竹内洋岳さん、日本人初の8000メートル14座制覇へ出発
スポーツ報知 4月1日(日)8時10分配信


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過酷な挑戦に挑む竹内さんは、出発前の羽田国際空港でチョコパフェを食べて糖分を補給した
 日本人初の8000メートル峰14座完全制覇に王手をかけている登山家の竹内洋岳さん(41)が最後のターゲットとなるネパール北部にある世界7位の高峰、ダウラギリ(8167メートル)登頂へ向けて31日未明、日本を出発した。14座制覇に成功した人物はすでに世界に21人(ほか論争中の例あり)もいるが、日本人ではまだ一人もいない。

 出発前の羽田国際空港のレストランで竹内さんが注文したのは、チョコレートパフェだった。「ネパールでは食べられないものを食べようと思って」。甘党で、酒はたしなむ程度。181センチで体重60キロ前後のスリムな体は、過酷な挑戦へ向けて、糖分補給を欲していたようだ。

 現地で4月中に高度順化を行い、5月初旬にベースキャンプ入りする予定。同行する中島健郎カメラマンと2人でアタックして、5月22日前後の登頂を目指す。自然体で「いい体調で出発を迎えられました」と話した。

 14座は1986年にラインホルト・メスナー(イタリア)が初制覇。続いてポーランド、スイスなどの登山家が成功し、2001年には朴英碩(韓国)がアジア人初制覇。すでに21人が成功している。日本人で竹内さんに続くのは9座制覇で山田昇、名塚秀二、田辺治、近藤和美の各氏。近藤氏を除く3人は1989年、2004年、2010年にそれぞれ遭難死しており、田辺氏はダウラギリで雪崩に見舞われ、命を落としている。

 日本は1956年のマナスル(8163メートル)初登頂を始め、ヒマラヤ登山に数々の金字塔を打ち立ててきたが、なぜ14座は出遅れてしまったのか。竹内さんは「山田さんや名塚さんたちが亡くなったこともあるし、理由は一つに絞れない。登山に限らず、日本全体の勢いが失われつつある一つの表れかもしれません。14座は『今さら』ですが、まだ日本ができていないことが悔しい。まずは『今さら』を達成しに行くんです」と話した。

 実は14座制覇の後にこそ、胸に秘めた登山家としての思いがある。「これが最後の挑戦ではありません。山登りは、その後も続きますから」と竹内さん。ダウラギリは雪男(イエティ)伝説があり、日本からも2003年に捜索隊が出ている。「登って下りる時には雪男と会えるかもしれません」。本気か冗談か分からぬ言葉を残して、竹内さんは旅立った。

 ◆竹内さんの日程 4月13日頃からヒマラヤ山脈の6000メートル台の山で高度順化トレーニングを開始。4月下旬に一度カトマンズに戻り、5月4日頃、ダウラギリのBC入りする。7日頃から登山活動を開始し、22日前後の登頂を目指す。登山活動は29日頃まで予定している。登山経験者向けのダウラギリBCトレッキングツアー(4月26日~5月12日)もある。詳しくは(株)ウェック・トレック(電)03・3437・8848まで。

 ◆ダウラギリ(8167メートル) ネパール北部のヒマラヤ山脈に位置する。サンスクリット語で「白い山」という意味。1960年5月にスイス・オーストリア隊が初登頂。19世紀頃のヒマラヤ登山の黎明(れいめい)期には世界一高い山と考えられていた。2010年9月には雪崩による日本隊の遭難死亡事故が起きている。

 ◆竹内 洋岳(たけうち・ひろたか)1971年1月8日、東京都出身。41歳。山好きの祖父の影響で幼少から山に親しむ。都立一橋高、立正大学では山岳部。20歳で初めてヒマラヤ登山を経験し、95年に未踏ルートのマカルー東稜下部から初登頂。96年にはエベレスト、K2の連続登頂に成功。2007年にはガッシャブルム2峰で雪崩に遭い、奇跡的に救出される。酸素、シェルパを使わぬアルパインスタイルで8000メートル13座を制覇。家族は妻と2男。

最終更新:4月1日(日)8時10分

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