底なしの穴をうめる魔法(を模索中) -216ページ目

底なしの穴をうめる魔法(を模索中)

長文注意 

魔法はまだ使えません
だから「模索中」

こちらのブログは基本的に青木無常のブログ・サイトの更新情報を掲載します。

あけましておめでとうございます。
青木無常です。

本日の更新情報です。

あけまして一里塚なり 今年も青木無常をよろしく!
見果てぬ夢をみる魔法


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今年もよろしくお願いしま~す (^-^)/


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ご訪問、コメント、ありがとうございます。
青木無常です。


ひさしぶりに、どんぞこブログらしい、
暗黒な内容になりました。
読んだらきっと、イヤな気分になります。
ここで読むのをやめた方が、身のためですよ。

私は、読んでほしいですけどね。

私が何を思っているか。
私がどんな人間なのか。
私がどんな人間になりたいのか。

私が、どんな人間になりたかったのかを。





むかし住んでいたアパートの近くに、
三毛のノラ猫がいました。

あまり活発ではないけど、
警戒心のあまりない、
近づいても、なでてもおとなしく
気持ちよさげにしている猫でした。

でも、ずいぶん年だったんでしょうね。

ある冬を境に姿を見かけなくなっちゃった。


で、その三毛と入れ替わりのように、
黒猫を見かけるようになりました。
最初は赤ちゃんといってもいいほど小さかったけど、
みるみる成長しました。

猫って、大人になるの早いんですね。

それはそれとして、
その黒猫は前いた三毛猫とはちがって、
警戒心がかなり強い猫でした。

アパートの周辺の住民や関係者に、
猫をいじめるような人間はおそらくいなかったので、
たぶんどこかから流れてきて、
あのあたりに落ち着いた猫だったんでしょうね。

それでも、冬は寒いのか、
ドアの前で鳴いていたことがあったので、
部屋に入れてみたことがありました。

前の三毛も、冬はよく、
時間限定でしたが暖をとらせたことがあり、
まあ人なつっこい穏やかな猫だったので、
比べてしまってはかわいそうだったのですが。

黒猫は、部屋に入れて「あげて」も、
なついてこなかった。
ストーブやコタツは利用しても、
私には近づいてきませんでした。

腹が立ちましたが、それならそれで、と、
私は私でキーボードを叩きはじめたのですが。

猫のことなど忘れたころに、
突然、黒猫は
私の手に飛びかかってきた。

ジャンプしてポンと叩いた程度だったのですが、
ディスプレイに意識が集中力していた私は、
そりゃもう。しましたよ。びっくり。
死ぬほどびっくりしました。

で、つぎの瞬間。

なつかないくせに、こっちが存在を忘れると
無視するなとでもいいたげに突然、
ある意味暴力的な感じでじゃれついてきた黒猫に
抑えようのない怒りを覚えました。

反射的に、蹴飛ばしてやりたくなっていた。

実際に蹴飛ばしゃしませんがね。
反撃くらうのがイヤだし。
めんどうでもあったし、いろいろ。

来歴を想像するだに、
黒猫に悪意は特にないでしょう。

ただ、じゃれついただけ。
そのやり方が、単に突然で激しかっただけ。
元気があった、と言い換えてもいいくらいの、
おそらくは無邪気な行動に過ぎなかったのでしょう。

でも、私がその瞬間感じたのは、
憎悪でした。

そっちがこっちを避けていたくせに、
自分が無視されると、
寂しくなって「かまってちゃん」してくるのか。

言葉にすると、こんな感情の動きでした。

そして、そんな自分の感情の動きに、
戦慄もしました。

これは鏡だ。
そう感じました。

また、蹴飛ばしたくなった衝動にも、
驚愕と、恐怖を感じた。
自分は、そういう人間だったのだな、と
突きつけられたような感覚でした。

そこで反省して、猫ちゃんにやさしくしてあげるような
人間でもありませんでした。
私は。

警戒心の強い黒猫でしたが、
猫じゃらしには反応するので
(つれこむ時も、猫じゃらしを利用しました)
それを使って。

外に追い出しました。

猫に対しては、自分にすら隠していた
「本当の私」の姿も、遠慮なく出てくるわけですね。

血も涙もない。
自分になつかない相手に対しては、
冷酷きわまる仕打ちをしでかす人間が
私です。

中国で継子を殺した母親とおんなじ。

黒猫は、しばらくはドアの前にいたようでしたが、
やがて去りました。

そして、二度と私には近づいてきませんでした。




私はこのブログで、いじめや虐待について
いろいろ語ってきました。

世に蔓延するパーチクどもの所業を嘆き、
糾弾してきました。

でも、その根底には、ある恐怖がありました。

正直にいいます。

彼らは、私の鏡像に過ぎません。



イザ! 2012/11/03 の記事
0歳娘を殴り死なせた24歳母 SNSで虐待批判していた

この記事の母親は、子どもを虐待していながら、
フェイスブックでは、そういう親を批判していたということです。

背筋が凍りました。

いじめの記事、虐待の記事を書きながら、
いつも思っていたこと。

いや、全部の記事に当てはまることかもしれない。

自分のことを棚に上げている。

私は子どももいないし結婚したこともないので、
虐待もしたことはありません。

ですが、結婚し、子どもができたら、
かなりの高確率で、虐待をしてしまうのではないか、
と思っています。

だから、この先も結婚したり家族を持ったりすることは、
絶対にするつもりはない。

だからどうだ、とかいうつもりもないし、
何より自分の闇をさらけ出すことに
やっぱりためらいがあったのかもしれません。

今まで記事を書きながら、そういうことは口にしなかった。


今回のニュースの母親もそうだったのかもしれませんが、
虐待やいじめを批判する記事を書いていた時、
私は、なかば自分への批判を、口にしていたのかもしれない。


私は、じゃれついてきた黒猫を
思いっきり蹴り飛ばしたくなる人間です。

警戒心の強い、自分への親しみを示そうとしない黒猫を
寒空の下に追い出してしまう人間です。

そんな自分に、苦しんでいる人間です。



ニュースの母親は、子どもを虐待しながら、
何を思っていたのか。

そこには、感情のままに爆発して、
思うさま発散している姿が、
はたからはみられたことでしょう。

いつも思ったままを口にできて、
いいねえ、とか皮肉をいう輩もいたかもしれない。

私のまわりには、そういうやつらがたくさんいました。

でも、自分で自分の感情を制御できないことに、
一番苦しんでいるのは……。

……死んだ子どもでしょうね。
母親本人は、その次の次くらいでしょう。


では、なつかない黒猫に
冷酷な気持ちしか抱けない人間は、
どうすればよいのでしょうね。

気持ちは、
知識で身につけることはできないんですよ。

かわいくないものは、かわいくない。

子どもをかわいいと思ったことなんて
一度もない――そんな言葉を口にする母親もいます。

背筋も凍る人非人のセリフですが、
正直なひとでもあると思います。
こんなセリフ、冗談ででも口にしたら、
社会的に抹殺されかねない。

言えないですよ、ふつう。

言えないだけでなく、
そんな感情を意識に昇らせることすら、
抑圧してしまうでしょう。
自分自身を、だましてしまうのですよ。

そういう、口にしない、自分自身をだましている親が、
たくさんいるのではないかと
私は強く疑っています。

疑う、ということは、自分がそういう人間だからでしょう。

黒猫を追い出してしまったこと。
子どもを殺してしまったこと。

それに対して、
ぬぐいようのない苦しみを感じるのは、
社会的な抑止力が働いているからに
過ぎないのではないか。

そういう恐怖すら、あります。

法律で罰せられたり、
だれかに後ろ指さされたりする怖れがないのなら。

そういう苦しみすら、
感じない人間なのではないだろうか。
自分は。

そういう恐怖。



私は。

あなたは。

だれかのために、生きることができるのでしょうか。

そしてもし、それができたとしても、
心の底から望んだのではない行動は。

決して、われわれを幸せには
しないのではないでしょうか。



だとすれば、私の行っているすべての行為は、






ただの徒労だ。






本日は、以上です。




ご訪問、コメント、ありがとうございます。
青木無常でございます。

私は現在失業中ですので、

就活の面接にいっております。

人と接する仕事はもう辟易なので、

そういう圧力が極力低い仕事が希望なんですけど、
まあもちろんそんな仕事はなかなかないようです。

それはそれとして、先週面接にいったところで、

おもしろい会話がありました。

施設警備の仕事の面接だったのですが、

シフトで交代しながらビルの管理をする仕事。
夜中と休日は無人になるので、
日中だけ管理。

基本的に一人での仕事なんですが。


人員が全員で、二名しかいない。

土日はビル自体が休みになるので、
休日はまあきちんとあるんですけど。

有給は、基本的に取れそうにない。


だから、まあなかばはわかっていたのですが、

面接官にきいてみたのですね。

募集条件には有給10日とあるけど、

実際はとれないと考えた方がよいのか、と。

もちろん、忌引きなど理由がある場合は、

あらかじめ言ってもらえれば大丈夫、
という解答。

何が大丈夫なんでしょうかね。

忌引きなんて、突然のことだし。
二人しか人員がいないんなら、
一人が休みをとったら、残りの一人が
二人分の時間を拘束されざるを得ないはず。

まあたいした残業時間ではない

のかもしれませんが。

でも、午前中メインのシフトと
午後メインのシフトのどっちかなので。
午前中メインの人が突然休んだら、
午後メインの人がいきなり電話で
呼び出されることになるわけです。

で、これもわかってはいたのですが、

一応きいてみたのです。

「逆にいえば、理由がなければ、

有給はとれないってことですか?」

そうしたら、逆に質問し返されてしまいましたよ。

タイトルの質問。
「用もないのに有給とる人いるんですか?」

面接官のかたに、悪気とか悪意とかは

特に感じられませんでした。

というより、ヤバい質問をされた、
という雰囲気自体が、
全く感じられなかった。

本気で、心の底から、そう思って、
こういう質問が口をついて出たんでしょうね。

日本の現状なんて、そんなもんでしょうね。


一応、こう答えときましたがね。

「でも、反論するようで申し訳ないんですが、
権利ですよね?」

まあ当然面接官のかたも、

そのへんはよくわかってたみたいで、
あわてて
「もちろん自由にとって頂いてかまいませんよ」
と言い直しましたがね。

でも、むっとしてましたね。

たぶん、彼自身も、理由なしに
有給などとることが
できないんでしょう。

彼は、自分の権利も

ないがしろにされていることに、
自覚はあるのでしょうかね。



失業する前につとめていた会社では

有給はしっかり消化させてもらっていましたけど、
それは会社がちゃんとしているというよりは、
アウトソーシングの仕事だったので。

クライアントがもともと外資系で、
そのへんの「権利意識」がしっかりしていて、
権利は行使されるのが当然、という社風が
きっちりいきわたっていたからに過ぎず。

異動の話が出たことがあるのですけど、

その時は(ちょうどお盆の時期でもあったので)
有給はどうなっているのかと、
異動候補先のマネージャーにきいたら、
鼻で笑われました。

「そんなもん、とれるんなら自分がとりたいですよ」


堂々と、そんなセリフまで飛び出してきましたよ。


この人も、自分の権利を自ら

ないがしろにしていることに、
気づいているんでしょうかね。

おそらくどちらも、しかたがない、で

すませてしまっているんでしょう。

そして、こんな類の答えを、
何のためらいもなく平気で
まるで当たり前のように口にしているからには、
こんな就業実態が明からさまになっても、
実質、ヤバいことにはならない、という意識が
根底にあるから、なんでしょうね。

実際に“法律違反”だ、と騒ぎ立ててみたら、
どうなるのか試してみればよかったかも。

でも、きっとそういう会社の方が
ふつうなんでしょうね。
今の日本ですら。

そして現状、“現在の”日本ですら、

こんな風に権利をふりかざして
騒ぐような人間には
居場所はないのでしょう。

しかたない。

みんな我慢している。

それで終わっているわけですね。


だれも、どうにかしようとも、

どうにかなるとも、考えてすらいない。


かなり以前の話ですが、

日本にきた外国人がびっくりする風習を
テレビでやっていました。

お中元とかお歳暮とかも、

びっくりする風習のひとつなんだそうです。
彼らにとっては、
きわめてナンセンスな慣習。

ただ、面白いことに、

ながいあいだ日本に滞在していると、
彼らも逆に、それが当たり前の感覚に
なってきてしまうのだそうです。


お歳暮と有給じゃ違うよ、と、もし思うのなら、

ちょっと意識が低いんじゃないでしょうか。
根は、まったく同じだと思います。

そして、お歳暮はともかく、
有給のような話になってくると、
確かに、変えるのは至難の技っぽい。
コストダウンなんて、どこの会社も必死でしょうしね。

だからもう、好きなだけ我慢して下さい。

好きなだけあきらめてしまえば、
いいじゃないですか。

私はもう、そんな世界からはおさらばしたい。


そのための準備をしていますが、

なかなかうまくいきません。

このままでいけば、

またあの世界に戻らざるを得ませんが、
そんなことにはならないと信じて、
一所懸命毎日を過ごしています。



意識も変えようと、日々奮闘中です。

変わったのか、変わってないのか、
よくわからない。

でも、よくなっているはずだと信じています。


負のスパイラルに巻き込まれるのは、

もうたくさんだ。

“否”を発するのをあきらめて、

変えようのない流れに身をまかせて、
その流れの中の小さな小さな世界で、
不機嫌を別の形に変えて
自分より弱いものにぶつける。

しかもその自覚すらない。


そんな世界に、おとなしく収まっていられることが、

大人になることなのだとしたら、
私は永久に大人にはなれないし、
なりたくもない。

まあ、それ以前に、
“大人社会”の側から、
何度も何度も、はじき出されて
きているんですけどね。

充分です。



私は猫になります。




本日は、以上です。

それでは、また~(^-^)/~~。




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