Roll of The Dice ー スパイスのブログ ー

Roll of The Dice ー スパイスのブログ ー

稀に・・・となるかも、ですが、音楽や演劇、書籍について書きたく思ひます。

ブログを更新しました:

『ソウルメイト』https://ameblo.jp/darshaan/entry-12403404743.html

 

 

昨日だか一昨日だか、久しぶりにクリス・レア(Shine,Shine,Shine)をアップしたら、昨日亡くなっていた。74歳。

 

◼️記事

 

 

30年ほど前に膵臓癌を患い膵臓を摘出。以後も何かと病気がちだったとか。全然知らなかった。

 

彼の音と出会ったのは、諸人と同じくOn The Beach(86年)。 マイナーコードで渋い声、ジャンルはAORとされたがそんなムーディーな言葉の軽さに収まらぬ、深いものを感じた。

 

◆On The Beach 

 

 

このタイトル曲をはじめ、本盤は時にマイナー、時にメジャー。コードは様々だが決して浮かれることなく淡々と進む。ため息、微笑、そして諦念。さらに言うなら「絶望」。

音楽界でも孤高の人ではなかったか。

 

ギターを覚えたのが22歳、デビューは27歳と、遅咲きだったこともその理由の1つかも知れない。

◆78年のデビュー曲、〝Fool〝.

 

 

あれこれ述べるのは控えよう。ちょうどクリスマスだから、

◆Driving Home For Christmas 

 

 

◆Winter Song

 

 

 

日本じゃさほど人気なかったクリス・レア。が、母国英国をはじめヨーロッパではスターもスター、20年前の時点でアルバムセールス3,000万枚を超えている。

この辺りシンプリー・レッドを彷彿させるが、自分が訃報に接したのもYouTube のコメント欄(全部英語)だった。

 

山内テツさん、スティーヴ・クロッパー、そして彼。逝去が続き、自分は鬱々としている。

 

◆Shadows Of The Big Man

 

 

 

 

 

 

 

今日は音だけ、題もなし。

昨日のフリートウッド・マックに続いて連投。

 

先日アップしたサンタナを私は「ラテンアメリカ音楽のとっかかり/入り口」と称した。グロリア・エステファンや、遡ればセルジオ・メンデスもかくの如し。

マイルス・デイヴィス的にはムトゥーメ、アイアート・モレラやフローラ・プリム。ウェザーリポートならマノロ・バドリーニャ&アレックス・アクーニャの打楽器隊も然り。

 

で、サンタナの次はグロリア・エステファンを貼ろうと思っていたが、「徐々に」はやめて、いきなりモノホン(?)に突入いたします。

 

コロンビアのカルロス・ヴィヴェス。学年はオレと一緒。

 

 

彼を知ったのは14-5年前、世界平和を企む例の秘密結社Playing for Changeで。← 最後に貼ります

 

かのNPR/Tiny Desk Concertで紹介されているとおり、氏はバジェナートとロックンロールの融合。バジェナートとはつまりトロバドゥール、吟遊詩人に近く、村から村へ渡り歩く牛飼いあるいは羊飼い、ラクダに乗った隊商でもいいのだが、往古情報伝達の重要な役だった。

伝承や時事を語る。日本なら琵琶法師に当たるだろうか。おフランスだとランボオみたいな人スかね。

要は「語り部」である。

 

ラテンアメリカは「物語」の伝統が深く、ガルシア・マルケスの有名な『百年の孤独』、バルガス・リョサなら『緑の家』がそれそのもの。ボルヘスもまぁそうだが、この「物語」で以てノーベル文学賞をとったといっても過言ではない。人口に膾炙するマジック・レアリスモは特徴的ではあるが、本質はむしろ「物語」じゃないだろうか。

 

愛と平和とラブ&ピース。まぁ同じ意味なわけだが、加えて人生の苦悩や何かを表す文学が日本や米国、欧州では多数派だ。ところがラテンアメリカでは「世界」つまり、あるひとつの土地 ー 実際の場所でも仮構でも ー に根ざしたワールドが描かれる。『百年の孤独』なら南米奥地のマコンドという村におけるブエンディーア一族の百年の歴史だし、キューバの作家アレホ・カルペンティエールの『この世の王国』はある奴隷の視点で、ハイチの実際の歴史を綴った魔術的リアリズムの習作だ。

※ コックから大統領になったトゥーサン・ルヴェルチュールら黒人が、ナポレオンの軍隊に(日露戦争より100年も前に)勝ったことも『この世の王国』で知った。

 

一読して愕然、その衝撃は初めて仙台で牛タン食った時の上を行く。自分の視界はこれらの文学で著しく広がったが、いずれもその叙述法は「物語」である。

(これは宗主国スペインの『ラサレーリョ・デ・トルメスの生涯』ー 放浪する、いち少年のピカレスク・ロマン ー、 なんならセルバンテス『ドン・キホーテ』等〝語りの手法〝がラテンアメリカに伝わったのかもしれない)

 

◆バジェナートを展開するカルロス・ヴィヴェス(2024年)

 

 

これはいったい何を言ってるのかというと、「ガボ(ガルシア・マルケスのこと)は故郷を顧みず、高級車で帰省してもたった2時間で帰っちゃった」「ノーベル文学賞をとったのはベネズエラで、死んだのはメキシコ。成功したのに金もよこさず、奴は故国に何ら貢献していない」「あいつはカリ・カルテル(南米3大麻薬カルテルの1つ)とカストロの橋渡しまでしたクソ野郎」てな意味。自国コロンビアの英雄をめっちゃディスっている。

 

面白いのは、あくまで陽気に揶揄している点。そして、このバジェナートに若いおねーちゃんたちがウケている点だ。到底日本じゃあり得ない。

 

そして語りは「音」にも如実。ガイタGaitaと呼ばれる縦笛(※)の使い手マイテ・モンテーロ女史を常に起用し伝統的な楽器を用いるのと同時に、エレクトリックの重低音(このアルゼンチン人のベーシスト!)で語りに深みを与えている。バジェナートとロックンロールの融合が、ヴィヴェスの新しい点。

※ 侵略しにきたスペイン人がGaitaを初めて聴いたとき、バグパイプを想起したとか。

※ ブルガリアにもガイダという縦笛があり、バルカン半島のバグパイプとされている。似たような例では打楽器だがイタリアのタンブレッロ、インドのタブラ(タンブーラ)、ドミニカのタンボラ、コロンビアではタンボールなど。人の移動によって伝播するのですね、楽器も音も。

 

では音。Tiny Desk Concertには2種類あって、メインはワシントンD.C.での本編。もうひとつは当該のミュージシャンが自宅で演奏するTiny Desk Home  Concert。

今日は後者。4曲で21分、Yes『錯乱の扉』より短いし、とにかくめちゃカッコいいから聴いてみそ?

◆Carlos Vives ー Tiny Desk Home Concert(2020年)

 

 

過日紹介したクランベリーズみたいに1曲ごとの切り取り動画がないから、全編上げました。グルーヴと静謐の対比、「語り」。

俺は3曲目のBicicleta(自転車)という曲が、特に好きです。

 

ついでに、今年9月にやったD.Cでの本編を直貼りしときます。

 

 

「みなさん、サバンナの新しい魅力を伝えに今日は来ました。これらは時代を先取りしており、戴冠した女神がいます

人生は順調に進んでおり、魔除けの女神の王冠を待っています

 

私は次のことを伝えるためにここに来ました

私は愛する王たちと神々を知っています

そしてあの女神の名は、高貴な人々に由来します

女神は高位であり、同じ動きをし、同じ考えを持ち、サバンナで喜びに歌い、〝かわいそうなレアンドロ・ディアス、彼は山の上で悲しんでいる〝と歌います」

 

ー ディオサ・コロナーダ(冠を戴いた女神)ー

 

ハッピーに、不幸な人を歌うという(笑)

寓話もまた物語の伝統であるが、これも今の日本にはなかなか無い。「自分を信じよう、わたしがんばれ」とか、悲しいなら悲しいと直截に。〝仮託する〝ということが無い。

 

異なる点はほかにもあって、それは、ラテンアメリカの人々は国が違っても互いに「兄弟」と呼び合うこと。カルロス・ヴィヴェスだけじゃなく、グロリア・エステファンでもペルーが舞台の曲をやった折「フォークランド紛争のとき、ペルーの兄弟たちが援助してくれたのを決して忘れません」、そうアルゼンチンの人が。

同じスペイン語ということはあろうが、例えば日本人が中国や韓国の人に対して「東アジアの兄弟」と呼ぶなど、まあ無い。「あいつらは!」とディスるのがせいぜいだ。

 

西欧列強に迫害されたという共通の歴史だけで、この紐帯は測れるものだろうか。

※ 同じく支配された、例えば東南アジアでは、果たしてどうなのだろうか。

 

かくして音楽は、いろんなことを学びあるいは考えさせてくれる。逆に言えば、宝塚歌劇なら〝キキちゃん、キャ〜素敵❤️〝だけでは、何も観たことにならないのである。

 

さてTwitterで「音楽は国境を越える、というのは本当か」と疑義を呈した人があった。氏がおっしゃるには「西洋音楽、その音階の一定の学校教育があるからこそ、人はロックンロールを楽しむことができるのだ」。

うむ、然り。幼児はロックを解さぬし、俺が平安時代に生まれていたら、スティーヴ・マリオット@フェイセズを耳にしても雑音にしか聴こえないかもしれない。

 

いっぽう信長や秀吉が、伴天連がセミナリオで奏でる西洋音楽に深く感動したという記録もある。「違う」ということが、「違い」そのものが、感動や共感の基のひとつ。そんな面もあるのではないか。

もしそうなら、まことに不思議なことである。

 

◆最後はカルロス・ヴィヴェスが世に出た〝La Tierra Del Olvido〝。PFC版で。

 

アルバムを見返すタイミングはいつ?

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ないですね。小・中・高の卒業アルバム、実家売却とともに全部廃棄されたしね。
 
さて、チンカス鹿市早苗のいわゆる存立危機事態、ひいては藤村某なる九大准教授の〝『1つの中国論』なんて間違い!〝(東洋経済オンライン)を嘲笑しつつ、「おまえらこそ存立危機だろうが」とツッコむ俺。
それでもカルロス・ヴィヴェスのNPR/Tiny Desk Concert でラテンアメリカ音楽に耽溺、岩桑みどりの大著『クワトロ・ラガッツィ ー 天正少年使節と世界帝国』(集英社文庫)を読了。今から約450年前の日本と世界。ポルトガルとスペインが織りなす世界帝国物語に突入していった日本の4人の少年はしかし、足掛け8年のヨーロッパ遠征から帰って来たらば我が国は、秀吉-家康の禁教令。大変なことに。
 
壮大なる往古の歴史、先達の往き方に照らしてみたとき、さて日本においてクリスチャンであるとはいったいどういう意味なのか。
深く深く、思いを巡らせる今日この頃。
 
こんな問いに比べ、チンカス高市などまるで問題にならない。いやそれはそれで大問題なのだが、あまりにレベルが低すぎて。
「馬鹿を首相にしてはいけない」ってことよね。
 
 
話を戻すと、フリートウッド・マックのアルバムは(も)ほぼ全部持ってます。卒業アルバムは、つまり自分の思い出はことごとく廃棄されたが音は別。音さえあれば、昔も今に甦る。
 
でもこのアルバムは流石に持ってないなあ。
 
 
◆Seven Wondersのライブテイク(1988年、ドイツ)。

 

 

アルバムバージョンはシンセサイザーをフィーチャーしているがこのライブでは後ろに引っこみ、逆にギターが前に出て荒々しい。うむ、好みである。
 
1975年、隣町の友人シンゴと山に登って眺めた下界。茶色の田んぼが広がって緑の里山、ダークグレーの市街地と、薄いグレーに薄茶の炭住(炭坑の住宅群)が対を。風が吹いていた。
◆Spare Me A Little Of Your Love(スタジオセッション)

 

 

奴と山に登ったのはメガヒット・アルバム『噂』より前。『ファンタスティック・マック』の頃。
 
ラストは『噂』より後の曲。リンジー・バッキンガムは一時退団、別の人たちがギターを。
◆これまた風が吹く、Save Me.

 

 

思い出は、かくして音とともに甦るのだが、紀元前をB.C(Before Christ)、紀元後をA.D(Anno Domini =主の後という意味のラテン語)で表すように、マック的にはB.R/A.Rというのが適当かもしれない。
※ 噂=Rumorsすね。
 
そして今年はA.R48年。おめでとう御座います㊗️

※ NPRミュージック/Tiny Desk コンサートで歌うジミー・クリフ(2010年)。

 

 

いしだあゆみにぽんたくん、オジー・オズボーン、ダイアン・キートンそして仲代さん。いろんな人が亡くなって俺は悲しい。

生き物だから死ぬるのはやむを得ないが、極力死なん方がいいですね。残された者が悲しむからね。

当人が思ってるより、少なくとも52倍は。

 

ジミー・クリフも逝っちまった。行年81。

 

 

氏の偉業は先ず、ファーイーストの日本にまでレゲエを知らしめたこと。ボブ・マーリーとピーター・トッシュそして彼がレゲエをワールドワイドたらしめたこと、異論はなかろうと思う。

遡ればレゲエ自体は60年代からあった(ビートルズの『オブラディ・オブラダ』でその存在を知った向きも多かろう)。また80年代以降は、サード・ワールドやスライ&ロビー、マキシ・プリーストやシャバ・ランクスらの活躍でレゲエも超メジャーに。

しかし70年代、少なくとも極東の日本では、レゲエといえばこの3人くらいしかいなかった(人口に膾炙していなかった)。で、認知されたのは例の映画がとても大きい。

 

◆『ザ・ハーダー・ゼイ・カム』よりオープニング曲。

 

 

確か映画もサントラも、これが冒頭。前者ではあたかも山本コータローの如く〝岬めぐりのバスは走る〝、そんなシーンでかかったのではなかったか。

自分が観たのは高2んとき、福岡の中洲大洋で封切りを。The➕比較級の構文、「〇〇すればするほど〜」を学校で習った頃だったから、「おお、これか!」と変に感動したのを覚えている。

 

それでもジャパニーズにいちばん有名なのは、こっちかも知れない。

◆I Can See Clearly Now(映画『クール・ランニング』より)

 

 

「おお、これか!」という意味ですね意訳すると。

ちなみにちょうどこの映画の頃、会社の後輩ムラマツ君が

 

「スパイスさん、オリンピック行きませんか」

「見に行くの? けど外国行くほど休み取れるかなぁ」

「違いますよ、出るんですオリンピックに。ほれ、超マイナーな競技なら競技人口少ないから代表になれるかも、ですよ♪」

「マジか! しかし一応練習せんといかんし・・・そっちの方が休み取れなくね?」

 

けっきょく休暇問題でオリンピック出場を諦めたという。。。

 

さてジャマイカといふところは英国の旧植民地、現在英連邦の構成国である。公用語はイングリッシュで車も左側通行。

カリブ/ラテンアメリカはほとんどスペインが、ブラジルもポルトガルが支配していたから「ラテンアメリカ」。ジャメイカもご多分に漏れずスペインがアレしたのだが、17世紀半ば、英国領に。

 

ラテンアメリカ諸国じゃ英国のアレはジャメイカとトリニダード・トバゴ。あとはバハマの一部と、国じゃないけどアルゼンチン沖のフォークランドすかね。

お金があっておつむりのよろしい人は、ゆえにロンドン近辺へ留学(※)。だが人民総じて貧乏で、食うや食わずの舞い踊り。この辺り、映画『ザ・ハーダー〜』や『ロッカーズ』が如実に描いている。

※ むかしインドに行ったとき、帰りの飛行機を空港で待ってる間、ふと知り合ったロンドン在住・今や英国人のインド人(?)と延々語りあった。氏はエンジニアで、ロンドンに留学してそのまま英国に。何かの用事でインドに帰省したものであったが、望郷の念溢れ、とても寂しそうだった。。。

 

しかし英連邦を「コモンウェルス」って言うの、めっちゃ皮肉よね。公共の福祉・・・いや公共はパブリックで福祉はウェルフェアか。

「共通の利益」だなんて、すごく英国目線で。メジャーリーグの一等賞争いを「ワールドシリーズ」と自称するのに近い精神性。

 

◆寂しげな、それでもLoveの凝縮されたお歌をひとつ。

 

 

気分を変えて、ノリノリで。

◆Raggae Nights

 

 

↑ Afro-Latinoフェスティバルより。つまりレゲエの人々は、ラテンであって且つラスタ。ハイレ・セラシエ@元エチオピア皇帝を神と崇める、アフリカ志向のラティーノなのだ。

いろいろ混じって面白いっすねぇ。

 

ジャマイカは、キューバのようには革命をやっていない。圧政に対し度々暴動起こしたが、なんとなく(なんとなく?)独立したのが俺の生まれた1962年。おお、同い年✌️

そして例の映画の日本公開が、確か77年か78年だった。オレ高2、しかしてワタクシ、常にレゲエとともにあったのだ。

なんかスゲぇな。たまたまだけど。

 

◆The Harder They Come

 

 

The➕比較級。奴ら(政府の連中)がハードにくればくるほど俺たちは・・・という歌詞。そう、少なくとも70年代まで、ロックは反体制の謂であったのだ。

※ 今や〝ロック=反体制〝では必ずしもないが、かくなる文脈・その歴史を知らないせいか、特にイマドキの40代前後って謎のリベラル嫌いが多いよね。就職氷河期が悪かったのかしら、右方向に拗らせちゃってる向き多い。←本件については別途詳述します

 

ーーー

 

では最後にNPRミュージックのジミークリフ、アーカイブを。ちょうど4分から、イチオシの名曲:  Moving On.

 

 

素晴らしい!!!

 

 

・・・。

 

 

雑談ばかりで、全然追悼になってないという。まぁいつものことだが。

「オブ・インターナショナル」なんて英語あるんかいな。耄碌してしもうて、よう分からん。

とまれサンタナである。

 

 

セルジオ・メンデスやグロリア・エステファンなどと並んでサンタナは、ラテンアメリカ音楽への入り口を、ロック界隈において設けたのが功績のひとつ。〝ロック界隈において〝というのは、チャチャチャにマンボ、ボサノヴァ等、ガチのラテン音楽が別に厳然としてあるからだ。

ゆえにサンタナをも本格的に語ろうとするならば、ラテン音楽(や、ジャズとの関わり)を踏まえなければならない。が、いかんせん自分にはスカとレゲエくらいしかラテンミュージックの知識がなく、片手落ちにならざるを得ない。この点、先ずご承知おき願います。

 

※ ガチ・ラテンなら元しばき隊の野間易通氏と早稲田の岩村教授による『移民音楽としてのサルサ』(NoHate TVより)がめっちゃ参考になります。↓

 

 

さて、「インター」という言葉には〝通貫する、突きぬける〝という語感がある。地中に埋めた土管を通じてA地点からB地点、世界のみなさんこんにちは。土管が両側から入れるごとくインターは双方向であり、蟻の一穴、筒はやがて広い空間にもなるであろう。

ナショナル=国家(的)間におけるインターは国境を越えて相通づる。ラテン側から北米に、お顔を出してこんにちはしたのが例えばサンタナで、その際お土産としてラテン音楽を携えてきたという体。事実、彼カルロス・サンタナはメキシコ生まれもB.B.キングやジョン・リー(フッカー)等の米国ブルースに惹かれて越境、カリフォルニアに移住した。ルーツはルーツとして厳にありながら、触手/食指を伸ばしてロック界隈へ。この辺り、先日書いた仲代さんの演劇手法(仮説だが)に似ていなくもない。

 

むろん氏は、昨今流行りの移民である。移民というのは「ヒトの移動」の一形態であり、「モノ」「カネ」同様交換手段が存在し、そしてどちらかに傾けば傾くほど移動は促進される。

インバウンドの隆盛は為替レート(円安)によるものであり、移民は貧と富の差、戦と和の差で左から右に傾くの意。水の流れと同じ、至極単純な話だ。

この傾きによるヒト・モノ・カネの移動によって、いずれ国家は超克されるーというのが俺の見立て。というのも、吉本隆明じゃないが国家なるもの所詮「共同幻想」だからである。

※ 共同幻想といって悪けりゃ互助会な。住人が金出しあって相互扶助する仕組み。

 

移民が嫌なら(相手に来られるのも、自分が行くのも)、この傾きを直すことだ。為替レートは一時のことゆえ兎にも角にも経済格差を是正すべき。貧しい国を富ませ、金持ち国はそこに分け与えあるいは援助する、そんな仕組みを作るしかない。平和維持活動や教育・医療支援は言わずもがな。

 

サンタナの音楽を聴いていると、こんなことまで想像できる。さらにガチのラテン音楽学んだら、

 

「ロック側から、お顔を出してこんにちは」

 

ではなく、ガッツリ向こう側(ラテン側=南側)に身を置いて、逆に英米はたまた日本、つまり「北側」を望むことができるかも知れない。

ワクワクしますね本当にo(^-^)o

 

ーーー

 

では音。00年のグラミー賞を総ナメしたアルバム『スーパーナチュラル』も、往年のかくなるプレイがあってこそ。

◆Soul Sacrifice (1970年、タングルウッド)

 

 

これがあって、また『アブラクサス』や『キャラバンサライ』といった70年代の名盤があって、しかもインストゥルメンタルの人/バンドが、ボーカリストとコラボしたからみんなビックリしたのだ。

コラボったのがロブ・トーマスにデイヴ・マシューズ、ローリン・ヒル等の若い衆だったから2度ビックリ。

 

そういうわけで、コラボもの。

◆with The G & B でMaria Maria.

 

 

『スーパーナチュラル』に味を占めたサンタナは、『シャーマン』『オール・ザット・アイ・アム』と2匹目3匹目のドジョウを狙う。ミシェル・ブランチはまだしも、あろうことかブラシド・ドミンゴにまで手を出し・・・

◆スティーヴン・タイラーと、Just Feel Better.

 

 

安易であることこの上ないが・・・ええ、これらのアルバム全部持ってますとも✌️

 

『アブラクサス』も『キャラバンサライ』も、サンプラザ中野で演った『ロータス』だって持ってるが、オレも歳をとり、こういう軽いのが今は心地よくってなぁ。。。

 

そんなカルロス・サンタナが、初期オリジナルメンバーと2016年に出したのが『サンタナ4』。

◆Leave Me Alone(ライヴ)

 

 

ーーー

 

ラストにおまけ。『スーパーナチュラル』よりSmooth.

ギターはオリアンティ、太鼓が奥様シンディ・ブラックマン=サンタナというナイスなカヴァー。

 

 

奥さん、鬼カッケー‼️

こりゃ野口五郎のカヴァーより全然イケますな。と、いう。

東京を離れて30年、未だ自分の友人は東京に最も多く、とりわけ西武線沿線ともなれば連中の巣である。「巣」って。

あの辺には独特の匂いがあり、それは武蔵野あるいは三多摩、平たく言えば東京の田舎に特有の佇まい。人品骨格にもこれは表れるようだ。

 

聞くとこの人も練馬の産で、「ああ、やっぱり」と腑に落ちた。

 

 

友人の、はるちゃん@石神井公園、あさこちゃん@保谷 ー 20年前、33で急逝 ー などは完璧に若村麻由美。瓜二つではないにせよ、顔のタイプも雰囲気もかなり似ている。

 

くっきりと黒目がちで真っ直ぐな眉。美人も美人だがどこかローカル色溢れ、気さくなことこの上ない。

連中とは、

 

オレ「なあ、女ってなんで半径5m以内のことしか興味ないんだよ」

奴「うっ。でもあたし、高村薫とか好きよ」

オレ「おお、それは素晴らしい。文学を通じて世界を眺めてるってわけだな? でもあの人ってさ、何かひねくれてね? ああそうか、君もひねくれてっから嫁に行けねえのか」

奴「ったく、うるさいなぁ」

 

なんて会話も日常の茶飯だった。

 

仲代さんの葬儀で弔問に訪れた氏を久しぶりに目にし、そんなことを思い出した。

 

むかし『徹子の部屋』に出ていた若村さんは山登りの話なんかして、素朴な練馬のおねーちゃん。おそらく彼女の本質は、「気さくな練馬のおねーちゃん」。こう自分は看破したもの。

 

 

顔のタイプが同じなのは、この人も。あんたも三多摩出身でしょ、ねえ、そうでしょう。

◆ミシェル・ブランチ。サンタナとのコラボでThe Game of Love

 

 

◆I'm Feeling You

 

 

一時、変な新興宗教の教祖と結婚してた若村麻由美。記者会見では着物姿で指輪を見せて。

むろん美しかったが、当時の彼女は俳優らしく何かを演じていたのだろうか。ただしそれはいかにも人工的で、アンドロイドみたいだった。テレビでたまたま見ていた自分は「いやそうじゃないでしょう、本来のあなたは」と悲しく思った。

 

まもなく教祖が死んで現場に復帰してから、彼女は徐々に戻ってきたようだ。もちろん直接知っている訳じゃないが、画面越しでも伝わるものは伝わる。

人生いろいろあるのだなあ。土くれひとつ、そして時は永遠に過ぎ去る。

◆ミシェル・ブランチ ー Fault Line

 

 

自分の愛読書のひとつが、春日太一『仲代達矢が語る日本映画黄金時代』(文春文庫)。黒澤明、小林正樹ら日本映画の巨匠との仕事で人口に膾炙する仲代さんだが、1952(昭和27)年、俳優座養成所に合格、無名塾を主宰し能登演劇堂での公演を欠かさぬなど、実は生涯「舞台俳優」を貫いた人である。

 

その仲代達矢さんが肺炎で、11月8日(土)0時25分に亡くなっていたのが分かった。

 

 

能登演劇堂はむろん東京でも、自分は仲代さんの舞台を生で観たことはない。まことに悔やまれるが、諸人同様映画を通じてその演技に接したとき、決して器用な人ではないと思った。

無骨といえば無骨。なよっとしているといえばしている(山本薩夫『金環蝕』の官房長官役をご覧あれ)。氏のあだ名は「モヤ」、ヌーボーとした風采からそう呼ばれていたように素のご自身はボーっとした佇まいとか。

無骨といっても高倉健タイプではない。俳優にはいろんなタイプがあって、健さんは〝役を自分に(思いっきり)引きつけて演じる〝タイプ。いっぽう仲代さんは、例えば黒澤明『用心棒』の蛇のようなヤクザと次作『椿三十郎』の冷徹な武士、一見似ているようだがその演じ方は、かなり違う。まして『金環蝕』ともなれば別人だ。

にせよ、ロバート・デニーロのように縦横無尽ではない。どちらかといえばアル・パチーノに近く、本来の自分は自分としてあって、そこから研究し努力し想像を重ね、触手を伸ばしていろんな人物を演じる。〝器用じゃなく無骨〝というのはそういう意味だ。

 パチーノも仲代達矢も共に、シェークスピアから入った舞台俳優である。してみると、舞台の役者にはこういうタイプが多いのだろうか。

 

俳優座で千田是也を筆頭に、三島雅夫、小沢榮太郎、東野英治郎らに鍛えられた。同期に佐藤慶、中谷一郎、宇津井健がある。1950-60年代の新劇界は公演費用を稼ぐため、映画に所属俳優を送り込んだ。黒澤明『七人の侍』(1954)の、リーダー志村喬が街中で侍をスカウトする場面、画面右から左へ歩いていくのが当時21歳の仲代氏で、もちろんノン・クレジット。ほぼエキストラである。

これを黒澤監督は「侍の歩き方になってない。俳優座では役者に歩き方も教えないのか!」と罵倒。朝9時から午後3時まで、志村以下のお歴々を待たせてひたすら歩かされたのが仲代さんのトラウマになった。と同時に、『用心棒』(1961)準主役のオファーにも繋がった。

 

本格的映画デビューは井上梅次監督『火の鳥』(1956)。俳優座の舞台『幽霊』(イプセン)を観、自分が主演のラジオドラマのバックでガヤ(群衆の喧騒を表すためマイクの後ろで数人でガヤガヤ言う役)を務めた仲代氏を井上監督に推薦したのが月丘夢路。これをきっかけに小林正樹『人間の條件』(1959-61)、『椿三十郎』(1962)、再び小林正樹『切腹』(同)など、大作名作で主役もしくは主役級となる。

◆反戦映画『人間の條件』

 

 

◆ジェットコースター・ムービーの奔り『椿三十郎』

 

 

◆不当に虐げられた者の怒りに満ちた『切腹』

 

 

 

また、岡本喜八監督『大菩薩峠』(1966)では、NYでこれを観たハーレムの黒人客が、

 

「江戸時代の侍は、ヤクでもやってたのか?」

 

と宣ったことも(上掲書より仲代氏・談)

◆大菩薩峠

 

 

他にも市川崑、成瀬巳喜男、木下恵介、五社英雄ら巨匠作品での名演は言うまでもない。

 

しかし仲代さんは映画各社が専属オファーをしてもなお、ずっと俳優座に所属。軸足を舞台に置き、最低でも半年は舞台に立ち続けた。時代劇での殺陣を「下手」とする向きあるが、ゆえに「よく頑張った」と評価するべきだろう。70年代半ばになると、後進の育成を兼ね夫人と共に無名塾を世田谷に設立。役所広司、益岡徹、若村真由美、真木よう子らを育て上げたのも、舞台オリエンテッドの現れ。

 

1932(昭和7)年、東京生まれ。父君は京成バスの運転手だったが早くに亡くなり、一家は辛酸を舐めた。「食べるというのは、米一粒単位のことだった」と氏は語る。俳優になったのも「食べるため」。

戦争体験者で、反戦平和の思いが強い。低空で撃ってくる米軍機、近所の女の子の手を引いて逃げていたら、繋いでいた手がふと軽くなった。見ると右手に持っていたのは、その子の腕だけだった。。。

※ 上掲書では、インタビュー当時の都知事・軍国主義者の石原慎太郎を批判している。自分が父に本書を贈呈したのも、共に戦争体験者であり、仲代氏と反戦平和の思いを同じくしているゆえである。

 

近年では名張毒ぶどう酒事件を冤罪と見、映画で奥西死刑囚役を。だが「死刑囚だからといって、苦しみだけを演じるのは奥西さんに申し訳ない」。人を人として見る眼差しこそ、氏の役づくりのコアだったのかも知れない。

 

 

 

偉大なる俳優、仲代達矢氏。御年92歳でも、いやだからこそ、急逝が惜しまれてならない。

まさに「巨星墜つ」である。

英国の2大イケメン大王は、デヴィッド・ボウイとブライアン・フェリーである。

 

 

これに両人のHubともいえる、ブライアン・イーノを加えて3大巨頭としても良い。

 

 

ボウイはオレの主治医・K先生がけっこう似ておって、フェリーは高校時分の古文漢文の教師・漢先生が、もうそっくり。授業のたびに「似てるなあ」と痛感、ブライアン・フェリーに教わったものだから、古文漢文が得意になったのは言うまでもない。

※ 平安時代のも江戸期のも、未だに古文、すらすら読めるもんね✌️

 

友人知人、決して顔で選んでるわけではないのだが、自称日本浪曼派つまり「美」を愛するからか、自分の周りにブサイクなのはあんまりいない。

 

 

そんな話はさておいて。

デヴィッド・ボウイはどうやら歌唱がお好きなようで(!)いろんなものを歌っている。むろん、他人の曲をカヴァーするのは彼に限らぬ。しかしミック・ジャガーやロバート・プラント、フレディ・マーキュリー ー 英国3大ボーカリスト ー 級のトップミュージシャンがカヴァーするのは存外少なく、スターのランクで彼らに伍するボウイ氏の、カヴァーもこれまたレアである。

 

然してボウイのカヴァー集、発見したのでご報告申し上げる。

 

ロキシーミュージックは最後にして、まずはこの曲。

◆デュラン・デュラン ー Hungry Like The Wolf

 

 

オリジナル・バージョンを検索してみてほしいのだが、デュランデュランのサイモン・ル・ボンも確かに悪かない。ただ年齢もあって(彼はデヴィッド・ボウイの11歳下)、その歌唱はいかにも若い。

対してボウイはステイブル。ソリッドで、かついかにも落ち着いている。

 

次。

◆U2 ー With or Without You

 

 

これは明らかにボウイの方がイイですね。ボノより詩的で内省的だ。

 

お待たせしました、ロキシー・ミュージック。

◆Love is The Drug

 

 

鬼カッケー!!!

 

デヴィッド・ボウイもブライアン・フェリーも「泣き」のボーカリストである。演歌みたいにガンガン泣くんじゃなくて、高音部に来たときふっと裏返す。これは共通。

違うのは、フェリーが揺蕩う歌唱なのに対し、ボウイはポイントポイントで泣く点。ギュイっと。

 

甲乙つけ難いのだが、一聴して思ったのは

 

「ボウイもロキシーミュージックに入れば良かったのに!」

 

いずれも〝歌う〝というより「語る」ので、説得力がある。そしてほれ、ロキシーミュージックもデヴィッド・ボウイも70年代とくに前半は、先鋭的で退廃的だったでしょ。

音楽の志向も共通してるからツインボーカル、全然ありだと思います。

※ キース・リチャーズの言、「ストーンズにギタリストは10人くらいいてもいいぜ🎸」的に。

 

まあ、〝船頭多くして船、山に上る〝になったとは思うが。。。

 

 

おまけ。こんなものも歌ってたんスね、ボウイさん。

◆ウエストサイド物語より、Somewhere.

 

 

(T ^ T)

毎週日曜日の朝4時ごろ、自分は近所のコンビニへスポーツ新聞を買いに行く。そこのオーナーは同好の士つまり阪神ファンで、あまりの早朝・他に客がいないのをいいことに、しばし阪神ネタを語り合う。

日曜朝のちょっとした楽しみである。

 

いつも「輝!」などとドデカく一面を飾るスポーツ新聞買うもんだから、オーナーは俺を阪神ファンと見てとったのか、最初向こうから話しかけてきた。よくよく聞くと彼も相当な虎キチで、関西じゃ石を投げれば宝塚ファンか阪神ファンに当たるとはいえ、その語り口は熱い。

先ほども、ハァハァ言いつつ

 

「なんで日本シリーズ第2戦、先発は才木じゃなくてデュプランティエだったんですかね!」

 

俺を待ち構えていたかのように、こう訴えた。

 

そーなんだよ。これが全阪神ファンの疑問なのだ。

1戦目は村上頌樹で勝った。この勢いで、続く試合も相手を押さえ込むべき。ふつうに考えれば2戦目は、シーズン防御率セリーグトップの才木のはずなのだ。

 

2戦目、ホークスは先発にモイネロを持ってくると想定されていた。あのヤバいモイネロに才木を当てるのはもったいないと、藤川球児は考えたのだろうか。蓋を開けたらモイネロではなく上沢で、我々一同

 

「ラッキー✌️」

こう快哉を叫んだもの。

 

が、ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間。うちの先発はデュプランティエ。なんで?

 

前半戦、無双していたデュープ氏も、下半身がどうしたとかでこの2-3ヵ月全く投げていない。二軍でも練習試合すら回避したんじゃなかったっけ。それをいきなり日本シリーズ、しかも敵地で先発させるとはこれ如何に。

むろん、彼は好投するかも知らんかった。日本全国7,830万人のタイガースファン、一瞬首を傾げつつも「ふむ。ようわからんが、投げさせるっちゅーことは状態良いのだろう」、気を取り直して期待したに相違ない。

 

ところが。

 

四球は出すわボカスカ打たれてあのザマだ。1イニングも保ったか保たぬか、ホークスの勢い止まらず慌てて跡を継いだ岩貞も、山川にデッカいホームラン打たれて炎上。

寝ていた山川を起こし、あとは皆さまご存知のとおり。山川なんか、1戦目は代打だったんだで?

 

俺の計画では(?)「短期決戦、常に第2先発を用意すべし」。伊藤将司にネルソンに、伊原や早川ベンチ入り。先発が崩れたときすぐ、初回からでも行けるように肩を作らせておく ーというもの(彼らロングリリーフ陣の登板間隔まで、自分は計算したもんだ)。

だが岩貞は「第2先発」では到底ないし、シーズン中も敗戦処理の役どころ。これを慌てて投げさせて、抑えろという方が無理ってもんだ。

しかしそれはもう良い。

 

そうか、勝利濃厚なモイネロに、才木をぶつけるのはもったいないか。でもよしんば才木で負けたとしても、デュプランティエみたいなことはやらかさなかったろうし、何より2戦目投げとけば、中5日で6戦目、7戦目なら中6日と、もう一度使えるのが大きい。

才木が嫌なら遥人でも大竹でもいいやん。まあシリーズは「軸」が要るから、軸になる投手は村上か才木、次いで遥人。大竹あたりは違うけど。

 

今朝もコンビニオーナーと、脳内を「❓」でいっぱいにしつつ、斯くなる話で小一時間。この「❓」は、全タイガースファンもご同様かと思われる。

 

2人の話はだんだん陰謀論めいてきて、

 

オレ「デュプランティエを先発させるっつーことはですよ、ピッチングコーチから〝バッチリたい❣️〝って報告が上がってるはずじゃないスか」

オーナー「そうなんですよ。監督が勝手に無理くり行かせるとも思えないし」

オレ「金村暁コーチの退団、なんか関係あるんかなぁ」

オーナー「あっ! 金村が〝行ける〝って言った挙句があの始末、球児は彼に責任取らせてクビにしたのかも!」

 

いずれにせよ藤川球児は、日本全国7,952万人の阪神ファンにきっちり説明する義務がある。だってオメエ、あとのゲームは全部1点差やんけ。

これはもう、オレら2人で国会に乗り込んで、舌鋒鋭く監督を吊し上げなきゃならん。

 

「説明責任ってもんがあるだろうが‼️」

 

ちゅって。

 

てなことで今朝、コンビニオーナーと意見の一致を見た。

 

ーーー

 

音は、怒りを鎮めるためにレゲエ。ロックステディ、ラヴァーズロックの祖とも言われるこの人なんかどうだい?

◆Can I Change My Mind

 

 

◆氏の代名詞となった、題もそのまま『ロックステディ』。

 

 

ラストは後期スタックスのヒットメーカー、ジョニー・テイラーをレゲエでカヴァーした、

◆Ain't That Loving You

 

 

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蛇足だが、てかオレのブログは全部蛇足なんだが、この日本シリーズの敗戦を以て「やっぱパリーグとセリーグのレベルの差よね」なんて宣うアホのおる。

ほんなら去年のDeNAは何なんだよ。同じホークスをコテンパンにしたやんか。

 

こういう〝今年の4歳馬はレベルが低いよね〝みたいな、雑な発言は厳に慎んでいただきたい。そして自分は、セリーグDH制にはもちろん大反対。そんなもんお前、セリーグの野球じゃなくなるやんけ。

なんでもかんでもガツンといけばいいってもんじゃない。違うもん同士が闘うからこそ味も深みも生まれるんだよ、この低脳。

 

 

・・・

 

 

しかしどうして第2戦、先発投手はデュプランティエだったんでしょうね。いっちょんわからん。

 

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※ 写真はラスタファリの〝神〝とされてるハイレ・セラシエ、エチオピア皇帝陛下。戦闘服の図。