横書き『浦富名勝古跡案内』【8】 | だるま親雲上日日記

横書き『浦富名勝古跡案内』【8】

 

観音島

 鴨ヶ磯の西方島嶼多く奇岩怪石星点碁布し 大なるもの小なるもの俛せるもの 巨鼇の首を擡げて浮ぶが如く 長鯨の鬛を振つて吼ゆるが如く 千態万槎挙げて数ふべからざる 而て海岸の連山は壁立千仭直に海を圧し 無数の海鳥は此間を縫ひ来て復去る 島嶼中観音島と称する一小島あり 古記に平城の御宇大同元年3月漁翁網を携へ小舟を漕ぎ洋中に赴きしに 俄に波涛おこり一船震ひおののき神心安からず 須刻して風波静すり遥に海上を見れば 岩上に仏の本尊顕はれたり 船を漕ぎ寄せ合掌礼拝し奉るに閻浮檀金の尊像なり 舟に遷し奉り持ち還りて礼拝す 岩本村網代寺観照院に祭る本尊是なりとあるは 此小島の事にして今も尚櫓櫂触れば仏罰を蒙り腹痛を生ずとて 漁人畏れて舟を近けず

 

 名にもおぢて海士もゆるすか観音の

  千の御手にもあまるうろくづ  逸処米質

 

 是より稍西方に進めば逼る所一岩窟あり 洞口狭隘にして纔に舟を容るべし 然れども漸く入りて漸く濶く其高数丈にして岩燕飛翔し 洞内の石状波浪の浸蝕によりて神劖鬼削宝に自然の奇工を極む 試に舷を打てば薄暗き窟内鳴動して一種異様の反響を生じ藍里の深潭さながら奈落の底もかくやと疑はる更に深く入れば凄風颯然として襲ひ来り 皮膚粟立夏天猶寒きを覚ゆ

千貫松島

 観音島の西南網代村の北方にある孤島なり 巨巌海上に峙立して一老松其頂上に蹯り 枝幹頗る奇なり 其鹹風に晒されたる幾世ぞ其晩翠を持する何等の苦節ぞ 而して此島は海涛のため浸蝕されて弯門を作り 孤舟に掉して島脚を通るを得 伝へ道ふ旧藩主池田侯(鵜殿氏の家史によれば伯耆守綱清数此浦を遊覧し 歎賞措かずとあり)此処に遊び島上の松樹を見て愛賞措かず 曰く能く之を移して我が庭園に致すものあらば与ふるに禄千貫を以てせんと 因て此称ありと 此島の東方には北海万古の波涛に洗はれて屏風を列するが如き見落の断崖 南方には虚空蔵山の絶壁あり 壮観筆舌の形容する所にあらず

 

 千貫松  山瀬立堂

 伝云旧藩主池田侯曾投金千貫欲致其庭而不能故為名

海中巌角秀奇松 幾閲風霜若臥龍 何応諸侯千貫聘

曾享秦帝大夫封

 

 仙巌浦舟中之作  井上甫水

怒涛千古洗山根 石骨成屏又作門 林立奇巌何以此

恰如万鷲截風奔

 

 我見てもそれが價は有磯浪の

  音にきこえし千貫の松  逸処米質