タイタニック沈没100年 建造地・英ベルファスト、薄れるタブー
産経新聞 3月22日(木)7時55分配信
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タイタニック号の航路と沈没地点(写真:産経新聞)
■船の代わりに「発電所」製造
処女航海で氷山と衝突し、1513人が犠牲になった豪華客船タイタニック号(4万6328総トン)の沈没事故から4月15日で100年を迎える。「不吉」だとしてその名を口に出すことさえ、長らくタブーとされてきた建造地の英国・北アイルランドのベルファストでは今、タイタニック・ブームに沸く。造船所でも客船の代わりに風力発電所が造られるなど、時代の変遷を感じさせた。(英ベルファスト 木村正人)
【フォト】タイタニック号 海深4キロの品々「歴史的」競売へ
完成したばかりの世界最大(当時)の豪華客船、タイタニックは1912年4月2日、ベルファストの造船所ハーランド・アンド・ウルフ(H&W)を出航。同10日、米ニューヨークに向けて英南部サウサンプトンを後にし、14日深夜、北大西洋で氷山と衝突、15日未明に沈没した。
ベルファストで現在、タイタニックに関連した観光業の普及に努めるスージー・ミラーさんの曽祖父トーマス氏は、H&Wの技師としてタイタニックの建造に携わった一人で、整備のため処女航海に乗り込んでいた。その3カ月前に妻を亡くしたトーマス氏には、新天地の米国で人生をやり直したいとの思いもあった。
スージーさんの祖父ウィリアム氏(故人)は当時、5歳。6歳上の兄とともに父トーマス氏から1ペニー硬貨を受け取った。留守中、お金に困らないようにとの“おまじない”で、トーマス氏は息子2人に「自分が帰るまで絶対に使ってはいけない」と言い聞かせた。
結局、1ペニー硬貨は使われることはなかった。トーマス氏がタイタニックとともに北大西洋に消え、帰ってこなかったからだ。
今、その硬貨を大切に保管するスージーさんは「ベルファストでは長らくタイタニックという言葉はタブーで、口に出す人はいなかった」と振り返る。
□ □ □
しかし85年にタイタニックの船体が深海で発見され、97年、米映画「タイタニック」が大ヒットするなどで状況が一変。98年に北アイルランド紛争が包括和平合意により終止符を打ち、ベルファストを訪れる観光客も増えていった。
今月31日にはタイタニック博物館もオープン。地元では追悼式典や記念航海などの行事がめじろ押しだ。
H&Wのデービッド・マクベイ営業部長は「客船の大型化に安全基準の更新が追いつかず、事故当時、タイタニックには2224人の乗客・乗員に対し、救命艇が1178人分しか備えられていなかった。十分な救命艇があれば、あれだけの惨事にはならなかったのに」と唇をかむ。
□ □ □
1700隻超の船を建造してきたH&Wの労働者は、最盛期に2万8千人を数えたものの現在は300~400人。2003年は売り上げの8割が造船、2割が海底油田・ガス田施設などだったが、今では洋上風力発電所、潮力・波力発電所が8割を占め、造船はゼロになった。
欧州の造船所は最近、経営改善のため再生可能エネルギーにかじを切っている。今年初めまでに設置された風力発電所の発電能力が5・9ギガワットという英国は、風の通り道に位置するだけに毎年2ギガワットずつ新設されると予想され、特に洋上風力発電所に期待が集まる。
「1950~60年代には海底油田・ガス田の開発コストが高すぎると敬遠する企業は多かったが、今では主流になった。洋上風力発電所や潮力・波力発電所も同じように普及するのは間違いない」とマクベイ部長は意気込む。
大型客船の建造から風力発電所の建設へ。タイタニックの故郷は時代の荒波にもまれていた。
最終更新:3月22日(木)12時6分
記事のみ紹介。
暗黒の稲妻
産経新聞 3月22日(木)7時55分配信
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タイタニック号の航路と沈没地点(写真:産経新聞)
■船の代わりに「発電所」製造
処女航海で氷山と衝突し、1513人が犠牲になった豪華客船タイタニック号(4万6328総トン)の沈没事故から4月15日で100年を迎える。「不吉」だとしてその名を口に出すことさえ、長らくタブーとされてきた建造地の英国・北アイルランドのベルファストでは今、タイタニック・ブームに沸く。造船所でも客船の代わりに風力発電所が造られるなど、時代の変遷を感じさせた。(英ベルファスト 木村正人)
【フォト】タイタニック号 海深4キロの品々「歴史的」競売へ
完成したばかりの世界最大(当時)の豪華客船、タイタニックは1912年4月2日、ベルファストの造船所ハーランド・アンド・ウルフ(H&W)を出航。同10日、米ニューヨークに向けて英南部サウサンプトンを後にし、14日深夜、北大西洋で氷山と衝突、15日未明に沈没した。
ベルファストで現在、タイタニックに関連した観光業の普及に努めるスージー・ミラーさんの曽祖父トーマス氏は、H&Wの技師としてタイタニックの建造に携わった一人で、整備のため処女航海に乗り込んでいた。その3カ月前に妻を亡くしたトーマス氏には、新天地の米国で人生をやり直したいとの思いもあった。
スージーさんの祖父ウィリアム氏(故人)は当時、5歳。6歳上の兄とともに父トーマス氏から1ペニー硬貨を受け取った。留守中、お金に困らないようにとの“おまじない”で、トーマス氏は息子2人に「自分が帰るまで絶対に使ってはいけない」と言い聞かせた。
結局、1ペニー硬貨は使われることはなかった。トーマス氏がタイタニックとともに北大西洋に消え、帰ってこなかったからだ。
今、その硬貨を大切に保管するスージーさんは「ベルファストでは長らくタイタニックという言葉はタブーで、口に出す人はいなかった」と振り返る。
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しかし85年にタイタニックの船体が深海で発見され、97年、米映画「タイタニック」が大ヒットするなどで状況が一変。98年に北アイルランド紛争が包括和平合意により終止符を打ち、ベルファストを訪れる観光客も増えていった。
今月31日にはタイタニック博物館もオープン。地元では追悼式典や記念航海などの行事がめじろ押しだ。
H&Wのデービッド・マクベイ営業部長は「客船の大型化に安全基準の更新が追いつかず、事故当時、タイタニックには2224人の乗客・乗員に対し、救命艇が1178人分しか備えられていなかった。十分な救命艇があれば、あれだけの惨事にはならなかったのに」と唇をかむ。
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1700隻超の船を建造してきたH&Wの労働者は、最盛期に2万8千人を数えたものの現在は300~400人。2003年は売り上げの8割が造船、2割が海底油田・ガス田施設などだったが、今では洋上風力発電所、潮力・波力発電所が8割を占め、造船はゼロになった。
欧州の造船所は最近、経営改善のため再生可能エネルギーにかじを切っている。今年初めまでに設置された風力発電所の発電能力が5・9ギガワットという英国は、風の通り道に位置するだけに毎年2ギガワットずつ新設されると予想され、特に洋上風力発電所に期待が集まる。
「1950~60年代には海底油田・ガス田の開発コストが高すぎると敬遠する企業は多かったが、今では主流になった。洋上風力発電所や潮力・波力発電所も同じように普及するのは間違いない」とマクベイ部長は意気込む。
大型客船の建造から風力発電所の建設へ。タイタニックの故郷は時代の荒波にもまれていた。
最終更新:3月22日(木)12時6分
記事のみ紹介。
暗黒の稲妻