先日、アルバム完成したにも関わらずKEN THE 390が録音してたのは・・・
歌詞が検閲で引っかかったためだ。ちなみに同じ会社のNORIKIYOもそれで発売延期になってるのだが・・・
NORIKIYOのライムへの検閲も全く言いがかりに近い文言だったけど。
KEN THE 390が引っかかった入魂のギャングスタ・リリックは・・・
「嘘つかない インディアン」
ううむ、ギャングスタ!
ちなみに・・・インディアンという呼称はネイティヴ・アメリカンであるべきで・・・しかも嘘つかないインディアンという表現はある種の差別的なものに当たるという。
さて、これがネイティヴ・アメリカンの団体からの抗議で問題になったかというと、そうではなくて。
RHYTHM ZONEの社内規定に引っかかり、リリース前に自主規制します・・・というコトなのだ。
もちろんKEN THE 390には全く差別意識はない。ライブでもポンっと耳に入ってくるイイラインだったんだけどね。大人な彼はリリックを16小節書き直して録音し直した。結果、より強度は増した!
例えばここで主張するコトも出来ただろうけど。KENが戦う場所はココでは無いってコト。
RHYTHM ZONEも同じチームだからね。
けど、こうした言葉狩りってのは常にある。しかも大概批判を恐れた自主規制が多い。
差別用語に対する個人的なスタンスとしては・・・言う人の心というか気持ち次第で。
どんな普通の言葉でもそこに差別意識があって話されてたら、相手を傷つけるし。どんな言葉でもそんな気持ちが無ければ相手を傷つけないと思う。
言葉という入れ物ではなく、そこに入れられた気持ちの方が問題だと思う。
俺はロンドンに居た時は良く。
「おい、中国人、なんでナイフとフォーク使ってるんだ?ハシで食えよ!」
「日本は戦争したとき、火炎ビンと竹ヤリで戦ってたんだろ?えらそうにしてんなよ!」
「クビからカメラぶらさげなくていいのかよ?シャッター・チャンスだぜ」
などといった言葉を直接吐きかけられたコトがあった。相手は同年代の子供とかだ。
ここで話されてる言葉をいちいち差別用語として規制するコトは出来ないけど。要は・・・どんな気持ちが入ってるかだ。上のような瞬間にはいちいちかなり凹まされた。
逆に何言われても相手が冗談だったり、友達としての普通の話だったりすれば全く気にならなかったネ。
スチュワーデスが客室添乗員になり、八百屋や魚屋という言葉がなくなッたトコロで。
本当はなにも変わっちゃ居ない。ごまかしてるだけだ。
ただ、言葉が狩られていく背景で・・・例えば夏目漱石や開高健の小説だったりが読めなくなるなら
、その方が問題だと思うんだよな。ちびくろサンボしかり、ジャングル黒ベエしかり。
ラッパーは言葉を扱う稼業だから。
こうした問題には常に意識的でいるべきだ。デリケートな問題ではある。
と一気に書きましたが。
先日、とある雑誌編集の人からこんなコトを言われた。
「こないだダメレコさんからリリースした●●ありましたよね?凄い面白いと思ったんですよ。なんで音送ってくれないんですか?取り上げられたのに~」
なるほど。
確かにそこにはサンプルの音を送ってなくて。取り上げてもらえなかったようだ。
だけど。
雑誌って、そもそも・・・記者とかライターさんがいて。
取材するもんじゃないの?自分で面白そうな素材を見つけたりして。
いつからか送ってもらった資料を発表するだけの受身な媒体になってしまったようだ。
そんなんだから・・・どんどん雑誌が無くなってるんじゃないのかな?
送ってもらった資料から適当にピックアップして紹介って・・・楽だよな~
でも、この状況は・・・俺も含めて。取り上げてください!お願いします!という態度を取らざるを得ないレコード・レーベル側の問題でもあり。
ああ、大変だ~・・・と考えは堂々巡りするワケです。
先日、裏表紙載せるから50万くださいと言って来た雑誌も見事廃刊となり。
ああ、最後ッペだったんだな~と思った。
考えるべき課題は山積みだ!
さあ、ミーティング、ミーティング。
お返事コーナー
将>>ご馳走様!なるほど遊ぶね~