<寛仁さま逝去>スポーツ界とかかわり深く 関係者悼む声
毎日新聞 6月6日(水)21時28分配信


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「第20回宮様杯乗鞍フィーゲルスキー大会」で、2900メートルのスタート地点まで登る寛仁さま=長野県乗鞍岳で1995年5月28日
 6日逝去された寛仁親王殿下はスポーツ界とのかかわりが深く、関係者から悼む声が相次いだ。

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 寛仁さまは90年から日本ラグビー協会名誉総裁を務め、ワールドカップ(W杯)の招致活動にも尽力。05年、日本を視察に訪れた国際ラグビー機構(IRB)の役員らを宮邸に招き、茶会を開いて、もてなされたという。招致委員長として同席した日本ラグビー協会の真下昇副会長(73)は「堪能な英語で日本のスポーツ界、ラグビー界の現状を話された。日本が国際的なスポーツイベントを運営する能力を持つ国であることを説明いただき、招致活動に勢いがついた」と振り返る。

 11年大会の招致はならなかったが、09年、アジアで初のW杯となる19年大会の招致が実現。真下副会長は「大きな後ろ盾をなくし、寂しさでいっぱい。19年W杯をぜひとも、ご覧いただきたかった」と話した。

 寛仁さまは学習院大スキー部出身で、障害者スキーの普及にも関心が高かった。68年グルノーブル五輪アルペンスキー日本代表で、障害者スキーのアルペン日本代表監督を務める丸山寿一さん(67)は、スキー界の未来を語り合う親睦団体「雪輪会」を通じて、15年近い親交があった。丸山さんは「パラリンピックといわず、オリンピック選手にも負けない選手の育成を」と激励を受けていたといい、「よき理解者だった。14年のソチ・パラリンピックで頑張り、メダルを持って報告したい」と悼んだ。【藤野智成】

最終更新:6月7日(木)11時41分

御薨去の報に接し、謹んで哀悼の意を表します。

暗黒の稲妻