「空中茶室」の遺構発見=江戸初期建立、山腹から―石清水八幡宮境内調査・京都
時事通信 11月4日(木)17時5分配信
江戸時代初期の大名で茶人の小堀遠州(1579~1647年)が、親交のあった学僧の松花堂昭乗(1584~1639年)のために建てた茶室「閑雲軒(かんうんけん)」とみられる建物の礎石の遺構が京都府八幡市の石清水八幡宮境内で見つかり、この茶室が高さ6メートル以上の斜面からせり出す類例のないものだった可能性が高いことが4日、分かった。発掘調査している八幡市教育委員会が同日、発表した。
江戸時代中期の絵図で、がけに張り出した高床式の「懸造(かけづくり)」とされていた閑雲軒の構造が、より鮮明になったと言えそうだ。
遺構が見つかったのは、同八幡宮がある男山(標高143メートル)の東側山腹。礎石は大半が堆積(たいせき)岩でできており、直径は40~50センチ。隣接する宿坊「瀧本坊(たきのもとぼう)」分も含め52基を確認した。うち、がけ下から発見された3基は閑雲軒の東側の柱を支えていたとみられ、市教委は、茶室床面とこれらの礎石との高低差は約6.5メートルで、東西約5.5メートル、南北約5メートルにわたる茶室ががけからせり出す構造だったとみている。
江戸前期~幕末の文献に、昭乗が1627年に瀧本坊住職となり、遠州が閑雲軒を建立したとの記述がある。
遠州は遠江(現静岡県西部)などを治めた大名で、江戸初期の三大茶人の一人。遠州に茶を学んだ昭乗は、書家としても知られた。
中村昌生・京都工芸繊維大名誉教授(建築史)の話 閑雲軒は空中に浮かぶような雰囲気の茶室だったのだろう。遠州が昭乗のために、地形に合わせて造った会心の茶室だったのではないか。独創性と柔軟な発想がうかがえる。
最終更新:11月4日(木)21時1分
遙か昔の江戸時代にこんな奇抜なアイディアとそれを実現出来るってのは凄いな。
今でこそ茶室はおごそかなイメージがあるけど、昔はド派手な茶室もあったのか。
この記事どうせなら図解とか付けてくれると嬉しかったんだが・・・。
暗黒の稲妻
BGM:ブルーデイズ(By絢香)
時事通信 11月4日(木)17時5分配信
江戸時代初期の大名で茶人の小堀遠州(1579~1647年)が、親交のあった学僧の松花堂昭乗(1584~1639年)のために建てた茶室「閑雲軒(かんうんけん)」とみられる建物の礎石の遺構が京都府八幡市の石清水八幡宮境内で見つかり、この茶室が高さ6メートル以上の斜面からせり出す類例のないものだった可能性が高いことが4日、分かった。発掘調査している八幡市教育委員会が同日、発表した。
江戸時代中期の絵図で、がけに張り出した高床式の「懸造(かけづくり)」とされていた閑雲軒の構造が、より鮮明になったと言えそうだ。
遺構が見つかったのは、同八幡宮がある男山(標高143メートル)の東側山腹。礎石は大半が堆積(たいせき)岩でできており、直径は40~50センチ。隣接する宿坊「瀧本坊(たきのもとぼう)」分も含め52基を確認した。うち、がけ下から発見された3基は閑雲軒の東側の柱を支えていたとみられ、市教委は、茶室床面とこれらの礎石との高低差は約6.5メートルで、東西約5.5メートル、南北約5メートルにわたる茶室ががけからせり出す構造だったとみている。
江戸前期~幕末の文献に、昭乗が1627年に瀧本坊住職となり、遠州が閑雲軒を建立したとの記述がある。
遠州は遠江(現静岡県西部)などを治めた大名で、江戸初期の三大茶人の一人。遠州に茶を学んだ昭乗は、書家としても知られた。
中村昌生・京都工芸繊維大名誉教授(建築史)の話 閑雲軒は空中に浮かぶような雰囲気の茶室だったのだろう。遠州が昭乗のために、地形に合わせて造った会心の茶室だったのではないか。独創性と柔軟な発想がうかがえる。
最終更新:11月4日(木)21時1分
遙か昔の江戸時代にこんな奇抜なアイディアとそれを実現出来るってのは凄いな。
今でこそ茶室はおごそかなイメージがあるけど、昔はド派手な茶室もあったのか。
この記事どうせなら図解とか付けてくれると嬉しかったんだが・・・。
暗黒の稲妻
BGM:ブルーデイズ(By絢香)