高森氏が解釈した教えであり、

ブッダの教えそのものかどうかはわからない

という立場で理解すべきものであろう。

 

ということで、

私は、どこの宗教団体にも所属しないことにする。

しなくても、生きる意味は分かってきたような気がする。

生きる意味は、講義を受けて分かるものではなく、

実践して初めて分かるものだと思う。

ネットの数々の情報から判断して、

高森顕徹氏は、「生きる意味が分かっていないだろう」と確信する。

長南氏もそうかもしれないが、そうでもよい、

様々な経典からの言葉の意味は深く、

言葉の意味は聞く側によって異なってくるので、

生きる意味がわかっていない人からでも

生きる意味を学ぶことはできる!

 

「愚者は賢者からも学ばないが、賢者は愚者からも学ぶ」

からである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

若い頃から、仏教に興味はあり、

いろいろ本を読み、

ブッダに還るべきだと考えて

原始仏典も紐解きました。

しかし若いころからの死の恐怖は解決できないままです。

定年から5年が過ぎ、

週3日出勤しているとはいうものの、

時間にゆとりができたので、

今後は仏教の勉強を始めようと心に決め

ネットなどを調べ始めました。

初めは、仏教検定のためのテキストを

購入しましたが、

薄っぺらい冊子が3冊と座禅のガイドで

文庫本一冊買った方がまし、という程度の

仏教を表面的になぞっただけの

とても二万円の価値はないものでした。

次は、長南さんのメルマガ21日間を通過して

仏教講座初級を始めたばかりのところです。

内容的には、さきほどの資料に比べると

十分価値のあるものだとは思っています。

ただし、中に高森顕徹さんの書籍の紹介があり、

これもネットでいろいろ調べてみると、

高森さんは親鸞会の会長で

かなりカリスマ性が高そうですが、

人間性に問題がありそうで

(ネットの記事を鵜呑みにするわけでもなく、

初期の頃から変わってしまったのかもしれませんが、、)

原始仏典に書かれているブッダの姿からは

程遠い人のようです。

おまけに、長南さんも親鸞会の講師だということが分かり、

これまた、私は、お金儲けの輪の中に取り込まれたか?

もしかすると邪教かもなどと疑い始めました。

生きる意味を本当に知りたいという

私のような人間は、

どう学べばよいのでしょうね?

 

次のブログで、私の気持ちの切り替えについて述べたいと思います。

切りかえられたこそ、このブログを始めようと思ったのです。