銀幕また一つ消ゆ 岩手・盛岡の映画館通り、老舗閉館へ
岩手県盛岡市の「映画館通り」から二つの映画館が姿を消す。中劇と盛岡東宝が入った中央会館が来年3月末で閉館すると決めたためだ。半世紀前から映画の灯をともしてきた草分けだけに、惜しむ声は少なくない。
中央会館は1958年に盛岡松竹として開館。84年からは1階を中劇、2階を中央ホールにリニューアルした。93年からは2階が盛岡東宝に。
運営する中央映画劇場は1935年設立。当時、南部家から2万坪を超える払い下げを受けた実業家たちが現在の大通商店街へ人を呼ぶために、娯楽施設として映画館を次々とつくった。これが「映画館通り」の礎になった。
「『笛吹童子』や『鞍馬天狗』、高校時代には石原裕次郎作品を見たな。見終わるとポケットに手を突っ込んで役になりきった」
盛岡大通商店街協同組合の吉田莞爾理事長(67)は振り返る。映画館を借り切って店の客向けの上映会を開いたこともある。「シネコンは設備は立派だが、そういうことはできない。俺の年代の人間は映画館がなくなるのはすごく寂しい」
2000年に電線地中化や街灯整備が終わり、「映画館通り」として整備された。現在、通り周辺には9館(16スクリーン)が集まる。「もりおか映画祭」を毎年開催し、「映画の街」として発信を続ける。
05年まで中央映画劇場社長を12年間務めた高橋利男相談役(79)は「『タイタニック』や『ジュラシック・パーク』は本当にたくさんお客さんが来てくれた」。1950年前後には中劇や中央ホールで年間100万人の来場者があったという。
しかし、郊外に大型商業施設ができ、中心部の商店街が活気を失うなかで映画館からも客足が遠のいていった。郊外でシネコンに転換することを検討したが、「街の核としてできた映画館が出ていくわけにはいかなかった」。
05年度に約15万人いた観客は昨年度、5、6万人に激減した。半世紀前の建物は修繕などに費用がかかり、維持が困難になった。今後は中劇2・3の2館に集約する。
「シネコンに客が流れるのは時代の流れで、批判しても仕方ないこと。ただ、時流に乗り損ねただけ」。現社長の幾田和実さん(37)は今、そう感じている。
(記事元:asahi.com)
URL:http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY201111040478.html
こういう記事は何となく寂しい感じだね。
暗黒の稲妻
岩手県盛岡市の「映画館通り」から二つの映画館が姿を消す。中劇と盛岡東宝が入った中央会館が来年3月末で閉館すると決めたためだ。半世紀前から映画の灯をともしてきた草分けだけに、惜しむ声は少なくない。
中央会館は1958年に盛岡松竹として開館。84年からは1階を中劇、2階を中央ホールにリニューアルした。93年からは2階が盛岡東宝に。
運営する中央映画劇場は1935年設立。当時、南部家から2万坪を超える払い下げを受けた実業家たちが現在の大通商店街へ人を呼ぶために、娯楽施設として映画館を次々とつくった。これが「映画館通り」の礎になった。
「『笛吹童子』や『鞍馬天狗』、高校時代には石原裕次郎作品を見たな。見終わるとポケットに手を突っ込んで役になりきった」
盛岡大通商店街協同組合の吉田莞爾理事長(67)は振り返る。映画館を借り切って店の客向けの上映会を開いたこともある。「シネコンは設備は立派だが、そういうことはできない。俺の年代の人間は映画館がなくなるのはすごく寂しい」
2000年に電線地中化や街灯整備が終わり、「映画館通り」として整備された。現在、通り周辺には9館(16スクリーン)が集まる。「もりおか映画祭」を毎年開催し、「映画の街」として発信を続ける。
05年まで中央映画劇場社長を12年間務めた高橋利男相談役(79)は「『タイタニック』や『ジュラシック・パーク』は本当にたくさんお客さんが来てくれた」。1950年前後には中劇や中央ホールで年間100万人の来場者があったという。
しかし、郊外に大型商業施設ができ、中心部の商店街が活気を失うなかで映画館からも客足が遠のいていった。郊外でシネコンに転換することを検討したが、「街の核としてできた映画館が出ていくわけにはいかなかった」。
05年度に約15万人いた観客は昨年度、5、6万人に激減した。半世紀前の建物は修繕などに費用がかかり、維持が困難になった。今後は中劇2・3の2館に集約する。
「シネコンに客が流れるのは時代の流れで、批判しても仕方ないこと。ただ、時流に乗り損ねただけ」。現社長の幾田和実さん(37)は今、そう感じている。
(記事元:asahi.com)
URL:http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY201111040478.html
こういう記事は何となく寂しい感じだね。
暗黒の稲妻