周回遅れでTPPに目覚めたカナダの焦り
ニューズウィーク日本版 4月10日(火)16時28分配信

ようやくアジアの重要性に気付いた保守党政権は交渉参加国からの支持取り付けに奔走中

ヒュー・スティーブンズ(TPCコンサルティング代表)

 カナダのスティーブン・ハーパー首相は昨年11月、ホノルルで開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議に際し、環太平洋経済連携協定(TPP)交渉参加に関心があると公式に表明した。

 カナダの姿勢が180度転換したことを示す発言だった。それまでカナダはTPPを遠くから冷ややかに眺めるだけで、前提条件をのまなければ参加できないような交渉には加わらないと明言していた。

 カナダはこれまで、TPPの重要性を認識していなかったのだ。TPPは当初、経済規模の小さい4カ国で細々と発足した(ニュージーランド、チリ、シンガポールに加えて、土壇場でブルネイが参加)。08年にペルーで開かれたAPEC首脳会議を契機に拡大交渉が始まった。

 アメリカが交渉参加を決めたのは、ジョージ・W・ブッシュ大統領の時代だ。議会の批判をかわすためにも貿易交渉で成果を挙げる必要があったブッシュ政権は、将来的なアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)構想も視野に入れながら、TPPの拡大交渉に参加。これを機にペルー、オーストラリア、ベトナム、少し遅れてマレーシアが参加を表明した。

■日本の意思表示に便乗

 それでも、少数与党だったカナダの保守党は、自国の将来にとってアジアが意味するものが大きいということ(もしかすると北米やヨーロッパよりも大きいこと)を認識していなかった。だがここ2年ほどで、TPPは無視できない存在になった。

 アメリカがバラク・オバマ大統領の下でTPP交渉に本腰を入れる意向を示し、09年から交渉が活発化。昨年11月のAPEC首脳会議の際には、交渉参加9カ国が「野心的で21世紀型の協定」の大枠の合意に達したという声明を発表し、12年中の最終妥結を目指すという工程も示された。

 TPPが現実味を帯びるなかで、カナダは蚊帳の外に置かれていることに危機感を抱き始めた。そこでTPP交渉参加の可能性についてアメリカの意向を探ったが、オバマ政権の反応は素っ気なかった。

 第1に、交渉参加国が増えれば、ただでさえ厄介な交渉がさらに難航しかねないという問題があった。参加国にはオーストラリアやニュージーランドといった先進国もあれば、ベトナムのように政府の主導によって経済の舵取りをしている新興国もあり、各国の経済的利害はそれぞれ異なる。

 第2の理由は、アメリカが目指す野心的な合意の成立に、カナダが積極的に貢献するかどうか分からなかったこと。カナダの知的所有権関連法は「ざる法」であることで知られる。映画など広範な「文化産業」を自由貿易交渉から除外するよう要求してもいる。

 さらにカナダは、酪農・養鶏分野で時代遅れの供給管理制度にしがみついている(これはアメリカよりニュージーランドにとって重要な点かもしれない)。そのためこの分野で、外国製品はカナダ市場から事実上締め出されている。

 ひとことで言えば、カナダはあまり歓迎されていなかった。しかし、誰もそれを表立って言いたくなかったし、カナダも参加を明確に表明して拒否されるリスクは避けたかった。

 こうして昨年11月のAPECサミットがやって来た。日本は会議に先立ち、TPP交渉参加に関心があると表明した。日本が参加すれば、交渉の流れは大きく変わる可能性があった。日本の経済規模が大きいためだけでなく、貿易交渉で農産物分野などの市場開放を拒み続けてきた日本の姿勢が、大きく変わることを意味するためだ。

 日本が参加の方針を示したことで、カナダ(とメキシコ)も意思表示をしやすくなった。アメリカとしては、日本を歓迎する一方で、NAFTA(北米自由貿易協定)のパートナーであり、最大の輸出相手国でもあるカナダの参加を拒否するわけにはいかなくなってきた。

 オバマはカナダ(とメキシコ)がTPP交渉参加に関心を示したことを「歓迎する」と語った。ただし、交渉参加には厳しい条件が付くと強調することも忘れなかった。

 カナダ当局は活発な働き掛けを開始した。エド・ファスト貿易相はTPP交渉参加への支持を取り付けるため、マレーシア、シンガポール、ブルネイを歴訪しており、今後すべての交渉参加国を訪問する予定だ。マレーシアはこれまでの合意事項を受け入れるという条件付きで、カナダ(とメキシコ)の参加に支持を表明した。

 カナダとアメリカの事務レベル協議も始まった。米政府はこの場でカナダの交渉参加に関する米産業界の意見を伝えた。ファストによれば「わが国のTPP参加を支持する意見が91%を超えていた」という。

■「蚊帳の中」に入りたい

 APEC加盟国で第4の経済大国であるカナダのTPP参加は、確かに経済的には意義がある。しかしカナダがTPPの「ドレスコード」(丸裸同然の市場開放)をのむ用意があるかどうか、包括的で大胆で多分野に及ぶ協定に同意する用意があるかどうかは分からない。

 ハーパー政権は新しい著作権関連法の制定にようやく近づいた。投資規制の緩和(特に通信分野の規制は悪名高い)にも乗り出す意向だ。

 カナダの酪農・養鶏業界は、経済的な重要度に見合わない大きな政治力を持つ。ハーパー政権がその圧力に抵抗できるかどうかは疑問だが、TPPが誘因となってカナダ産業界の構造改革が進む可能性もある。

 交渉参加国にはそれぞれに守りたい利害がある。どのような交渉でも、それらを擦り合わせる過程で互いに譲歩が必要になる。船に乗りたいのなら、カナダは急いだほうがいい。

 途中から新たに3カ国が加われば、交渉がさらに紛糾するのは明らかだ。それでもカナダは参加を望んでいる。今からでも「蚊帳の中」に入ったほうがいいと気付いたからだ。

 交渉に参加している国々がカナダの参加にメリットがあると判断するかどうかは分からない。それでもカナダは、TPPという名の聖杯を追い求める。その杯が「奇跡」をもたらしてくれることを期待して。

(ニューズウィーク日本版3月14日号掲載)

最終更新:4月10日(火)16時28分

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暗黒の稲妻