分岐点の向こう側
昨夜、Netflixで「不毛地帯」を流していた。不朽の名作だが、ふとしたシーンが今の自分に重なり、手が止まった。主人公の商社マンは、交通事故で妻を亡くし、マンションで独り暮らしをしている。ある日、娘が突然部屋を訪ねてくるのだが、そこには偶然、彼のパートナーである女性が居合わせていた。画面越しにも伝わる、あのひりつくような空気。よくある場面だが、妙に引っかかった。俺の場合は事情は違うが、ふと自分の暮らしに置き換えてしまった。俺の独り暮らしの部屋にも、3人の子供たちがそれぞれふらりと訪ねてくる。今まで、再婚という道を考えなかったわけではない。もし別の道を選んでいたら、今とは違う形の暮らしになっていたのかもしれない、とふと思うことがある。今のような、子供たちとの距離感も、きっと少し違ったものになっていただろう。ただ、結局はここまで来た。まあ、新しい関係を築くのがめんどくさかった、というのも本音かもしれない。笑パートナーと呼べる存在もなく、独りでここまで来たが、それでもこの暮らしが大きく崩れることはなかった。ほんの少しの寂しさはある。だが、それと引き換えに手に入れた「自由」も確かにある。一昨年、同期の仲間内では真っ先に「ジジ」になった。数えるほどしか顔は合わせていない孫娘だが、それでも、人生の時間が一段階、カチリと進んだような感覚はある。この先どうなるかはわからない。ただ、今のところ、不自由はない。自分で選び、整えてきたこの暮らしも、悪くないと思っている。ドラマの中の沈黙を眺めながら、ウィルキンソンを一口飲む。画面の向こうの波乱より、こういう静けさの方が、今の自分には合っている気がする。朝食は玉子サンド。食パンはすぐ冷凍してしまうが、買った日だけは、生パンが食べられる。