<ミャンマー>「普通の国」を演出…国会公開
毎日新聞 9月18日(日)21時8分配信
拡大写真
議会定数の4分の1を占める国軍推薦の軍人議員と談笑する選挙で選ばれた民選枠の一般議員(左)=ミャンマー下院で2011年9月16日
軍事政権から民政移管したミャンマーのテインセイン政権は16日、毎日新聞など一部の外国メディアに首都ネピドーの国会議事堂を公開した。最大都市ヤンゴンの空港に降り立ち、旅券を手に入国審査の長い列に並んだら、いつの間にか横に来ていた係官に「あなたは日本の記者ですか」と問われ、「外交官用」カウンターに案内された。審査はスムーズで、1カ月前まで「外国メディアは害悪をまき散らす」と敵意をむきだしていた治安当局の変わりように驚かされた。【ネピドー西尾英之】
【写真特集】ミャンマーの豪華な国会議事堂
ヤンゴンから約320キロ離れたネピドーに向かう高速道路は立派なのに、記者の乗った車以外に走る車はほとんどなく、道の両側に点在する農家にも電気は通じていない。
約6時間後、山を切り開いた新しい首都がその威容を現した。市内では、記者の車は情報省の車に先導され、道路沿いには、自動小銃を構えた兵士が立つ以外に人けはなかった。
意匠を凝らした国会の敷地のゲートで、金属探知機によるチェックを受ける。そこから目指す国会議事堂は1キロ先と遠く、用意されたトラックの荷台に乗り換えだ。
伝統様式の三角屋根と、クリーム色に赤と緑のラインの外装に統一された31の建物群。使用されている形跡はなく、係官に用途を聞いてもはっきりしない。ヤンゴンでは当たり前の路上のゴミもここには見あたらない。
国会全体の規模は日本より巨大だ。すでに440人の下院議員が着席し始めていた。2階の傍聴席には市民の姿はなく、議場には白と深緑の集団がくっきりと分かれている。白は着用が義務づけられている民族衣装姿の民選の議員、深緑は軍服姿の軍人議員だ。
午前10時、開会のベルが鳴った。議場は静かになり、少数民族や民主化勢力に恐れられた、軍事政権ナンバー3だったシュエマン議長が、議会の権威を象徴するという儀仗(ぎじょう)に先導されて入場。政府が提出した「村区行政法」草案などの審議が始まった。
審議では、軍人議員や翼賛政党の「連邦団結発展党」の活気が目立った。「村区長に徴税権限を与える」との草案に、若手の軍人議員が「汚職の温床となる」とかみつく。採決では、発展党の議員を含む圧倒的多数が文言の修正に賛成。政府は、村区長に徴税業務をさせないよう法案修正を強いられた。
「これまでは一握りの閣僚が国の行方を決めた。今は、国民の代表である国会議員が意思決定者だ」。発展党議員で、自身も退役軍人のティンマオ議員(51)は胸を張った。
これらは、外国人記者たちを前にした「演出」の可能性もあるが、野党議員の一人は「発展党の議員は、教育水準が高い。自由に発言し国政に参画できる喜びから『民主主義者』になった」と皮肉交じりに解説した。
独裁的だった軍事政権トップ、タンシュエ前国家平和発展評議会議長が民政移管後に「引退した」との観測があることも、「自由な議論」を後押ししているのかもしれない。
しかし、政府の最大のライバルだった国民民主連盟(NLD)は昨年11月の総選挙をボイコットしたことから姿はない。少数民族出身の女性議員は「自由はあるが『勝利』はない」と言った。NLDを率いるスーチーさんや野党勢力が求める政治囚2000人以上の釈放要求は、提案する自由はあっても可決されないためだ。
また、軍人議員の軍服姿の異様さについて、年配議員が「こんなことが他の民主主義国であり得るか」と記者に問いかけた。
記者席として指定された部屋を離れようとすると必ず監視役が後を追ってきた。「ホテルの部屋でも見張られていると思った方がいい」と忠告したのは地元記者だった。軍事政権は03年、今回と同じように民主化勢力に歩み寄ったが、数カ月後に対決姿勢に戻った。
改革、民主化を強調し、国際社会による経済制裁の解除などを求める政権が、軍政当時の負の遺産を解消してミャンマーを「普通の国」に導くのか。その見通しはまだ語ることが難しい。
最終更新:9月19日(月)10時40分
この記事の内容を見てると表題は判らなくもないが・・・・。
暗黒の稲妻
毎日新聞 9月18日(日)21時8分配信

拡大写真
議会定数の4分の1を占める国軍推薦の軍人議員と談笑する選挙で選ばれた民選枠の一般議員(左)=ミャンマー下院で2011年9月16日
軍事政権から民政移管したミャンマーのテインセイン政権は16日、毎日新聞など一部の外国メディアに首都ネピドーの国会議事堂を公開した。最大都市ヤンゴンの空港に降り立ち、旅券を手に入国審査の長い列に並んだら、いつの間にか横に来ていた係官に「あなたは日本の記者ですか」と問われ、「外交官用」カウンターに案内された。審査はスムーズで、1カ月前まで「外国メディアは害悪をまき散らす」と敵意をむきだしていた治安当局の変わりように驚かされた。【ネピドー西尾英之】
【写真特集】ミャンマーの豪華な国会議事堂
ヤンゴンから約320キロ離れたネピドーに向かう高速道路は立派なのに、記者の乗った車以外に走る車はほとんどなく、道の両側に点在する農家にも電気は通じていない。
約6時間後、山を切り開いた新しい首都がその威容を現した。市内では、記者の車は情報省の車に先導され、道路沿いには、自動小銃を構えた兵士が立つ以外に人けはなかった。
意匠を凝らした国会の敷地のゲートで、金属探知機によるチェックを受ける。そこから目指す国会議事堂は1キロ先と遠く、用意されたトラックの荷台に乗り換えだ。
伝統様式の三角屋根と、クリーム色に赤と緑のラインの外装に統一された31の建物群。使用されている形跡はなく、係官に用途を聞いてもはっきりしない。ヤンゴンでは当たり前の路上のゴミもここには見あたらない。
国会全体の規模は日本より巨大だ。すでに440人の下院議員が着席し始めていた。2階の傍聴席には市民の姿はなく、議場には白と深緑の集団がくっきりと分かれている。白は着用が義務づけられている民族衣装姿の民選の議員、深緑は軍服姿の軍人議員だ。
午前10時、開会のベルが鳴った。議場は静かになり、少数民族や民主化勢力に恐れられた、軍事政権ナンバー3だったシュエマン議長が、議会の権威を象徴するという儀仗(ぎじょう)に先導されて入場。政府が提出した「村区行政法」草案などの審議が始まった。
審議では、軍人議員や翼賛政党の「連邦団結発展党」の活気が目立った。「村区長に徴税権限を与える」との草案に、若手の軍人議員が「汚職の温床となる」とかみつく。採決では、発展党の議員を含む圧倒的多数が文言の修正に賛成。政府は、村区長に徴税業務をさせないよう法案修正を強いられた。
「これまでは一握りの閣僚が国の行方を決めた。今は、国民の代表である国会議員が意思決定者だ」。発展党議員で、自身も退役軍人のティンマオ議員(51)は胸を張った。
これらは、外国人記者たちを前にした「演出」の可能性もあるが、野党議員の一人は「発展党の議員は、教育水準が高い。自由に発言し国政に参画できる喜びから『民主主義者』になった」と皮肉交じりに解説した。
独裁的だった軍事政権トップ、タンシュエ前国家平和発展評議会議長が民政移管後に「引退した」との観測があることも、「自由な議論」を後押ししているのかもしれない。
しかし、政府の最大のライバルだった国民民主連盟(NLD)は昨年11月の総選挙をボイコットしたことから姿はない。少数民族出身の女性議員は「自由はあるが『勝利』はない」と言った。NLDを率いるスーチーさんや野党勢力が求める政治囚2000人以上の釈放要求は、提案する自由はあっても可決されないためだ。
また、軍人議員の軍服姿の異様さについて、年配議員が「こんなことが他の民主主義国であり得るか」と記者に問いかけた。
記者席として指定された部屋を離れようとすると必ず監視役が後を追ってきた。「ホテルの部屋でも見張られていると思った方がいい」と忠告したのは地元記者だった。軍事政権は03年、今回と同じように民主化勢力に歩み寄ったが、数カ月後に対決姿勢に戻った。
改革、民主化を強調し、国際社会による経済制裁の解除などを求める政権が、軍政当時の負の遺産を解消してミャンマーを「普通の国」に導くのか。その見通しはまだ語ることが難しい。
最終更新:9月19日(月)10時40分
この記事の内容を見てると表題は判らなくもないが・・・・。
暗黒の稲妻