参列者迎えた尾藤スマイル…東尾氏、涙
デイリースポーツ 3月9日(水)9時26分配信


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 祭壇に両手を合わせる東尾修氏(代表撮影)=和歌山県有田市
 ぼうこう移行上皮がんのため6日に68歳で死去した、高校野球の元箕島高監督・尾藤公氏の通夜が8日、和歌山県有田市内の斎場「フューネラル有浄会館」で行われた。1979年夏の甲子園で延長18回を戦った星稜の当時の監督、山下智茂総監督(66)、教え子の元西武監督・東尾修氏(60)ら約1800人が参列、故人をしのんだ。尾藤氏の告別式は、9日正午から同所で行われる。
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 きりりと冷えわたった夜。小さな葬儀場は、「箕島」の名を全国に知らしめた英雄の死を惜しむ人々であふれ返った。遺影の尾藤氏は、往年の“尾藤スマイル”で人々に応えていた。
 教え子の元西武監督・東尾氏は「いつかは覚悟しないといけないと思っていた」と目頭を押さえた。「今年に入ってから、病院に見舞いに行った。その時は次も(会える日が)あるかと思っていたが…」と話すと、しばらく言葉が出てこなかった。
 師と慕う野球関係者も全国から駆け付けた。物言わぬ盟友と対面した星稜高の山下総監督は、「すごくいい顔をしていた。天国でもご指導をお願いしたい」としみじみと語った。横浜高・渡辺元智監督(66)も「野球談議が好きで、お酒を飲んで語らった。いい思い出ばかり。本当にお世話になりました」と感謝した。
 日本高野連の関係者からは、尾藤氏が何より愛した甲子園の土が届けられた。棺には同高野連の旗がかけられ、エントランスには名将がまとった箕島のユニホーム。モニターでは球歴を象徴する79年夏の箕島‐星稜戦のVTRが流された。テレビの下には白と赤の花で野球のボールをかたどった生花も飾られた。
 戒名は野球一筋に生きた尾藤氏にちなみ「顕球院釋公道(けんきゅういんしゃくこうどう)」とつけられた。

最終更新:3月9日(水)11時36分

この記事の手を合わせている写真迄掲載するこの新聞ちょっと無神経過ぎやしないかな。
ご冥福をお祈りします。

BGMは省略
暗黒の稲妻