欽ちゃん「長門さんは最高のアニキ」…死去から一夜悲しみの対面
スポーツ報知 5月23日(月)8時2分配信
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長門裕之さんと悲しみの対面をした萩本欽一
俳優の長門裕之(本名・加藤晃夫)さん(享年77歳)が21日に肺炎による合併症のため亡くなって一夜明けた22日、タレントの萩本欽一(70)が、都内の長門さんの自宅兼事務所を訪れ、悲しみの対面を果たした。30年来の親交があった欽ちゃんは「最高の先輩で、友達で、アニキだった」と声を詰まらせた。また、長門さんが亡くなった21日、弟で俳優の津川雅彦(71)も体調不良で都内の病院に入院していたことが分かった。
欽ちゃんが泣いていた。「こんなにつまんないコメディアンを弟のようにかわいがってくれた。ありがとう、ありがとう、ありがとう…。それだけ言いたかったの」とポツリ。午後7時40分ごろ、1人で弔問にやってきた。「(津川の妻の)朝丘雪路さんに『穏やかな顔見てやって』と言われてねぇ。今にも『おまえ、うるさいぞ』と話しかけられそうだったよ」。約20分の滞在だったが、思い出があふれ出した。
長門さんが日活の大スターだったころからの付き合いで、若いときは3日置きに遊んでいた。長門さんと南田洋子さん(享年76歳)は理想の夫婦だった。「家では『おい、洋子!』なんて偉そうにしていたのに、ボクと2人になったら洋子さんがどれだけすばらしいかを語ってくれた」。欽ちゃんの次男が生まれた際には、洋子さんが「越史」と名付けるなど、家族ぐるみで長門家と付き合ってきた。「洋子さんが亡くなったのも(09年10月)21日、長門さんが亡くなったのも21日。夫婦で旅立ちましたっていうことなんだね」。改めて、2人の絆を実感させられた。
3月には、「昭和九年会」のメンバーで、コント55号の盟友・坂上二郎さんを亡くした。「相棒がいなくなって、兄貴がいなくなって…。言葉が出ないよ」と声を絞り出した。
午後8時40分には津川が訪問。関係者によると、津川は先ごろ体調を崩し、入院していたという。21日に兄の容体急変を受け、病院に駆け付けたが最期をみとれなかった。21日夜に長門さんの自宅で報道陣に対応した後、再び病院に戻ったが、22日に退院したという。23日の通夜、24日の葬儀・告別式は喪主を務める。
この日は桂三枝(67)、富司純子(65)、笹野高史(62)らが弔問。歌手・川中美幸(55)や女優の森光子(91)、「昭和九年会」からは供花が届けられた。
◆葬儀日程
▼通夜 23日午後5時
▼葬儀・告別式 24日午前9時半。いずれも東京都港区元麻布1の6の21、善福寺麻布山会館で。葬儀委員長は角川歴彦角川グループホールディングス会長。喪主は津川雅彦。
奥山和由氏(映画プロデューサー)「出演作『ハチ公物語』で宣伝に苦労していた時『何でも協力する。ハチ公と1000回言ってみせるよ』と。犬のぬいぐるみを抱えて『笑っていいとも!』に出てもらった時はハチ公を連呼しすぎてタモリさんが怒り出すほど一生懸命にやってくれた。おかげで映画はヒット。シンプルな宣伝の大切さを教わった気持ちでした」
三田佳子「恋人役を含め、何度も共演しました。面倒見が良く、洋子さんのお元気なころは自宅にお邪魔したこともありました。常に時代の先を読み、私に“昼メロ”出演を勧めたことも。一人になられ、寂しさを感じられていたのでしょうか。残念ですが、洋子さんと再会できる旅立ちだと思うしかありません」
森昌子(NHK「どんど晴れ」などで共演)「いつもニコニコ穏やかで、とても気遣いの細やかな優しい方でした。ドラマではスタジオの隅で熱心に方言指導を受け、歌番組では丁寧に打ち合わせして下さる勤勉で真面目な姿勢が忘れられません。父のように温かく大好きだった長門さん、心よりご冥福をお祈り致します」
西田敏行「ドラマ『池中玄太80キロ』の玄太は、『楠公さん(長門さんの役名)が逝った』と叫んで、後は泣きじゃくるでしょう。役者・西田敏行は敬愛する先輩・長門裕之さんの死を現実のこととして受け止められずにいます。大きな喪失感が胸を覆いつつあります」
最終更新:5月23日(月)8時4分
大変悲しい出来事だが、南田洋子さんの後を追うように亡くなったのはある意味長門さんにとっては幸せだったのかも知れないと思う。
最近昭和のいい俳優さんの訃報が多くて残念。
欽ちゃんは健康に気を付けて長生きして欲しいと思う。
暗黒の稲妻
スポーツ報知 5月23日(月)8時2分配信

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長門裕之さんと悲しみの対面をした萩本欽一
俳優の長門裕之(本名・加藤晃夫)さん(享年77歳)が21日に肺炎による合併症のため亡くなって一夜明けた22日、タレントの萩本欽一(70)が、都内の長門さんの自宅兼事務所を訪れ、悲しみの対面を果たした。30年来の親交があった欽ちゃんは「最高の先輩で、友達で、アニキだった」と声を詰まらせた。また、長門さんが亡くなった21日、弟で俳優の津川雅彦(71)も体調不良で都内の病院に入院していたことが分かった。
欽ちゃんが泣いていた。「こんなにつまんないコメディアンを弟のようにかわいがってくれた。ありがとう、ありがとう、ありがとう…。それだけ言いたかったの」とポツリ。午後7時40分ごろ、1人で弔問にやってきた。「(津川の妻の)朝丘雪路さんに『穏やかな顔見てやって』と言われてねぇ。今にも『おまえ、うるさいぞ』と話しかけられそうだったよ」。約20分の滞在だったが、思い出があふれ出した。
長門さんが日活の大スターだったころからの付き合いで、若いときは3日置きに遊んでいた。長門さんと南田洋子さん(享年76歳)は理想の夫婦だった。「家では『おい、洋子!』なんて偉そうにしていたのに、ボクと2人になったら洋子さんがどれだけすばらしいかを語ってくれた」。欽ちゃんの次男が生まれた際には、洋子さんが「越史」と名付けるなど、家族ぐるみで長門家と付き合ってきた。「洋子さんが亡くなったのも(09年10月)21日、長門さんが亡くなったのも21日。夫婦で旅立ちましたっていうことなんだね」。改めて、2人の絆を実感させられた。
3月には、「昭和九年会」のメンバーで、コント55号の盟友・坂上二郎さんを亡くした。「相棒がいなくなって、兄貴がいなくなって…。言葉が出ないよ」と声を絞り出した。
午後8時40分には津川が訪問。関係者によると、津川は先ごろ体調を崩し、入院していたという。21日に兄の容体急変を受け、病院に駆け付けたが最期をみとれなかった。21日夜に長門さんの自宅で報道陣に対応した後、再び病院に戻ったが、22日に退院したという。23日の通夜、24日の葬儀・告別式は喪主を務める。
この日は桂三枝(67)、富司純子(65)、笹野高史(62)らが弔問。歌手・川中美幸(55)や女優の森光子(91)、「昭和九年会」からは供花が届けられた。
◆葬儀日程
▼通夜 23日午後5時
▼葬儀・告別式 24日午前9時半。いずれも東京都港区元麻布1の6の21、善福寺麻布山会館で。葬儀委員長は角川歴彦角川グループホールディングス会長。喪主は津川雅彦。
奥山和由氏(映画プロデューサー)「出演作『ハチ公物語』で宣伝に苦労していた時『何でも協力する。ハチ公と1000回言ってみせるよ』と。犬のぬいぐるみを抱えて『笑っていいとも!』に出てもらった時はハチ公を連呼しすぎてタモリさんが怒り出すほど一生懸命にやってくれた。おかげで映画はヒット。シンプルな宣伝の大切さを教わった気持ちでした」
三田佳子「恋人役を含め、何度も共演しました。面倒見が良く、洋子さんのお元気なころは自宅にお邪魔したこともありました。常に時代の先を読み、私に“昼メロ”出演を勧めたことも。一人になられ、寂しさを感じられていたのでしょうか。残念ですが、洋子さんと再会できる旅立ちだと思うしかありません」
森昌子(NHK「どんど晴れ」などで共演)「いつもニコニコ穏やかで、とても気遣いの細やかな優しい方でした。ドラマではスタジオの隅で熱心に方言指導を受け、歌番組では丁寧に打ち合わせして下さる勤勉で真面目な姿勢が忘れられません。父のように温かく大好きだった長門さん、心よりご冥福をお祈り致します」
西田敏行「ドラマ『池中玄太80キロ』の玄太は、『楠公さん(長門さんの役名)が逝った』と叫んで、後は泣きじゃくるでしょう。役者・西田敏行は敬愛する先輩・長門裕之さんの死を現実のこととして受け止められずにいます。大きな喪失感が胸を覆いつつあります」
最終更新:5月23日(月)8時4分
大変悲しい出来事だが、南田洋子さんの後を追うように亡くなったのはある意味長門さんにとっては幸せだったのかも知れないと思う。
最近昭和のいい俳優さんの訃報が多くて残念。
欽ちゃんは健康に気を付けて長生きして欲しいと思う。
暗黒の稲妻