山崎2軍監督が退団…赤ヘル一筋35年、自ら後進に道譲る
デイリースポーツ 10月2日(日)9時3分配信


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 退団することになった山崎2軍監督
 広島は1日、山崎立翔2軍監督(53)の辞任を発表した。同日、球団側に辞意を申し入れ、了承された。球団には残らず退団する。ウエスタン・リーグで3年連続最下位と、成績不振の責任を取った。1977年以来、選手、コーチ、2軍監督と35年間を赤ヘルに尽くした功労者は、後進に道を譲る決断をした。

 広島一筋35年間、着続けた赤のユニホームをついに脱ぐ日が来た。山崎2軍監督はこの日、マツダスタジアムの球団事務所を訪れ、松田元(はじめ)オーナー(60)に辞任を申し入れ、了承された。オーナーからは「ご苦労さん」とねぎらいの言葉をかけられた。

 辞任理由は成績不振が大きい。9月29日の今季ウエスタン最終戦・オリックス戦(神戸第二)で敗れ、3年連続の最下位が確定した。今季は7月2日~8月16日までリーグタイ16連敗を記録する屈辱もあった。

 球団は2軍は育成の場ととらえ、勝敗は二の次の方針ではある。この日もオーナーからは「順位なんか全然気にしとらんぞ」と言われたが、同監督は複雑な思いをずっと抱えていた。

 「勝ちながら育てるのが一番だとは思う。でも、やはり勝負事は負けた悔しさを持たないと。16連敗する中で意地というのを見せられなかった」。淡々と負け続ける選手に勝負事の厳しさを植え付けられなかった自身を責めた。

 76年崇徳高からドラフト1位で広島入団。93年引退まで俊足巧打の1、2番として、1404安打を積み重ねた。94年からコーチ、2軍監督、1軍では守備走塁コーチも務めた。06年から再び2軍監督に復帰し、丸、松山らを育て、今季は1軍に送り込んだ。

 ただ6年もの2軍監督は長すぎたと実感する。「教育の仕方の難しさ、僕なりの苦しさがあった。マンネリ化もあった。その上にあぐらをかいていていいのか、と。チームのためにも環境を変え、血の入れ替えが必要なタイミングと思った」。新時代のために後進に道を譲る決断をした。球団には残らず退団する。「野球を離れ、ゆっくりしたいのもある」と、功労者は肩の荷を下ろし話した。

 今後の練習試合およびみやざきフェニックス・リーグでは内田2軍打撃チーフコーチが監督を代行。後任は未定で、球団は今後、現1、2軍コーチ陣を最優先に、適任者を選考することになる。

最終更新:10月2日(日)10時11分

カープ一筋35年。お疲れさまでした。

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