『なぜかいい町一泊旅行』【中】 | だるま親雲上日日記

『なぜかいい町一泊旅行』【中】


 「岩美病院」から「岩美中学校」へと向かい、正門の右手にある坂を上っていくと「仙英禅師顕彰碑」があります。幕末の大老井伊直弼に開国を決意させたお坊さんが仙英禅師です。『観光岩美』の裏表紙にこの碑の除幕式の写真が掲載されていました。
 そういや、4月に聖地巡礼した折、ん十年振りに自転車に乗って、フラフラしながら「岩美中学校」にたどり着き、あの正門右手の坂に挑んで転びそうになりました。やがて、「まこちゃん1号」にケガさせるところでした。
 池内さんは、高台の景色を堪能された後、町浦富に足を運ばれ、そこで通幻禅師の生誕地を訪ねられます。曹洞宗中興のお坊さんですが、亡くなって土葬された母親から生まれたという方です。
 町浦富から浦富海岸に向かわれ、「荒砂神社」、「向島」を訪ねておられます。いやぁ~、ここは聖地巡礼ですね。真冬に訪ねられたので、あったかい缶コーヒーを手に、「こんな時はすぐ警察へ」という密航者を見付けたときの対応を啓発する看板に気付かれました。
 そうですね、あれだけ複雑な海岸線が続いているわけですから、密航者が彷徨いていてもおかしくありません。海上の密航船と、懐中電灯とかで合図しているそうですよ。
 ここから、池内さんは岩井温泉へ。そこは尾崎翠の出身地でもあります。「花屋旅館」を宿とされたのですが、その裏手の「西法寺」が尾崎の生まれたところだそうです。
 「花屋旅館」では、「ゆかむり」も楽しまれたようですが、冬の岩美町といえば松葉ガニ漁獲量日本一ですから、当然召し上がると思いきや、剥くのが面倒なのでカニ飯、カニ汁、刺身などを挙げられているのでビックリ。お宿でもだだをこねて剥いてもらっておられます。
 あ゛!亡父は鍋をつつきながらというのは、煮えているかどうかもわからないからと嫌がり、魚は骨が面倒だと嫌っていました。池内さんとこんなところで琴線が共鳴したのでしょうか。
 いやいや、カニに関してだけは、根気よくちまちま隅の隅まで突いて身を取り出し、皿に山積みになったそれを一気に食べるという暴挙を繰り返していました。
 好きなものに関してだけは、いかなる障害もものともせず敢然と立ち向かった亡父。この辺で池内さんとは、口角泡を飛ばして論争したのかも知れません。