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今から約28年前かなぁ??種子島に女子プロレスが興行に来ました。

(興味の無い方はスルーして下さいね。誰も興味無かったりして(〃^∇^)o_彡ははは)

まだ、ビューティペア(故ジャッキー佐藤とマキ上田)が人気になった後、えっ?知らない?

まだ、クラッシュギャルズ(長与千種やライオネル飛鳥、チャゲ&飛鳥じゃないよ~ププ)が

でる昔の話。

試合前の「ミミ萩原」が市営グランドでジョギングしておりました。私は家が近いので、

ノートの切れ端とペンを取りに一旦帰り、ジョギング中のミミさんにサインをしてもらいました。

とても愛想よくして頂いて、「勉強頑張ってる?」と話しかけられて、ドキドキしたものです♡

格闘ものは好きでしたが、このミミ萩原さんの悶絶する試合には異様に興奮したものです(〃^∇^)o

たまたま、漫画の整理をしていたらコレが見つかりました。よく取っておいたものだと・・・。

昨年は復帰試合もあったそうで(別に見たくはありませんが笑)、ある宗教の教祖になった姿は

ガッカリしたものです。最初に直筆サインをもらったのはこの時が初めてかもしれません☆彡


☆ミミ萩原 (ミミ はぎわら、旧本名は萩原妙美、1956年2月6日- )は 東京都出身の元歌手、女優、
タレント、女子プロレスラー、新興宗教の教祖。歌手・アイドル時代の旧芸名はミミ(ミミーで
出演している例もある)。

身長165僉β僚48圈(当時) 血液型・B型 水瓶座。

調布アメリカンスクール卒業。
1972年(MBS~TBS)「仮面ライダー」のライダーガールズのひとりチョコ役(70-92話、93-98話)で
デビュー(クレジットはミミー)。
1973年日本コロムビアよりミミの名で歌手デビュー。デビュー曲は「おしゃれな土曜日」。「恋人達
の森」「水色の予感」「恋愛志願」等5枚のシングルと1枚のアルバムを出し、「8時だョ!全員集合」
にも何度か登場した。
その後、「プレイガールQ」、「あんちゃん」などのテレビ・ドラマに出演。
ビューティーペアの人気が爆発した1978年、アイドル歌手から女子プロレスラーに転身、全日本女子
プロレス入り、大きな話題を呼び女子プロレス黄金時代を創った。リングネームはミミ萩原。同年2月
6日、のち人気レスラー(そして現在最古参レスラー)となる横田利美(ジャガー横田)戦で
プロデビュー(横田も)。その後、必殺技ビーナス固めで戦うが負けてばかりいた。露出度の高い競泳用
水着などで闘い、相手に痛めつけられる苦悩の表情が人気を呼んだ。プライベートでも小学生に勝て
なかったと言う。
ミミ萩原時代にもレコードを出しており、「セクシーパンサー」、「セクシーIN THE NIGHT」、「愛(アイリーン)鈴」、「スタンド・アップ」、などがある。
1980年アメリカに渡り、名匠ロバート・オルドリッチ監督、ピーター・フォーク主演の「カリフォルニア・ドールズ」に出演。この映画はスポ根物の名作として有名である。
1984年4月1日、タランチュラ戦を最後に引退。元祖超『美少女』女子プロレスラーとして大きな役割を
果たした。
その後、タレント・女優業に復帰しドラマ、舞台出演や、ヌードグラビアのモデルなどをする。
1993年お告げを聞き突如、広島市に転居。新興宗教の教祖として広島市中心部から北へ車で約50分の、
広島市安佐北区の山中に信者数十人と集団生活を送る。
1995年3月、同じ会に所属する13歳年下の会社員と結婚。
2005年デビュー戦を同じくした盟友ジャガー横田の呼びかけで、12月4日新宿FACE大会で、約20年ぶりにリング復帰(歌とライブパフォーマンス)する事が決まった。
2005年12月5日のデイリースポーツ紙の報道によれば、広島ではSeiyaの名前で、歌手やダンサーとして
活躍中とのこと。また、21年ぶりのリング復帰も前向きとのこと。

             出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋