松平康隆氏が死去 ミュンヘン五輪男子バレー金メダル監督
産経新聞 1月5日(木)12時16分配信
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松平康隆さん(写真:産経新聞)
日本バレーボール協会名誉顧問の松平康隆氏が昨年12月31日、肺気腫のため東京都内の病院で死去していたことが5日、分かった。81歳だった。葬儀・告別式は近親者のみで行った。後日、お別れの会を開催する。東京都出身。
慶大法学部を経て、日本鋼管へ入社。全日本男子チームのコーチとして、昭和39年の東京五輪で銅メダルを獲得した。その後、全日本監督に就任。長期的な計画を立ててチームを強化し、43年のメキシコ五輪で銀メダル、47年のミュンヘン五輪では男子バレーで初の金メダルに導いた。
外国人選手との体格差を埋めるため、速攻や時間差など、今では主流となっている攻撃スタイルを考案した。
バレーボールの世界への普及・発展にも尽力し、平成10年には日本人で初めてバレーボール殿堂入り。平成12年には国際バレーボール連盟から、20世紀世界最優秀監督賞に選ばれた。16年、旭日中綬章受章。
最終更新:1月5日(木)14時43分
ご冥福をお祈りいたします。
暗黒の稲妻
産経新聞 1月5日(木)12時16分配信

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松平康隆さん(写真:産経新聞)
日本バレーボール協会名誉顧問の松平康隆氏が昨年12月31日、肺気腫のため東京都内の病院で死去していたことが5日、分かった。81歳だった。葬儀・告別式は近親者のみで行った。後日、お別れの会を開催する。東京都出身。
慶大法学部を経て、日本鋼管へ入社。全日本男子チームのコーチとして、昭和39年の東京五輪で銅メダルを獲得した。その後、全日本監督に就任。長期的な計画を立ててチームを強化し、43年のメキシコ五輪で銀メダル、47年のミュンヘン五輪では男子バレーで初の金メダルに導いた。
外国人選手との体格差を埋めるため、速攻や時間差など、今では主流となっている攻撃スタイルを考案した。
バレーボールの世界への普及・発展にも尽力し、平成10年には日本人で初めてバレーボール殿堂入り。平成12年には国際バレーボール連盟から、20世紀世界最優秀監督賞に選ばれた。16年、旭日中綬章受章。
最終更新:1月5日(木)14時43分
ご冥福をお祈りいたします。
暗黒の稲妻