〖忘れないため書きます〗


私の両親、

父は10年以上前に脳梗塞で入院してましたが、幸い後遺症もなくそれ以降は元気に過ごしていました。


母は非結核性抗酸菌(マック症)という病におかされ

入退院を繰り返してましたが最近は少し落ち着いてました。


そんな中コロナワクチン摂取。


母は肺炎になると危険な状態になるので

ワクチン打って大丈夫なのか心配だったけど

医師からはコロナになったら危ないから

打たないと逆に危ないよ!との事だったので

打つことに。


そして…


ワクチン打ってから一週間以内に

まさかの父母二人とも入院しました。


父は脳梗塞(右半身不随の後遺症)

母は肺炎(コロナではなかった)


母が先に入院したので、しばらく父が入院したことは黙ってました。母の体調をみて話す予定でしたが

さすが夫婦!秒で気づかれた


その後…


父は右半身不随の後遺症は残ったけどリハビリ頑張れば歩けるようになるとのことだったので

治療が終わってからはリハビリをメインでやってくれる病院に転院。


母は、肺炎を頑張って乗り切ってくれて一命を取り留めた!でも持病のマック症が進行してあまりいい状態ではない。それから先生に呼ばれ今後の治療について話があった。

正直、もう手の施しようがないという話でした。

このまま気休め程度に治療を続けるか

自宅に戻す方向で進めるか  の選択。

そんなの自宅に戻すの一択!


ではそのように進めますと話した数日後…


母の心臓が悪くなりとても退院できる状態ではない。


また入院が長引いた。。


そんな不安定を繰り返す毎日


それから数ヶ月後の9月12日


母が危ないと連絡が入る。


急いで病院に向かおうとしたら…

部屋には1人しか入れないとのことで

兄と相談して父を連れていくことに

兄のほうが父の病院に近かったので兄に任せた!

私はどうすることもできなく…

ただただ自宅で待機。


父は会えたけど母は話せる状態ではなかった

でもとりあえず容態は安定したそうだ。


そしたら予約制で一週間に1回10分1人だけ

病院のタブレット越しで母の状態を見ることができると教えてくれたので、私が行くことに!

即翌日の9月13日13時30分~予約した!


病院着いたら看護師さんが「今日お母さん話できるの楽しみに待ってますよ~」って


えっ!?話しできるんですか??

姿見るだけじゃないんですか?


もう嬉しくて泣きそうでした。。


画面越しに母がいる笑い泣き

お母さ~んバイバイって手を振ったら振り返してくれた

会話は酸素マスクしてるからほとんど聞き取れなかったけど数ヶ月ぶりに母に会えて嬉しかった♥️

帰れるときも、また来るね~バイバイってバイバイした


それから2日後…

9月15日のお昼頃

いまは比較的安定してるけど、そこまで長くはないとのことで、みんなで相談して17日(金)に自宅に戻すことにした。


そしたら数時間後…

9月15日の夕方にまた急変

17日までもたないかも…

しかもいま母を動かすのは危険なので

このまま病院でと言われたけどいいか?と

兄から連絡があった。

私は母が家に帰りたいとずっと言ってたのを聞いてるので、例え寿命が縮んでもいいから今スグ家に連れてきてほしい!!!と伝えた。

そんなひとり寂しく誰にも看取られず

逝ってしまうのは悲しすぎるえーん

私の決断に迷いはなかった!

きっと母もわかってくれる!そう信じた。


そしたらその日の9月15日18時

母は担架で寝たまま家に連れてきてくれた。


今日全く反応しなかったのに、家に帰ってきたら母が話しだして看護師さんがビックリしてた!

分かるんですね!って笑い泣き


酸素マスクしてるから聞き取りづらいけど

タブレットで話したときよりは全然わかるし話せる!

それから交代でみんなと話して久しぶりの家族団欒

父も会えて話せたラブ


とはいえ、この日から母を看取る選択をしたので

兄夫婦と交代で24時間母に付き添い、血中酸素濃度や体温測ったり、痰を吸引したり、しもの世話。。

いつ呼吸が止まってもおかしくない状態なので

目が離せない。こんなときにまさかの

夜型が役に立つとは(^^;)

なので深夜は私が見ることに


9月16日

昨日みたいにもう話すことはできないけど

比較的落ち着いてる感じ。

父も3時間だけ外出できるのでこの日から9時~12時まで自宅に帰ってくるスケジュールになった。

この時間は父に任せて、うちらはしばし休憩。

この日はとくに変わりなく終わった。


9月17日

この日も変わりなく比較的落ち着いてる。

毎時間、体温と血中酸素濃度を測って

メモってたんだけど、深夜ぐらいから

血中酸素濃度が測れなくなって

呼吸の仕方も変わってきた。

不安な夜だったけどなんとか朝を迎えた。。


9月18日

また9時に父を迎えに行く。

そして介護士さんも来てくれた。

全身綺麗に拭いてくれたりひと通り

母をキレイにしてくれた。

介護士さんいわく、今夜か明日がやまかと、

兄夫婦に話したらしい。。

そして私は礼服もってるけど太ってもう着れないから

買わないかんあせるって義姉に話してたから

義姉が今夜か明日らしいからみんないる今のうちに買いに行ってきたら?って言われ、確かに!

夜に近くなればなるほど危険だろうから

いまならまだ大丈夫かと思って買いに出た15分後

10時49分、母の呼吸が乱れて危ないと電話が入る

急いで戻るが。。ここへ来て方向音痴が滝汗

迷う。。まだかと何度も電話が。。

そして…息が止まったと。

ここで、私はふと思った。

綺麗好きだった母が介護士さんが来て綺麗にしてもらって、今夜と言ってたのにあれから数分後で、父も限られた3時間しかいれないのに父もいる間で、私が出た瞬間。

これは母がタイミングを測ったとしか思えない。

きっと私には死ぬ姿を見せたくなかったんじゃないかと。ってか、私は母が大好きだったから

きっとその姿を見せるのは私が耐えれないの分かってて、最後の母の優しさだったんじゃないかと。。

なので、私だけ看取ることはできなかったけど

母はみんなに看取れら最期は苦しむことなく穏やかに息を引き取ったそうなので、ほんとに良かった。

ずっと入院して寂しかっただろうけど

最期は理想的なかたちで見送れたんじゃないかと。。


2021年9月18日 12時16分 非結核性抗酸菌により

71歳で母は旅立ちました。


正式には11時頃には息を引き取りましたが、確認がこの時間だったため、この時間になりました。


父は時間厳守で病院に戻らなきゃなので

母が亡くなって一時間後に病院に戻りました。

私といいそこらへんも母が計算したように感じる。。

母は常に自分より相手を優先する人だったから

きっと最後の最後までみんなのことを考えてくれたように感じた。お母さんありがとう。


翌日の9月19日お通夜  9月20日葬儀

無事に終えることができました。


11月5日 四十九日法要


なのでしばらく喪に服そうとかと。。


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気晴らし程度にポツポツ現れるかもですが、

ライブは四十九日法要が終わるまでは

お休みしようかと思ってます。