
で・・・欲しいレコードがこれ!CDの時代なのにLPは貴重品である!
☆妹尾隆一郎プロフィール☆
1949年6月17日大阪市西淀川区に誕生
小学校時代・・・私立追手門小学校に入学する。音楽クラブでハーモニカを担当する。
中学校時代・・・音楽の先生にヨーロッパの教会音楽と白人ゴスペルを聴かせてもらい感銘を受ける。
この頃、今までに聞いた洋楽と言えば、アンディ・ウィリアズムスであった。
なお初めて買ったレコードは、ブレンダ・リーの「霧のサンフランシスコ」。
高校校時代・・・ビートルズのコピーバンドでベースを弾きながら唄っていた。これについては
「当時、弾きながら唄えた人間は、珍しかった。」と一級下にいた伊藤銀次氏が証言
しているとの事。聴いてたバンドは、ジェファースン・エアプレイン、クリーム、
アニマルズなどで、その他アート・ブレイキーなどのジャズも聴いた。
アニマルズのライナーでジョン・リー・フッカーを知る。
大学時代・・・中央大学商学部経営学科に入学する。文学部も受けているのだが、その理由は、
シャンソンに惹かれてフランス語を学ぼうと考えていた。例えば、シャルル・アズナ
ブール。シャンソンは、(土着的なという意味で)ブルースに近いところがある。」
と気づいたのは、ずいぶん後のことであった。
生意気そうな軽音楽部は、敬遠してフォークソング研究会に入会する。正統派のカントリ
ー&ウエスタン中心のクラブであった。ウッド・ベースを担当し、北の丸公園等で練習
に励む。(ウッド・ベースは、電車で運んでいた!)
クラブ在籍、時なかばして、サニー・テリーやミシシッピー・ジョン・ハートを知る。
1972年・・・B.B.キング再来日。ウエストロードとともに前座で出演し、決定的な影響を
受ける。黒人のブルースに本格的にのめり込むようになり、改めて『ファーザーズ&
サンズ』を聴きこむ。本格的にハーモニカをやり始めたのは、この頃。
アパートで一日12時間の伝説的猛練習が始る。
福生でヒッピーなどをしていたその関係で、新宿の十二社にあった伝説のライブハウス 「マガジン1/2」を知る。
1973年・・・マガジン1/2で、幻の自主制作レコードを発表している。
1974年・・・9月「オフ・ザ・ウォ-ル」を経て、ウィーピング・ハープ・セノオ&ヒズ・ローラー
コースターを結成。メンバーは、セノオ、山崎美樹、川口まこと、生井邦彦。
以下、略す。腰に下げた弾丸袋にハーモニカをセットして、そこらじゅうのセッションに現れた。 その頃の風貌と言えば、長髪、よれよれのシャツ、そしてロンドンブーツと絵に描いたような格好でブルースハープを世に広めし第一人者としての伝説を作り上げた。オークション入札中のレコードが1976年8月25日、ビクター・フライングドッグ・レーベルより『メッシン・アラウンド』です。
その後、数々のセッションや東西の橋渡し的な活動を続けており、ハープ教室などの活動も盛んで続々と弟子が増えている模様です。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~blowharp/index.htm より抜粋(紹介させて頂きました)
グレコさん、高円寺の次郎吉に通ったよねぇ~覚えてない?証拠の録音テープもあるんだけどなぁ?