② シナプス反応
ここまで話せば、
どこへ話題が行ってしまったか判らぬ(笑)
昨日のWBC、プエルトリコ戦終盤での
ダブルスチール※ミスの共通性も視えてこよう。
※ダブルスチール…1塁上にいる選手が2塁へ、
2塁上にいる選手が3塁へ、2人の走者が
ほぼ同時に次の累を走塁によって陥れる行為。
(打者は打たない。)ゆえに
投げる人は、遅いモーションで投げると
走りやすくなるので、それを阻止するために
クイックモーションという方法により、
その盗塁(スチール)を阻止しようと掛けひきをする。
接戦終盤、ビハインド状態。
メンバーの中では、頼れるうちの一人、
打つ確立が高いうちの一人が座する
4番目の打者であり左打ちの打者、阿部選手。
キャッチャーはメジャーリーグ屈指の強肩
と言われるモリーナ選手。
捕手から2累までと、
捕手から3累までの距離差(約10メートル)
などなど、
それぞれの条件を頭に並べたてて
成功率のソロバンをはじき判断し
決断まで持って行く。
しかし、
その「考える」条件のそれぞれの中に、
これまたそれぞれの選手が「感じる」是非が存在し、
それこそ数値化、条件化出来得ない
個性や感性をも含まれているところに
1+1ではない難しさがある。
ANAのCAの方々が目にする、
あらまぁ!と思うほどの
(思うかどうかは判りませんが、
少なくともそういう組織を目指す人にとっては、
その企業と個人の関係性から視て
それを「はぁ~?」と思う人は、
そもそも入らないのかも知れないしなぁ)
髪型に関する膨大な決まり事を作る目的もそうだったように、
個人の「個性」やら「感性」やらは、
大勢でシステム的に動かんとする時、
時として一糸を乱し、往々にして
そこから大きくほつれを見せてしまう事も少なくないし。
つまり、野球ならば敗戦を、
会社なら信用を。
個別の盗塁(個人だけに任せられた世界なら)は、
自分自身の力量を熟知した上で、「感じる」
いけるいけない(成功するしない)のタイミングをもとに
感覚的に判断、決断をする。
それこそコンマ何秒という中で。
その「考える」を更に 無意識下した「感じる」ことを
同じワンシーンの中に、
別々の感性(選手それぞれ)のするどい複数の者たちを
あの瞬時に「いけたらいってもよい」というのは、
<2塁走者、1塁走者という環境条件の違い>、
<個人の走塁能力の違い>という重要な要素を
局面にフィードバックできないのは、
「挑戦」と「無謀」の狭間で大きくその針が
失敗にむかって動いてしまったと思ってしまう。
"こうしたい"(展開や流れをこちらに向けたい)
という思いが、焦りを呼び、
先だっての鳥谷選手の奇跡の盗塁の成功例も
成功体験として確実なものと見誤り、
その希望的観測と相まったのか。
それはまるで、子供時代の鬼ごっこ。
鬼が近づき、過ぎぬ間に
じっと堪えていられずに 見つかることを恐れ、
(見つかった場面を想像してしまっている)
より安全な場所に我が身を移そうと行動し、
物音立てて まんまと見つかってしまう
心理状態に似てる。
それは、
勝ちを焦り ゲーム終盤
「Nice try!!」とばかりに
自分のスタッツをかえりみず、トリプル狙いする
(実際には狙える条件を身体が満たしていない)
カット(阻止)に行く行為にも似ているよう。
そう、、挑戦と無謀は違うし、
あてずっぽうと勘も違う。
(③につづく)