<東日本大震災>惨劇風化させまい 12人「語り部」活動
毎日新聞 11月16日(水)13時26分配信
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津波が押し寄せた状況を説明する「語り部」の阿部長記さん(右端)=宮城県南三陸町で2011年11月12日午前11時33分、須藤唯哉撮影
大津波が宮城県南三陸町を襲った3月11日の惨状を風化させまいと、12人の町民たちが「語り部」として活動している。その一人は「最近、やっと泣かずに話せるようになった」と語るが、これまでに延べ約1500人と震災の爪痕を歩き、身をもって得た教訓を伝えている。【須藤唯哉】
【あの日起こったこと】M9.0の巨大地震 大津波
「津波はあの屋根の上まで来たんです」
語り部の一人、阿部長記(ちょうき)さん(74)が3階建ての建物をバスの車内から指さし、こう語りかけた。バスに乗った8人の男性たちが「うわー」「津波の威力はすごい」と声を上げた。
週末だった今月12日。被災地を歩き、津波のすさまじさを知りたいと、首都圏から訪れた企業の幹部らだった。
阿部さんはバスを降りると、参加者とともに広大な空き地を歩いた。かつて町の中心だった一角で、震災直後の様子や被災地の現状について話した。
阿部さんは港に近い勤め先の建設会社で地震に襲われた。美容院に勤める妻を車に乗せ、高台に避難した。そこから見たのは、自宅に黒い波が覆いかぶさり、破壊していく瞬間だった。「まばたきを2~3回するほどの間でした」。阿部さんは参加者にそう語った。
震災直後の町の様子や心境を説明し、最後は「自分の命の安全は自分で守ってほしい」と訴えた。「涙を流さないで話せるようになったのは最近です」。そう打ち明けた。
参加者の一人、川崎市の会社役員、真中伴典さん(49)は「被災者の気持ちを考えて被災地に来ない人はいっぱいいると思う。でも実際に訪れて、必死に復興しようとする被災地の姿に触れ、一緒に頑張らないといけない気持ちになった」と話した。
語り部は50~70歳代で、町の歴史などを紹介していたガイドグループを中心に結成。5月に町内のイベントで被災体験を話したことがきっかけだった。津波で骨組みだけになった町防災対策庁舎、避難所になった学校などを巡る。建築や福祉関係企業の研修で参加するケースが多く、今月の予約は既にいっぱいだという。問い合わせは南三陸町観光協会(0226・47・2550)。
最終更新:11月16日(水)14時2分
記事のみ紹介します。
暗黒の稲妻
毎日新聞 11月16日(水)13時26分配信

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津波が押し寄せた状況を説明する「語り部」の阿部長記さん(右端)=宮城県南三陸町で2011年11月12日午前11時33分、須藤唯哉撮影
大津波が宮城県南三陸町を襲った3月11日の惨状を風化させまいと、12人の町民たちが「語り部」として活動している。その一人は「最近、やっと泣かずに話せるようになった」と語るが、これまでに延べ約1500人と震災の爪痕を歩き、身をもって得た教訓を伝えている。【須藤唯哉】
【あの日起こったこと】M9.0の巨大地震 大津波
「津波はあの屋根の上まで来たんです」
語り部の一人、阿部長記(ちょうき)さん(74)が3階建ての建物をバスの車内から指さし、こう語りかけた。バスに乗った8人の男性たちが「うわー」「津波の威力はすごい」と声を上げた。
週末だった今月12日。被災地を歩き、津波のすさまじさを知りたいと、首都圏から訪れた企業の幹部らだった。
阿部さんはバスを降りると、参加者とともに広大な空き地を歩いた。かつて町の中心だった一角で、震災直後の様子や被災地の現状について話した。
阿部さんは港に近い勤め先の建設会社で地震に襲われた。美容院に勤める妻を車に乗せ、高台に避難した。そこから見たのは、自宅に黒い波が覆いかぶさり、破壊していく瞬間だった。「まばたきを2~3回するほどの間でした」。阿部さんは参加者にそう語った。
震災直後の町の様子や心境を説明し、最後は「自分の命の安全は自分で守ってほしい」と訴えた。「涙を流さないで話せるようになったのは最近です」。そう打ち明けた。
参加者の一人、川崎市の会社役員、真中伴典さん(49)は「被災者の気持ちを考えて被災地に来ない人はいっぱいいると思う。でも実際に訪れて、必死に復興しようとする被災地の姿に触れ、一緒に頑張らないといけない気持ちになった」と話した。
語り部は50~70歳代で、町の歴史などを紹介していたガイドグループを中心に結成。5月に町内のイベントで被災体験を話したことがきっかけだった。津波で骨組みだけになった町防災対策庁舎、避難所になった学校などを巡る。建築や福祉関係企業の研修で参加するケースが多く、今月の予約は既にいっぱいだという。問い合わせは南三陸町観光協会(0226・47・2550)。
最終更新:11月16日(水)14時2分
記事のみ紹介します。
暗黒の稲妻