<女子走り幅跳び>花岡、涙の引退 前日本記録保持者
毎日新聞 10月14日(木)12時20分配信

国体の表彰式後、花束を手に涙を浮かべる花岡=千葉市内で2010年10月3日、井沢真撮影
女子陸上界で一時代を築いたジャンパーが、千葉国体を最後に第一線から退いた。女子走り幅跳びの前日本記録保持者、花岡麻帆(34)=千葉・成田国際高教員。競技人生の集大成となった今月3日の国体成年女子走り幅跳びでは、惜しくも3年連続の2位に終わったが、表彰式では恩師、教え子らの声援に包まれた。「国体は今年で20回目。国体に育てられ、いろんな人に支えられ、ここまでこられた」。強気で知られる花岡の目も、涙でぬれた。【井沢真】
01年に女子走り幅跳びで従来の日本記録を21センチも更新する6メートル82をマーク。日本の競技レベルを一気に引き上げた。三段跳びでも実績を残し、99年に出した日本女子初の14メートル台となる14メートル04の日本記録は今も破られていない。
地元での開催となった千葉国体では、大きな応援を背に、鬼気迫る跳躍を連発した。2年前に教員になって以降、生徒の指導を優先し、自身の成績は今一つ。国体前の1カ月余りは練習に打ち込んだが最高でも5メートル85。それが、この日は2回目に6メートル23でトップに立ち、脚がけいれん気味の3回目に6メートル25まで伸ばした。土壇場の6回目に6メートル27をマークした09年東アジア大会銀メダルの岡山沙英子(山口・下関市陸協)に逆転優勝を許したが、持てる力は十二分に発揮した。「私はやっぱり2位が似合うのかな」と自嘲(じちょう)気味に話した言葉が、過去の激戦の記憶と重なった。
05年の日本選手権で、後に日本記録保持者となる井村(当時は池田)久美子(アイディアメンタルTC)と、1回ごとにリードを奪い合う名勝負を展開した。2人の記録は6メートル69で並び、2番目に良い記録も同じ6メートル61。3番目の記録で井村が3センチ上回り、花岡は敗れた。
近年は国際舞台から遠のいていた。成田高監督時代から指導する越川一紀・順大陸上部監督は「気持ちの強い選手。まだやれるし、引退はさせたくないね」と話す。今後は高校陸上部で後進の指導に専念するが、花岡は「2位で終わったらスッキリしない。またどこかでフラッと跳ぼうかな」。生来の負けん気の強さは健在だった。
◇花岡麻帆(はなおか・まほ)
千葉・成田高3年時に女子走り幅跳びで日本選手権を初制覇。順大を経て99年に女子三段跳びで日本初の14メートル台となる14メートル04の日本新記録を樹立した。走り幅跳びでは、00年に日本タイの6メートル61、01年に6メートル82の日本記録(当時)を作った。00~02年の日本選手権は走り幅跳び、三段跳びで3年連続2冠。近年は脚の故障などで走り幅跳びに専念。01年世界選手権、04年アテネ五輪に出場。02年アジア大会は銀メダル。08年から成田国際高教員。
最終更新:10月14日(木)13時59分
女子陸上界で一時代を築いたジャンパーが、千葉国体を最後に第一線から退いたのか。
花岡選手お疲れ様でした。
暗黒の稲妻
BGM:EYE CATCH:横浜名物→RISE & SHINE(Byクレージーケンバンド)
毎日新聞 10月14日(木)12時20分配信

国体の表彰式後、花束を手に涙を浮かべる花岡=千葉市内で2010年10月3日、井沢真撮影
女子陸上界で一時代を築いたジャンパーが、千葉国体を最後に第一線から退いた。女子走り幅跳びの前日本記録保持者、花岡麻帆(34)=千葉・成田国際高教員。競技人生の集大成となった今月3日の国体成年女子走り幅跳びでは、惜しくも3年連続の2位に終わったが、表彰式では恩師、教え子らの声援に包まれた。「国体は今年で20回目。国体に育てられ、いろんな人に支えられ、ここまでこられた」。強気で知られる花岡の目も、涙でぬれた。【井沢真】
01年に女子走り幅跳びで従来の日本記録を21センチも更新する6メートル82をマーク。日本の競技レベルを一気に引き上げた。三段跳びでも実績を残し、99年に出した日本女子初の14メートル台となる14メートル04の日本記録は今も破られていない。
地元での開催となった千葉国体では、大きな応援を背に、鬼気迫る跳躍を連発した。2年前に教員になって以降、生徒の指導を優先し、自身の成績は今一つ。国体前の1カ月余りは練習に打ち込んだが最高でも5メートル85。それが、この日は2回目に6メートル23でトップに立ち、脚がけいれん気味の3回目に6メートル25まで伸ばした。土壇場の6回目に6メートル27をマークした09年東アジア大会銀メダルの岡山沙英子(山口・下関市陸協)に逆転優勝を許したが、持てる力は十二分に発揮した。「私はやっぱり2位が似合うのかな」と自嘲(じちょう)気味に話した言葉が、過去の激戦の記憶と重なった。
05年の日本選手権で、後に日本記録保持者となる井村(当時は池田)久美子(アイディアメンタルTC)と、1回ごとにリードを奪い合う名勝負を展開した。2人の記録は6メートル69で並び、2番目に良い記録も同じ6メートル61。3番目の記録で井村が3センチ上回り、花岡は敗れた。
近年は国際舞台から遠のいていた。成田高監督時代から指導する越川一紀・順大陸上部監督は「気持ちの強い選手。まだやれるし、引退はさせたくないね」と話す。今後は高校陸上部で後進の指導に専念するが、花岡は「2位で終わったらスッキリしない。またどこかでフラッと跳ぼうかな」。生来の負けん気の強さは健在だった。
◇花岡麻帆(はなおか・まほ)
千葉・成田高3年時に女子走り幅跳びで日本選手権を初制覇。順大を経て99年に女子三段跳びで日本初の14メートル台となる14メートル04の日本新記録を樹立した。走り幅跳びでは、00年に日本タイの6メートル61、01年に6メートル82の日本記録(当時)を作った。00~02年の日本選手権は走り幅跳び、三段跳びで3年連続2冠。近年は脚の故障などで走り幅跳びに専念。01年世界選手権、04年アテネ五輪に出場。02年アジア大会は銀メダル。08年から成田国際高教員。
最終更新:10月14日(木)13時59分
女子陸上界で一時代を築いたジャンパーが、千葉国体を最後に第一線から退いたのか。
花岡選手お疲れ様でした。
暗黒の稲妻
BGM:EYE CATCH:横浜名物→RISE & SHINE(Byクレージーケンバンド)