長渕自然塾で被災児に笑顔戻った!…鹿児島の無人島でキャンプ
スポーツ報知 8月5日(金)8時2分配信

 シンガー・ソングライターの長渕剛(54)が4日、鹿児島・霧島市の神造島(かみつくりしま)で、福島・浪江町の小学生20人とマリンスポーツや磯遊びを楽しんだ。福島第1原発事故の影響で避難生活を送る児童を励まそうと長渕が企画し、故郷に招待。今月1日から6泊7日のキャンプを行っている。ジェットスキーなどで触れ合った長渕は、無邪気に遊ぶ子供たちに「一生の宝ものにしてください」と呼び掛けた。

 無人島の透き通った海に、長渕の声が響き渡った。「お~い! 魚がいるよ、魚!」。ジェットスキーを運転し、順番に子供を乗せて海面を走り回った。バナナボートでは5人で連なり、砂浜では取れたてのウニを分け合って食べた。目を輝かせながらはしゃぐ“福島っ子”とともに、地元・鹿児島の大自然で笑顔をはじけさせた。

 復興支援を立て続けに行ってきた長渕が、また動いた。「宝ものであり、希望」という子供たちのため、被災地児童のサマーキャンプを企画。原発事故で避難生活を送る浪江町の小学4~6年生20人を霧島市に招待した。7日間の滞在中、長渕は全期間の帯同はしないが、新極真空手の体験や、04年にオールナイトコンサートを行った桜島の見学などをプロデュースした。

 浪江町は、震災翌日の3月12日に避難命令が出たため児童はバラバラに。山形、千葉、埼玉など県外で9人が生活し今回、震災後初めて顔を合わせる児童も多くいた。引率した狩野小の横山浩志教諭(46)も「みんな待ち遠しかった。いい顔をしています。復興へ今後も続けていければ」と笑みをこぼした。

 児童らは釣りにも挑戦し、地元のボランティア24人がアジやマダイを調理。長渕と30年来の交流がある霧島市の前田終止市長(64)は「子供たちが、20年後にまた来ていただければ」と1000キロ以上離れた地に生まれた絆を喜んだ。

 地元の子供も参加し、約5時間の交流。長渕は「みんな、魚になったでしょ? 一生の宝ものにして、思い出や大事なものを持って帰ってください」と願いを込めた。子供たちは真っ赤に日焼けしたが、それだけではない。「昨日(3日)までは顔が死んでいたけど(海で)目が“パチン”と変わった。一番大事なのは、見守るのではなく、大人が思いっ切り楽しむ姿を見せること」。子供たちの無垢(むく)な心はどんどん解き放たれていった。

 「震災後は価値観が変わった。“オレの人生が…”ではなく、子供の世代に向けて、どう生きていくかを考える時代に突入した。(全世代が)みんなでつながって、頑張っていきましょう」と長渕。支援に終わりはない。すべての子供たちが笑顔を取り戻す日まで。

 ◆長渕の復興支援
 ▼4月3日 「私は 自然が憎い」などとつづった散文詩「復興」を発表。
 ▼同7日 FM「長渕剛 RUN FOR TOMORROW~明日へ向かって~」が放送開始。
 ▼同16日 支援活動中の航空自衛隊松島基地(宮城・東松島市)を慰問。宮城・石巻市の避難所でも2曲を歌唱。
 ▼6月26日 石巻市の日和山(ひよりやま)公園で被災小学生100人と復興支援コーラス曲「TRY AGAIN for JAPAN」を歌う。
 ▼7月27日 「TRY AGAIN for JAPAN」とカップリング曲「お家へかえろう」の9月7日リリースを発表。収益を寄付。

 ◆神造島 鹿児島湾の霧島市沖にある3つの無人島の総称。別名は隼人三島。北側から辺田(へた)小島、弁天島、沖小島。全体の周囲は約3.5キロ。名前の由来は、神様が泥をこねて日本を創造したとき棒に付いていた泥が落ちてできたという話から。実際は桜島の噴火活動でできたという。

最終更新:8月5日(金)8時2分

この人は精力的に支援活動してるねぇ。
素晴らしい事だわ。

暗黒の稲妻