焦点:パナソニック「脱テレビ」へ切り込む津賀改革、事業売却も
ロイター 7月9日(月)13時14分配信


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7月9日、すでにパナソニック内部では、脱テレビに向けた「津賀改革」の地ならしが始まっている。写真は6月、都内で記者会見した津賀新社長(2012年 ロイター/Yuriko Nakao)
[東京 9日 ロイター] 最大の問題は危機感の欠如──パナソニック<6752.T>の津賀一宏新社長(55)は就任早々、33万人の社員を凍りつかせる厳しいメッセージを社内に送った。まだ津賀氏の口から具体的な戦略の話は聞こえてこないが、すでにパナソニック内部では、脱テレビに向けた「津賀改革」の地ならしが始まっている。

過去最大の赤字に陥った昨年度だけで3万人以上の人員を減らしたパナソニックは、テレビ事業の大胆な構造改革を指揮した津賀新社長の下で、事業再編を含めた一段のリストラを進めようとしている。構造改革費用の追加で赤字が継続したり、財務改善のために事業売却に踏み切る可能性もある。

それが単なるコスト削減で終わるのか、それとも一度縮んでから反発するバネのように、成長に向けた布石となるのか。津賀氏には赤字事業の止血だけでなく、縮小するテレビ事業をカバーするだけの新たな柱を打ち立てることが求められている。

<リストラは終わらない>

「日本のオペレーションはある程度シュリンク(縮小)させていかなあかんかもしれん」。社内分社としてパナソニックの電池事業を担うエナジー社の伊藤正人社長(パナソニック役員)は6月、ロイターの取材にこう話し、国内約9000人の雇用を維持するのは難しいとの認識を示唆した。

三洋電機の電池事業を引き継いだエナジー社では、主力の民生用リチウムイオン電池の競争が激しさを増している。円高が収まる気配を見せない中、韓国、中国勢に対する競争力を高めるには、生産拠点の海外移転が避けられない。関係筋によると、エナジー社は貝塚工場 (大阪府貝塚市)を閉鎖し、生産を中国へ移管する検討を始めた。11年度に20%だった中国での生産比率は13年度に50%にする計画で、3年後には「恐らく60%を超えるんじゃないか」と、伊藤氏は話す。初の海外拠点となるマレーシア工場の稼動を12月に控えた太陽電池も、3年後の生産比率は日本とマレーシアで半々程度になりそうだという。

事業構造を見直しているのはエナジー社だけでない。パナソニック内の複数の部門で話が進んでいる。携帯電話事業は国内で唯一の掛川工場(静岡県掛川市)の生産機能をマレーシアに移管、早期退職の労使交渉に入った。関係者によると、固定電話やファクスの事業部門でも人員削減の検討を始めた。

半導体や電子部品を手掛ける「デバイス社」は前年度に半導体事業で人員を削減し、システムLSIではルネサスエレクトロニクス<6723.T>や富士通<6702.T>との統合を検討している。担当の小林俊明常務役員は「事業を継続させるために構造改革は間断なく進める」と話す。

特に津賀社長が改革の第一歩に位置付けるのが約7000人いる本社の見直しで、今年10月から機能を戦略立案と戦略投資に絞り込む。津賀社長は「7000人を半減して半数を早期退職するつもりはない」と直接的な人員削減を否定するものの、事業部門を支援する機能は本社から切り離される。

パナソニックでは前年度の1年間だけで、全社員の1割にあたる3万6000人が減少した。社内には「リストラ疲れ」ともいえる雰囲気が漂っているが、社員の多くはもう一段の「痛み」を覚悟しているようにもみえる。それは津賀氏が社長に昇格する前に、自動車用機器事業、テレビ事業で大ナタを振るった過去があるためだ。社長就任直後の6月28日、アナリスト説明会に出席した同氏は「個別事業の構造改革は過去もやってきた。引き続き必要ならやらざるを得ない」と述べた。

ある社員は「(リストラは)まだまだ終わりとは思ってない」と顔を曇らせる。

<プラズマ閉鎖を直訴>

テレビ拡大路線の象徴だった尼崎プラズマ工場(兵庫県尼崎市)は、大阪湾を臨む海沿いの広大な敷地に横たわる。今では韓国勢との戦いに敗れた「記念碑」にもみえるこの巨大工場が、専務時代の津賀氏が踏み込んだ構造改革の本丸だ。

工場建設の決断をしたのは、2代前の社長の中村邦夫氏。前社長の大坪文雄氏は06年からその路線を引き継ぎ、両社長時代のパネル工場への投資額は7000億円を超えた。しかし最新鋭の第3工場が稼働を始めた2010年初め、すでに海外市場では韓国勢との戦いが劣勢気味だった。それでも巨大工場は暴走するように大量生産を続ける。プラズマを中心とするテレビ拡大戦略は、パナソニックが2000年代初めに直面した「創業以来の危機」から救った中村氏が推し進めた、絶対に逆らえない路線だった。

そこに津賀氏は待ったをかけた。11年4月にAV機器の担当役員(社内分社のAVCネットワークス社社長)に就任すると、その年の夏、当時の中村会長と大坪社長に工場閉鎖を直訴した。津賀氏は2人と個別に話す機会が多く、1対1の時間を利用して「もうやめるべきです」と、会長と社長にそれぞれ切り出した。

実力に合わせた事業規模に、との津賀氏の説得は理路整然。プラズマへの思い入れが人一倍強かった2人の重鎮も首を縦に振らざるをえず、重たい設備を抱えたテレビ事業は縮小へと舵が切られた。10月1日から早期退職者を募集し、尼崎第3工場の閉鎖だけでなく、茨木工場(大阪府茨木市)の生産も停止して国内のテレビ組み立て拠点を1カ所に絞りこんだ。

今年5月、社長として最後の会見に臨んだ大坪氏は「テレビは結果として過剰投資だった。大きな反省をしている」と肩を落とした。

<初めての経営、初めてのリストラ>

津賀氏が事業経営に携わったのは2008年4月、カーナビやカーオーディオなど自動車用機器を手掛けるパナソニック・ オートモーティブシステムズ(PAS)社の社長に就いたのが初めてだった。1979年に大阪大学基礎工学部を卒業後に入社してから研究所生活が長く、大胆なリストラを断行する津賀氏の経営者としての原点は、PAS社時代に形づくられた。

PAS社に来てから半年足らずでリーマンショックが発生。経営者として初めての大仕事がリストラだった。12月には早期退職を募集して翌年に人員を圧縮。米国市場の落ち込みを受けてアトランタの製造拠点の閉鎖を決断した。もともと不振だったカーナビ・カーオーディオの海外市場での外販も撤退を決めた。08年度に初の赤字を計上したPASの業績は、翌09年度に黒字に回復させた。

顧客目線の重要性を悟ったもこのころだ。津賀氏は6月28日の社長就任会見で「お客さまのお役に立つ」と繰り返し強調したが、あるパナソニック幹部は「昔の技術畑一筋だったときの津賀さんでは考えられなかった発言」と漏らす。自動車メーカーに頭を下げ続けるPAS社のビジネスは、津賀氏の経歴からみると畑違いだったと言える。次世代DVDの規格争いで米ハリウッドと渡り合うなど華々しい仕事に携わってきた同氏は、当初は「いいものを作れば勝手に売れる」との考えが強く、営業を重視していなかった面があった。

趣味のゴルフでは自身の技術の向上を一途に追求するタイプで、PAS社社長に就任したばかりのころは「接待ゴルフでもお客さんと話もせず、自分のプレーに没頭してしまって接待にならなかった」(関係者)という。自動車メーカーへの顧客訪問でも、技術の話をするのは得意だが、食事になると黙ってしまう。

だが国内外の自動車メーカーの顧客と接し、事業の前線に立つうち、振る舞いが変わっていく。自動車メーカーの幹部の前では自ら話題を振って冗談も口にする。接待ゴルフでは相手が打ったボールの行方を見逃さず、すぐに走って探しに行く。1年、2年と経ち、人が変わったようだった。顧客対応に心を砕き「なあ、今日はちゃんと接待できてたか」と、同行した幹部を質問攻めにした。

自動車用機器を展開するPAS社は、開発、製造、営業のすべての機能をグローバルに内包する事業部門で「ミニパナソニック」の経営を実践する格好の場。技術者だった津賀氏は「PAS社の3年間の経験で経営者になっていった」と、前出の幹部は言う。

当時の中村会長、大坪社長が、意図して津賀氏に経営の経験を積ませようとしていたかは不明だが、2人からの信頼はもともと厚かった。04年に津賀氏を47歳で役員に就任させたのは当時社長だった中村氏。社内では「よく中村さんは好んで津賀さんを政財界の会合に連れまわしていた」との証言もあり、以前から経営幹部は津賀氏を後継者の1人として意識していた節がある。

<脱テレビ後の柱欠く>

再建を託された津賀氏にはリストラだけでなく、成長に向けたかじ取りも求められる。だが、就任会見で「テレビはコア事業ではない」と述べたものの、それに取って代わるだけの柱はまだ見当たらない。

津賀氏に代わって今年度からAV機器の担当役員になった吉田守常務は「テレビをやめるという選択はない」と強調するが「今年はとにかく赤字をなくす。正常化させる」ことが目標だ。かつての1兆円事業は、前年度に6800億円弱へ縮小し、今年度はさらに1割程度減少する見込み。

一方、好調な白物家電は今期は海外売上高20%増を計画しており、新興国で本格拡大を図るが「テレビをカバーするのはまだ先のことだ。この3年間ですべてカバーできるかというとそうではない」と、担当役員の高見和徳専務は言う。

環境対応車向けのリチウムイオン電池は受注が本格化しているものの、韓国勢の追い上げもあってコスト競争にさらされかけている。国内市場が好調で黒字を確保している太陽電池も、中国メーカーとの競争激化や価格下落が先行きを見えにくくしている。

住宅やオフィスに太陽電池や省エネ家電などをまとめて売り込む「まるごとソリューション」は、主戦場の海外ではまだまだ事業の基盤作りの段階だ。担当の長栄周作副社長は「テレビのマイナス分を、まるごと事業ですべてカバーできるかというとそうではない。色々な事業でカバーしていかなければならない」と話す。「白物家電は調子がいいが、それも含めて他にも柱がいる」。

<キャッシュ不足で迫られる決断、事業の選択と集中>

もっとも津賀氏は、リストラの大ナタを振るうだけでなく、成長戦略でも実績を残している。PAS社の幹部は08年8月、社長就任から4カ月しか経っていない津賀氏が幹部会議で事業構造の問題点について指摘した内容に驚いたという。投資が不十分、製品が偏っているなど課題をえぐりだし、主力だったカーナビやカーオーディオこそ「成長の壁になっている」と指摘。充電器や電池パック、ヒートポンプなど環境車向けデバイスへの投資を強化し、事業構造を転換させた。

問題は、今のパナソニックは財務基盤が悪化し、成長に向けた投資をする余力がないことだ。もともと同社は、帳簿上で利益が出ていても手元に現金のない「勘定合って銭足らず」の状態をよしとせず、キャッシュ重視の経営をしてきた。だが三洋電機やパナソニック電工の買収で資金が流出し、借金から手元資金を引いた 「ネット負債」は3月末で1兆円を超える。一時は真剣に検討したオリンパス<7733.T>への出資も断念せざるをえなかった。

ムーディーズ、スタンダード・アンド・プアーズ、格付投資情報センターとも、今年に入ってパナソニックの格付けを過去最低の水準に引き下げた。これ以上の借り入れは一段の格下げにつながる恐れがある。構造改革改革を進めるにも多額の費用が必要だが、株価が安値に沈んでいる以上、新株発行による資金調達も難しい。

選択肢が限られる中で、財務改善の近道は事業の売却。津賀氏が打ち出した「小さな本社」の狙いは、本社が戦略立案と戦略投資の機能に特化し、約90の事業部門に対して「ポートフォリオで全体を経営していくことを明確にする」(津賀氏)ことだ。シティグループ証券の江沢厚太アナリストは、非中核事業の切り離しだけでなく、資金を生む高収益事業の売却の可能性についても「現実味を帯びた」と指摘する。

津賀社長もアナリスト説明会で、事業売却などによる財務改善について、10月以降に小さな本社が始動すれば「色々な選択肢が出てくる」と述べた。事業部門の再編を通じた「選択と集中」が加速する可能性もある。

旧パナソニック電工社長から津賀氏の補佐役としてパナソニック副社長に就任した長栄氏は、6月のロイターの取材に対し「まず人を減らすことがありきではない」としながらも「これから成長戦略をやる上で、この事業はいらないということが出てくる可能性はあって、そこで構造改革やリストラが出てくる」と述べた。

<かつてない厳しい航海>

パナソニックが2012年3月期に計上した最終赤字7721億円は、「創業以来最大の危機」と言われた02年3月期の赤字額4277億円をゆうに超える。

就任会見に臨んだ津賀氏は「高収益企業を目指すが、そんなことを口にできる状況ではない。まずは普通の会社になる」と話すのが精一杯で、今後、1カ月、3カ月、6カ月、9カ月と時間を区切って対策を打っていく考えを示した。2013年度から15年度までの中期経営計画は年度内に策定する予定だ。

貴重なる生活物資を、水道のごとく無尽蔵たらしめる──。創業者の松下幸之助氏は、高額のものでも大量生産することで「無代に等しい価格」にし、世の中を豊かにすることが生産者の使命だと説いた。この「水道哲学」に基づく大量生産は、皮肉にもテレビ市場では「想定外の価格下落」を引き起こし、日本勢は韓国勢の圧倒的な物量に敗れた。

日本のメーカーが国内工場の大量生産で勝てる時代は終わった。パナソニックは幸之助の哲学を守りつつ、新しい戦略シナリオを生み出すことを迫られている。創業家の出身者を除いて最年少で社長になった津賀氏は、かつてない厳しい航海を任された。

(ロイターニュース 村井令二、ティム・ケリー 取材協力:長田善行 編集:久保信博)

最終更新:7月9日(月)13時14分

どうなっていくんだろうかねぇ、パナソニック。

暗黒の稲妻