岩美町出身オリンピック選手 | だるま親雲上日日記

岩美町出身オリンピック選手

 

 やはり、4年に1度のオリンピックというのは盛り上がりますね。今回のリオデジャネイロオリンピックも、様々なドラマが世界中の人々に感動を与えました。もちろん、日本選手の大活躍には心躍るものがありました。

 ふと、岩美町からオリンピックへ出場を果たしたアスリートがいないかと思い、『新編岩美町誌』をめくりました。すると、おいでになりましたよ!ウェイトリフティングの西本宣充さんです。

 1978(昭和53)年、岩美町は鳥取県で7年後に開催される予定のわかとり国体ウェイトリフティング会場に選ばれました。そこで、町でも選手を育てようと、1981(昭和56)年、岩美高校にウェイトリフティング部が創設されました。

 さて、西本さんは、1968(昭和43)年、大谷に生を受けられました。小学生のころから体格がよく、明朗で活発な少年でした。中学校では陸上砲丸投げの選手でした。

 鳥取西工業高校に進学してウェイトリフティング部に入ると、1984(昭和59)年のインターハイに出場し、82.5㎏級で優勝。1985(昭和60)年のわかとり国体では、大会新・高校新記録を挙げて優勝。

 その後、日本体育大学へ進学されますが、卒業後は地元へ戻り、高校教師としての道を歩まれます。

 1992(平成4)年、バルセロナオリンピックに日本代表選手として出場。100㎏級で8位に入賞されました。成績は、スナッチ105㎏、クリーン&ジャーク207.5㎏、合計372.5㎏でした。

 1996(平成8)年のアジア大会では、99㎏級に出場され、スナッチ167.5㎏、クリーン&ジャーク210㎏、合計377.5㎏の成績を挙げられます。

 同年、アトランタオリンピックに再び日本代表選手として出場されましたが15位に留まり、連続入賞は逃してしまいました。そのときの後援会HPが残されていました

http://www.infosakyu.ne.jp/~nisimoto/index.htm

 鳥取県のウェイトリフティングの指導者として活躍されていますが、岩美高校で教鞭をとり、部の顧問として後進の育成に努めておられます。

 ウェイトリフティングは、今回のオリンピックで、沖縄県南城市出身の糸数陽一選手が4位入賞を果たしましたから、とても親しみを感じます。岩美高校出身の新進気鋭の選手と、東京オリンピックを目指して切磋琢磨できるといいですね。