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レプリカジーンズのパイオニア ステュディオ・ダ・ルチザンのブログ

ダルチザンの野上です。


今回は1950年代の音楽の紹介です。


エドワード・レイ・コクラン
Edward Ray Cochran, 1938年10月3日 - 1960年4月17日)




通称はエディ・コクラン(Eddie Cochran)。


アメリカのロカビリー奏者で


ロックンロール草創期に活躍した大スターの一人です。


代表曲は「サマータイム・ブルース」「カモン・エヴリバディ」「サムシング・エルス」など、、



ザ・フー、レッド・ツェッペリン、ストレイキャッツなどがカヴァーした事でも有名です。



レッド・ツェッペリン「カモン・エブリバディ」

ストレイキャッツ「カモンエブリバディ」 


エディ・コクランはミネソタのアルバート・リアという小さな町に誕生。


1955年、ハンク・コクラン(血縁関係なし、後にカントリー・ミュージックの作詞作曲者となる)と「コクラン・ブラザーズ」というデュオを組むと同時に、セッション・ミュージシャンとしても活動を始めます。



その後ソロになりメジャーレーベルのリバティレコードと契約し、1956年には、映画「女はそれを我慢できない」に出演、


作中で「トゥエンティ・フライト・ロック」を演奏する。さらに1957年に発表したジョン・D・ルーダーミルクが書いたシングル「シッティン・イン・ザ・バルコニー」が最初がヒットします。



そして、彼の代表曲(マネージャーのジェリー・ケイプハートとの共作)「サマータイム・ブルーズ」が1958年6月11日に発売されると、9月にはビルボードの8位まで上昇します。



その後も「カモン・エヴリバディ」「サムシン・エルス」「マイ・ウェイ」「スリー・ステップス・トゥ・ヘヴン」などのヒットを連発します。



、、、、、、しかしイギリスツアーの最中の1960年4月16日、、、、、、、、、



婚約者でソングライターのシャロン・シーリー、歌手のジーン・ヴィンセントと同乗したタクシーが街灯に衝突して大破、、、、




コクランらは病院に搬送され、同乗者2人は助かったものの、コクランは翌日死亡しました。




享年21でした。


死後、コクランと交流のあった1959年に飛行機事故で死去したバディ・ホリー、リッチー・ヴァレン、ビッグ・ボッパーへの追悼のために制作された「スリー・スターズ」が発売され、

1987年にはロックの殿堂入りを果たしました。



エディコクラン「カモンエブリバディ」





この人のもう一つのあだ名が「エルビスになれなかった男」というものです。




またエディコクランの人生を表した言葉に




「”人生を駆け抜け、


若くして死に、


美しい遺体を残す”


のは伝説の人物になるための方法である」


とあります。


エルビスより自分はエディ派です。(笑)