新潟・福島 避難住民不安と疲労「16年豪雨よりひどい」
産経新聞 7月31日(日)7時55分配信
拡大写真
豪雨の上がった後も水の引かない新潟県三条市南四日町では、約70人が30日も避難所で夜を明かそうとしていた=三条市南四日町の勤労青少年ホーム(写真:産経新聞)
褐色の濁流が一気に付近の集落に広がった。新潟、福島両県で30日も降り続いた記録的豪雨。新潟県では7年前の豪雨でも決壊した三条市の五十嵐川など次々と川が氾濫。住民らは立ちすくみ、避難を余儀なくされた人々は「水はやはり恐ろしい」と不安と疲労の色をにじませた。福島県只見町では孤立した地区からヘリコプターで助け出された住民が「何とか助かった」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。
三条市内の交差点や道路の一部は、ひざ下の深さまで冠水した。床下浸水した民家では、漂着した木の枝やごみを片付ける住民の姿も。消防団は堤防近くで土嚢(どのう)の積み上げを急ぎ、住民は不安そうに川の流れを見つめていた。60代の男性は「7年前もここまでひどくなかった。こんな雨は初めてだ」と話した。
避難所となった同市立第1中学校では、眠れない夜を明かした約40人が支給された毛布を敷いて座ったり横になったりし、疲れた様子を見せていた。
自宅が浸水した佐藤公男さん(59)は「7年前も経験したので早めに1階の荷物や畳を2階にあげた。バケツをひっくり返した以上の大雨で、家を出るときは腰まで水につかった。雨はやっぱり怖い」と振り返った。
同県長岡市でも避難指示を受け、避難所となった中之島文化センターに住民らが次々と避難。平成16年の豪雨で夫を亡くしたという村越たけのさん(82)は「あのときの雨は忘れられない。今度も同じ雨。怖かった」と言葉少な。
約100人が避難した新潟市南区の市立味方小学校では、主婦の小熊悦子さん(60)が「不安で眠れなかった。早く家に帰りたい」と心配そうに窓の外を眺めていた。
土砂崩れで一部が孤立状態となった只見町。JR只見線の鉄橋が落ち、激しい濁流の上で線路だけが垂れ下がった光景も見られた。孤立地区では陸上自衛隊のヘリコプターによる救助活動も進められた。
自衛隊員らの肩を借り、一人また一人と住民が避難所になった小学校の校庭にヘリコプターから降り立つ。妻と2人、29日は自宅2階で過ごしたという農業、五十嵐隆さん(74)は、飼っていた烏骨鶏(うこっけい)を助け出す際、流木で頭を打った。「怖くてほとんど寝ていないが、なんとか助かった」と安堵の表情を見せた。
出張先の東京から戻ったという同町のエンジニア、上野浩之さん(55)は校庭で、救助された妻(48)と次男(10)と再会。「よかった」と妻の肩に手をやった。29日から連絡が途絶え、家族を案じ続けていたという。
小学校の避難所では人々がタオルケットを顔にかぶり、疲れ切った様子で休んでいた。
祖母がまだ孤立地区にいるという高校3年の渡部凌輔さん(17)は「思いもよらないことで、おばあちゃんが心配です」。30日は所属する野球部の引退試合だったが、豪雨で中止になったという。
最終更新:7月31日(日)10時28分
太古より人間は自然を利用してきたがこの災害だけは太刀打ち出来ない。
それは今後も続くのだろうか。
暗黒の稲妻
産経新聞 7月31日(日)7時55分配信

拡大写真
豪雨の上がった後も水の引かない新潟県三条市南四日町では、約70人が30日も避難所で夜を明かそうとしていた=三条市南四日町の勤労青少年ホーム(写真:産経新聞)
褐色の濁流が一気に付近の集落に広がった。新潟、福島両県で30日も降り続いた記録的豪雨。新潟県では7年前の豪雨でも決壊した三条市の五十嵐川など次々と川が氾濫。住民らは立ちすくみ、避難を余儀なくされた人々は「水はやはり恐ろしい」と不安と疲労の色をにじませた。福島県只見町では孤立した地区からヘリコプターで助け出された住民が「何とか助かった」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。
三条市内の交差点や道路の一部は、ひざ下の深さまで冠水した。床下浸水した民家では、漂着した木の枝やごみを片付ける住民の姿も。消防団は堤防近くで土嚢(どのう)の積み上げを急ぎ、住民は不安そうに川の流れを見つめていた。60代の男性は「7年前もここまでひどくなかった。こんな雨は初めてだ」と話した。
避難所となった同市立第1中学校では、眠れない夜を明かした約40人が支給された毛布を敷いて座ったり横になったりし、疲れた様子を見せていた。
自宅が浸水した佐藤公男さん(59)は「7年前も経験したので早めに1階の荷物や畳を2階にあげた。バケツをひっくり返した以上の大雨で、家を出るときは腰まで水につかった。雨はやっぱり怖い」と振り返った。
同県長岡市でも避難指示を受け、避難所となった中之島文化センターに住民らが次々と避難。平成16年の豪雨で夫を亡くしたという村越たけのさん(82)は「あのときの雨は忘れられない。今度も同じ雨。怖かった」と言葉少な。
約100人が避難した新潟市南区の市立味方小学校では、主婦の小熊悦子さん(60)が「不安で眠れなかった。早く家に帰りたい」と心配そうに窓の外を眺めていた。
土砂崩れで一部が孤立状態となった只見町。JR只見線の鉄橋が落ち、激しい濁流の上で線路だけが垂れ下がった光景も見られた。孤立地区では陸上自衛隊のヘリコプターによる救助活動も進められた。
自衛隊員らの肩を借り、一人また一人と住民が避難所になった小学校の校庭にヘリコプターから降り立つ。妻と2人、29日は自宅2階で過ごしたという農業、五十嵐隆さん(74)は、飼っていた烏骨鶏(うこっけい)を助け出す際、流木で頭を打った。「怖くてほとんど寝ていないが、なんとか助かった」と安堵の表情を見せた。
出張先の東京から戻ったという同町のエンジニア、上野浩之さん(55)は校庭で、救助された妻(48)と次男(10)と再会。「よかった」と妻の肩に手をやった。29日から連絡が途絶え、家族を案じ続けていたという。
小学校の避難所では人々がタオルケットを顔にかぶり、疲れ切った様子で休んでいた。
祖母がまだ孤立地区にいるという高校3年の渡部凌輔さん(17)は「思いもよらないことで、おばあちゃんが心配です」。30日は所属する野球部の引退試合だったが、豪雨で中止になったという。
最終更新:7月31日(日)10時28分
太古より人間は自然を利用してきたがこの災害だけは太刀打ち出来ない。
それは今後も続くのだろうか。
暗黒の稲妻