BWV245ヨハネ受難曲(Johannes-Passion)解説 | 頑張る指揮者 津田 雄二郎 Darts-studio

BWV245ヨハネ受難曲(Johannes-Passion)解説

先日の演奏会のプログラムに掲載した津田の解説です。

関係の方、ご参考にして頂けましたら幸いです。


BWV245ヨハネ受難曲(Johannes-Passion

テキストは新約聖書「ヨハネによる福音書」18-19章から引用。聖書朗誦の合間に、自由詩による合唱と独唱を挟んだ、「イエスの捕縛から磔刑、そして埋葬まで」を題材にした受難曲。

以下、「ヨハネ受難曲」を「ヨハネ」と省略して表記する。

【作曲・再演について】

初演172447日、バッハ37歳。それはバッハがライプツィヒ聖トーマス教会の音楽監督、いわゆるカントルに就任して初めて迎える聖金曜日であった。ライプツィヒでは、四旬節から復活祭までの40日間、教会における歌舞音曲を自粛し厳粛な雰囲気の中、復活祭を迎える慣習があった。バッハはカンタータの作曲を一時中断し「ヨハネ」の作曲に専念した。完成後この曲は1724253249年の計4回、部分改訂が施され演奏された。また1739年には市参議会の方針で急きょ再演が中止されたが、その際の10曲目までの改訂版が存在する。現在はその改訂版に続き、適宜別の「稿」の曲を用いた新バッハ全集(ベーレンライター版)で演奏されることが多い。因みに第2稿、3稿、未完の1739年稿、そして第4稿と改定が進むたびに初稿版に回帰しているところが大変興味深い。そのような訳で本日は1749年の第4稿(カールス版)を演奏する。


【楽器編成について】

フルート2、オーボエ2(オーボエ・ダモーレとオーボエ・ダ・カッチャ持替え)、ファゴット、弦5部、ヴィオラ・ダモーレ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、オルガン・チェンバロを含む通奏低音、混声四部合唱、ソリスト:ソプラノ、アルト、テノール(福音史家)、バス(イエス)、バス(ピラト・ペテロ)、因みにリュートは第4稿ではカットされている。

【全体の構成】

レチタティーヴォ(聖書朗誦)は、第1部に6曲、第2部に11曲の計17曲。自由詩によるアリアおよびアリオーソは、第1部に3曲、第2部に7曲の計10曲。自由詩コラールは、第1部に4曲、第2部に7曲の計11曲。自由詩による大合唱は冒頭に1曲と終盤に1曲の計2曲。以上全40曲からなっている。演奏時間は、休憩(20)を挟んで2時間20分(第140分、第280分)となっている。

【物語の大きな流れ】

この「ヨハネ」のアナリーゼ(楽曲分析)としては、スメントのシンメトリー説やマルティン・ペッツォルトの25場説があるが、私は全体を6つに分けてみた。物語として見た場合、以下の展開は非常に分かり易いと思う。練習の際もこの区切りを目安に進めてきた。それは端的に言えば「ヨハネ」を6つのカンタータに区分したようなイメージとなる。

① イエスの捕縛(№17

② ペテロの否認(№814

③ ピラトの尋問(№1520

④ 死刑判決への道(№21a24

⑤ 十字架上のイエス(№25a30

⑥ イエスの死・レクイエム(№3140


【台本について】

聖書のヨハネ福音書をベースとしているが、40曲中2箇所だけマタイ福音書の部分が引用されている。引用箇所は次の通り。①第1部の終盤、ペテロの否認(マタイ2676節)②第2部終盤、天変地異(マタイ2751-52節)。全体は40曲からなり、冒頭と終盤に自由詩による大合唱を配置し、福音史家によるレチタティーヴォ(聖書朗誦)が、アリア、アッコンパニャート、さらにコラールを繋いでいる。全体は2部構成となっており、第1部は14曲からなるイエスの捕縛ペテロの否認を内容とし、第2部は26曲からなり、ピラトの尋問、死刑宣告、十字架上のイエス、レクイエムを意味する。また第2部は、曲の配置がシンメトリー(両対象)となっていることが音楽研究家スメントにより提唱されている。聖書については、文体から当時のライプツィヒで使用されていたものとは異なったものであることが判明している。コラール、アリア、アッコンパニャートの自由詩については作者不詳。

【コラールについて】

バッハの受難曲に欠かせないのがコラールである。コラールは、各6場の中心軸に据えられ「ヨハネ」全体にちりばめられる重要なものである。教会に居合わせた信徒達に共感を求めると同時に、彼らのいっそうの信仰心を高める意図を持っている。冒頭の自由詩による大合唱は、物語全体を象徴する重苦しい雰囲気を持っており、同じく終盤の自由詩大合唱39曲目については、イエスへのとめどない思慕が切々と印象的に描かれ、悲しい物語の終焉に相応しい形となっている。終曲のコラールについては、復活祭の節目となる礼拝を無事終え、信徒たちが希望を持って次なる1年に初歩を踏み出せるように力強く明るい曲調となっている。

【アリアとアリオーソについて】

受難の場に居合わせた個人の視点から描かれたアリアとアリオーソ全10曲は、聴衆一人ひとりの個人的な信仰心と物語を結びつける役目を担う。その歌詞は、他の作曲家の既成の4種以上の受難曲から抜粋されており、バッハ自身が他者の作品から引用選定した可能性が高い。

【登場人物について】

福音史家(エヴァンゲリスト)のテノールが、チェンバロとチェロの通奏低音の伴奏によってレチタティーヴォ(聖書朗誦)形式により聖書の物語を進めてゆく。イエス役のバスのレチタティーヴォは、オルガンとチェロで荘厳に奏される。他のソリストは、ペテロとピラトはバス、従者はテノール、女中がソプラノとなっており、チェンバロとチェロによる通奏低音で伴奏される。


【合唱について】

合唱は、信徒の立場の自由詩大合唱とコラールを担当するだけでなく、イエスに反抗する兵士やユダヤの群集をも担当するなど、その相反する性格描写は多様である。さらには全体の中での合唱の使用頻度も高いことから、「ヨハネ」においての合唱は大変重要な役を担っており難易度も非常に高いと言える。

【ヨハネ受難曲面白雑学】

「ヨハネ」1曲目「Herr, unser Herrscher:主よ、われらを治めたまう主よ」において、冒頭テーマの1拍を、

ピカルディーカデンツ(長調終止)にすると(シ♭、ラ、シ♭、ド、シ)アルファベットに置き換えるとBABCH

これはまさしくバッハBach本人の名前と一致する。バッハは曲冒頭に自分の存在を刻み込んだ。

② 1曲目前半は58小節からなる。ドイツ語のHeiligen-Geist(聖-霊)のGeistを数字に置き換えると、7+5+9+18+19=58。これだけだったらただの偶然の一致。しかし、1曲目全体は153小節、この153とは実は驚くべき数字。ヨハネ福音書の続章(21)には復活後のイエスのエピソードとして、「その夜は何も獲れなかった。・・・イエスは彼らに言われた。『舟の右側に網を降ろしなさい。そうすれば獲れます』そこで、彼らは網を降ろした。網は153匹の大きな魚でいっぱいであった」とある。私は、バッハはこういったことを意図的に曲中に仕組んだとは思わないが、何か大きな力が彼に働いていたのではないかと思えてならない。因みに153は数学的に見てもかなり意味深い数字とのこと(URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/153  または、http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/104seisho.htm )

 12c曲「weinete bitterlichペテロは激しく泣いた」の半音階表現について。

「鶏が鳴く前に3度否認するだろう」と言ったイエスの言葉を思い出し、ペテロは外に出て激しく泣いた。この部分はマタイ福音書からの引用。福音史家は「いたく泣けり」という部分をゆっくりと長い半音階的なラメント(悲しみの)進行で、上下行8半音を用い切々と歌う。終わり2小節アウフタクト以降は音符が交錯し音符と音符を線で結ぶと十字形(or十字状)になる。通常言葉を伝えるレチタティーヴォにしては驚くべき長さのこのメリスマ(装飾旋律)は聴く者の心を痛く打つ。私はこれほど悲痛に満ちたレチタティーヴォを他のバッハの作品でも聴いたことがない。

④ 18曲「geisselte鞭打つ」について。

イエスの鞭打ち刑は40回だったのではないか。バッハは驚くべきことに、この部分を16分音符40個分で鞭打ちの回数を表現している。正確にはユダヤ兵ならば39回だが、ローマ兵なら40回以上であったであろう、ということもバッハの音楽は暗示している。聖書申命記の第251節から3節には「人と人との間に争い事があって、裁きを求めてきたならば、裁き人はこれを裁いて、正しい者を正しいとし、悪い者を悪いとしなければならない。その悪い者が、鞭打つべき者であるならば、裁き人は彼を伏せさせ、自分の前で、その罪に従い、数えて彼を鞭打たなければならない。彼を鞭打つには40を越えてはならない。もしそれを越えて、それよりも多く鞭を打つ時は、あなたの兄弟はあなたの目の前で、辱められることになるであろう」とあり、ユダヤの律法により、鞭打ちは39回と定められていた。しかし実際にはイエスの鞭打ちは、ローマ兵が行っているため、この法は適用されなかったようだ。また奇しくも「ヨハネ」の全曲数とも一致する「40」は、「イスラエルの民の流浪年数」、「イエスの荒れ野の修行の日数」、「イエスが復活後に証を行った日数」であり、キリスト教にとって大変重要な数でもある。

⑤ 22曲コラール「Durch dein Gefängnis:あなたの捕われにより」について。

音楽学者スメントによれば、「ヨハネ」をシンメトリー構造とすると、第22曲は全曲のちょうど中央に位置する重要なコラールであるという。それは「主が受難を受け入れて下さったから、私たちの自由が約束された」という逆説的な内容であり、シンメトリー構造の要としても相応しい位置に存在する。まさに「ヨハネ」の趣旨がここに集約されているといっても過言ではなかろう。

⑥ 30曲アルトアリア「Es ist vollbracht ! :成し遂げられた!」について。

トンボー(仏語: tombeau)とは、フランス語で墓石や墓碑のことを指す名詞であり、音楽用語においては故人を追悼する器楽曲の意味で使われる。たいてい17世紀から18世紀までのリュート音楽と結びついている。この30曲目はイエスの死を悼むアルトのアリアだが、曲の前後半に古楽器のヴィオラ・ダ・ガンバが使われる。中間部は一転して勢いのよいヴィヴァーチェとなり、死から復活へのイエスの勝利を称える。再度静かに追悼曲に戻り終わってゆく。

⑦ 多感な人間バッハ。

バッハの教会カンタータの曲中には、通常3~4曲のソロ及びアッコンパニャートが含まれるが、2時間を超える大曲「ヨハネ」にソロ及びアッコンパニャートが10曲というのは割合としてはかなり少ない。しかし後半、イエスの死を境に堰を切ったようにソロ及びアッコンパニャートが演奏される。バッハは曲前半においては、具体性を重んじるヨハネ福音書の記述に従い、レチタティーヴォと合唱を多用して音楽においても具象的な表現を貫き通したが、後半物語のクライマックスを迎え、彼は湧き出でる感情を抑えきれなくなったのだろう、抒情的な表現溢れるソロ及びアッコンパニャートを多用せざるを得なくなってしまう。そこに人間的に多感なバッハが見える。

⑧ 終曲の紆余曲折ついて。

2稿の第40曲においては、第1稿の第40曲がカンタータの23番の終曲に差し替えられた。それは、カトリックの教会旋法による調性感のないテーマを、ラメント、フーガ、対位法を用い複雑に展開してゆく手の込んだ作品である。しかしこの作品は惜しむらくは復活祭に相応しい雰囲気を持ち合わせていなかった。バッハは次の第3稿でこの曲を削除し、自信作の39曲「Ruht wohl安らかに」の埋葬歌、まさしくレクイエム(鎮魂歌)を終曲に据えた。これは歌詞の意の通り、涙が枯れるほどの名曲である。因みにこの曲は葬儀に適した作品と筆者も確信する。しかし終曲としてはこれもイースターの祝祭感には相応しくなかった。ついにバッハは初稿の第40曲「Ach Herr, las dein lieb Engelein:ああ主よ、あなたの愛する天使を遣わされ」を第4稿において復刻したのである。これこそ復活への希望に溢れた「ヨハネ」の最後を飾るに相応しい名曲であった。昨今第4稿が注目されるのは、こういった背景もある。

(参考出典:Wikipedia バッハアンサンブル富山BBS

モーツァルト記念合唱団常任指揮者  

津田 雄二郎