巡りめぐりて ⑤
翌日、
本当ならば皆翌日朝から仕事であるために、
早々と そのひまわりを育ててくださったおばさんたちに
感謝とごあいさつをもって表敬なる訪問を果たし、
帰路につくはずであった。
しかし、ここは我がままをお願いし、
往々にして夜のとばりが落ちはじめてから営業する
ということが常であるダーツバー、lそれを考慮し、
日中の予定を改めて組み直してもらった。
当初の予定のなかった宮城最北端、唐桑半島、
そこにある津波体験館に立ち寄ることを決めた。
youtubeなどを見れば、ここ唐桑半島の津波惨状も
目にすることも可能だが、序々にでも
元の生活に戻そうとする覚悟の現れか、
途中、あの高田の花壇に、また入れてもらおうと
花の種を買いつけに立ち寄ったお店のおばちゃんも、
道路脇を補修するおじさんも、笑顔で接してくれた。
軒並み吹き変えられた瓦屋根が
夏の陽射しを反射してまばゆく、
それらに気づかなければ、ここに
あんな大きな異変が襲った事に気付けないほど
おだやかな風景が並ぶ。
ここ唐桑半島の岬突端には、
一千余年の歴史に包まれた「御崎神社」が鎮座する。
海猫の鳴き声に、風に吹かれた
絵馬がカランコロンと伴奏をつける。
ここ御崎神社の裏手には、津波体験館も有り、
過去、この地方を襲ってきた津波の逸話、記録、写真などとともに
展示されている。
陽の光が 序々に衰えを見せ、
街の空気が緑から橙に変化しかけたころ、
我々は陸前高田へと入って行く。
街に響く、大型ダンプのアクセル音、
建設機器が動く機械音、合図を示す クラクション。
その中、遠くに目にする蟻の行列のように映る人の群れ。
奇跡の一本松モニュメントへ通づる人達の流れだった。
たしか、前回訪れたのは、
あの奇跡の一本松が再生の加工を施されるため、
いったん切られ京都だかに移送されるという
日であったことを思い出した。
この風に枝さえも一縷もそよがぬ松のモニュメント。
地元の人は、いったい、この松に対し
どれほどの思い入れがあるものなんだろうか?
そんなことも感じながら。
昨夜、ちょっと来た時は、真っ暗闇、
四方には、土地のかさ上げ(8メートル地盤を上げるのだとか)
のためか視界を遮る土の山がピラミッドのように暗闇に存在し、
怖ささえ感じたが、今日は 工事関係者や各地のボランティアの人の姿、
行き交う車によって昨夜ほどの恐さはなりを潜めてはいる。
いくつかの建物を残し、ほぼ建物も撤去されていた。
ひまわりを大切に咲かせ、面倒見てくださっている、
あの"森の前(住所)"のおばちゃんたちが目に入る。
花壇の目の前に丸太と竹で作られたあずま屋にて
しばし歓談に応じてもらい、時の流れや現状を知る。
一本松のこと、かさ上げ土地、人、とりわけ若い人の流出、
むしろ、今、落ち着いてきたかこそ沸き上がる不安や焦燥などなど。
気仙沼は、来る度に序々とはいえ更地から
人の営みの象徴であるコミュニティ、
お店が散見されるようになってきたが、
南三陸を始め、ここ陸前高田など、
更地に雑草が見渡す限り一面覆っている現状。
新たな街づくりのために、まずは綺麗に更地から
というのは理解できるけれど、
(残骸とはいえ)知っている建物がどんどん無くなっていき、
自分たちの居所は仮のままとなると、
虚無感がただただ増すばかりと云う言葉が
やけに印象的に残っている。