<スーチー氏>「自由で平和な世界を」…ノーベル平和賞講演
毎日新聞 6月16日(土)21時28分配信
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オスロでノーベル賞受賞の記念講演を行うアウンサンスーチー氏=2012年6月16日、AP
【オスロ小倉孝保】ミャンマーの最大野党「国民民主連盟(NLD)」の党首アウンサンスーチー氏は16日午後(日本時間同日夜)、オスロ市内でノーベル平和賞受賞(1991年)の記念講演を行った。スーチー氏は「ノーベル平和賞の受賞が、世界の関心をビルマ(現ミャンマー)の人権や民主主義の闘いに引きつけた」と述べ、受賞がミャンマーの民主化を大きく後押ししたことに感謝した。
スーチー氏は「我々の究極の目的は誰もが自由で平和に暮らせる世界を作り上げることだ。安心して眠りに就き、幸せに目覚めを迎えられる世界を作るために手を携えましょう」と、当たり前の幸せの大切さを強調した。
自らが党首を務めるNLDについて「国民和解の過程でどんな役割を担う準備もできている」と述べ、現政権とともに国造りに協力する意向を改めて表明。一方、「テインセイン大統領が進める改革は、国民生活の向上が伴ってこそ、評価できる」と注文をつけた。
国内で最大の課題とされる少数民族の対立に関し「一つの軽率な行為が、長年保たれた停戦を崩壊させる」と話し、同国西部で激化するイスラム教徒と仏教徒間の対立に懸念を示した。
受賞当時、スーチー氏はヤンゴンで自宅軟禁下にあり、音の悪いラジオで自らの受賞の知らせを聴くしかなかった。軟禁下の心境について仏教用語を引き合いに出し、「死ぬこと、愛する人と別離すること、愛していない者との暮らしを強いられること」という苦しみに直面していたことを吐露。「(受賞の知らせは)私を隔離された場所から、他の人たちが暮らす世界へと引き戻し、現実感を取り戻させてくれた。我々は忘れ去られなかった」と振り返った。
スーチー氏は91年10月、軍の圧政に屈することなく、非暴力で民主化を求める姿勢が評価され、選ばれた。同年12月の授賞式には、夫のマイケル・エアリス氏(99年3月死去)と長男のアレクサンダー氏、次男キム氏が代理出席。賞金の130万ドルはミャンマー国民の健康と教育のための基金の設立に使われた。
「建国の父」アウンサン将軍の長女として生まれたスーチー氏は、英国で暮らしていた88年、母の見舞いのためミャンマーに帰国。NLDの書記長に就任して軍政に対抗し、これまでに3度自宅軟禁を科せられた。日本との関係も深く、85年から約1年間、京都大学で研究員を務めた。
最終更新:6月17日(日)0時57分
ミャンマーの最大野党「国民民主連盟(NLD)」の党首アウンサンスーチー氏は16日午後(日本時間同日夜)、オスロ市内でノーベル平和賞受賞(1991年)の記念講演を行った様だ。
暗黒の稲妻
毎日新聞 6月16日(土)21時28分配信

オスロでノーベル賞受賞の記念講演を行うアウンサンスーチー氏=2012年6月16日、AP
【オスロ小倉孝保】ミャンマーの最大野党「国民民主連盟(NLD)」の党首アウンサンスーチー氏は16日午後(日本時間同日夜)、オスロ市内でノーベル平和賞受賞(1991年)の記念講演を行った。スーチー氏は「ノーベル平和賞の受賞が、世界の関心をビルマ(現ミャンマー)の人権や民主主義の闘いに引きつけた」と述べ、受賞がミャンマーの民主化を大きく後押ししたことに感謝した。
スーチー氏は「我々の究極の目的は誰もが自由で平和に暮らせる世界を作り上げることだ。安心して眠りに就き、幸せに目覚めを迎えられる世界を作るために手を携えましょう」と、当たり前の幸せの大切さを強調した。
自らが党首を務めるNLDについて「国民和解の過程でどんな役割を担う準備もできている」と述べ、現政権とともに国造りに協力する意向を改めて表明。一方、「テインセイン大統領が進める改革は、国民生活の向上が伴ってこそ、評価できる」と注文をつけた。
国内で最大の課題とされる少数民族の対立に関し「一つの軽率な行為が、長年保たれた停戦を崩壊させる」と話し、同国西部で激化するイスラム教徒と仏教徒間の対立に懸念を示した。
受賞当時、スーチー氏はヤンゴンで自宅軟禁下にあり、音の悪いラジオで自らの受賞の知らせを聴くしかなかった。軟禁下の心境について仏教用語を引き合いに出し、「死ぬこと、愛する人と別離すること、愛していない者との暮らしを強いられること」という苦しみに直面していたことを吐露。「(受賞の知らせは)私を隔離された場所から、他の人たちが暮らす世界へと引き戻し、現実感を取り戻させてくれた。我々は忘れ去られなかった」と振り返った。
スーチー氏は91年10月、軍の圧政に屈することなく、非暴力で民主化を求める姿勢が評価され、選ばれた。同年12月の授賞式には、夫のマイケル・エアリス氏(99年3月死去)と長男のアレクサンダー氏、次男キム氏が代理出席。賞金の130万ドルはミャンマー国民の健康と教育のための基金の設立に使われた。
「建国の父」アウンサン将軍の長女として生まれたスーチー氏は、英国で暮らしていた88年、母の見舞いのためミャンマーに帰国。NLDの書記長に就任して軍政に対抗し、これまでに3度自宅軟禁を科せられた。日本との関係も深く、85年から約1年間、京都大学で研究員を務めた。
最終更新:6月17日(日)0時57分
ミャンマーの最大野党「国民民主連盟(NLD)」の党首アウンサンスーチー氏は16日午後(日本時間同日夜)、オスロ市内でノーベル平和賞受賞(1991年)の記念講演を行った様だ。
暗黒の稲妻