④ シナプス反応 | Prose 

④ シナプス反応

つまり、運転という、

長く経験すれば無意識下に刷り込まれる前の、

未だ「考える(ながら)」段階にある人に、


更にカーナビ情報などを見聴ききさせ、
「考える」脳内作業を加わえてしまうことで
処理が間に合わないという状態を
作りだしてしまう。 


カーナビに頼ってると道を憶えない。

などと聞くこともあろう。それは、
まったくの初心者にとっては、
カーナビに頼るどころか、運転がおぼつかなくなる。


せいぜい 音声が唯一少ない情報流入であり、
目で追う画面、信号、歩行者、路地、標識、
などは目から入った多くの情報が、

網膜を通して脳内処理されているわけだから、
そういう意味でも 足かせが増える・・となりかねない。


カーナビで思いだしたが、

自分自身今は、運転しながらカーナビを流し、
i-Padでもナビを表示したりする。

プログラムした人によってだか、
条件設定によるものだか、

その目的地に誘導する道筋が当然のように違う。


その中で、自分は無意識に「感じ」ながらチョイスし、

時に、どちらの誘導路もそむいて舵を切る。


仮にだ、技術革新の今の世、
右側の前後タイヤの方向性を
i-Padナビに連動させ動かし、


左側の前後タイヤの方向性を
カーナビと連動させて動かしたなら


運転手である自分がハンドルを離し、
まさしく 「いけるなら行け」 

安全に早く行けと手をほどいた場合、

うまく連動をはかれるとは思い難い。


どちらも プロと言われるプログラマーが
プログラミングし制作された商品であるはずなのだが。


安全に到着を叶えるならば、
やはり、ナビゲーションを一つにするか、
あえて二つ使う場合には、条件設定や連動性を高め
やはり自分が ハンドルを握り 曖昧にしないこと。

そして、自分で決めてルートを選んでいくことと言える。


コンピューターのプログラミングより、

さらに高次な処理能力を持つ、人間の頭なら

なおさら 曖昧は、多くの可能性を導きだしてしまい、

そのぶんだけ合致する選択肢の確立を低くしてしまいかねない。



(⑤につづく)