コブクロ、絢香ら育てたワーナー社長が自殺
スポニチアネックス 10月9日(土)7時2分配信


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2006年12月、一緒に写真に納まる左から黒田俊介、小渕健太郎(以上コブクロ)、絢香、吉田敬社長
 大手レコード会社「ワーナーミュージック・ジャパン」代表取締役社長兼CEO(最高経営責任者)の吉田敬(よしだ・たかし)氏が7日、都内の自宅で首をつっているのを家族が発見した。病院に搬送されたが間もなく死亡が確認された。48歳だった。葬儀は近親者のみで執り行う。03年に41歳の若さで社長に就任し、コブクロ、絢香(22)、Superflyらを育てた。突然の悲報に、音楽業界に衝撃が走った。

 警視庁によると、7日午後2時40分ごろ、自宅トイレで首をつった吉田社長を夫人が見つけ、119番通報した。救急隊が駆け付けた時は心肺停止状態。搬送先の病院で同3時45分ごろに死亡が確認された。遺書などは見つかっていない。

 ワーナー広報室の担当者は「家族によりますと、最近はうつ病で通院をされていたとのことです」と明らかにした上で、「悩んでいる様子を社員に見せることはなく、元気がないということもなかった」と振り返った。後日「お別れの会」を開くとしている。

 最後に出勤したのは今月5日。6日には欠勤連絡があった。最近は欠勤することが時折あったが、問題なく業務をこなしていたという。

 悲報は8日午後1時ごろ、緊急集会で社員に伝えられた。ショックのあまり泣きだす人もいた。所属アーティストには今後個別に報告する。

 吉田社長は慶大卒業後、CBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)に入社。97年に立ち上げた「Tプロジェクト」で、平井堅(38)、CHEMISTRY、ザ・ブリリアントグリーンらを手掛け、次々とヒットさせた。このプロジェクトを母体に01年、ソニーグループ内にデフスターレコーズが設立され、レーベルの初代社長に就任した。

 その手腕は海外でも評価され、外資系のワーナーから日本法人の社長として迎えられた。当時、ヒット作に恵まれなかったワーナー邦楽部門を立て直し、ヒットを連発。絢香は06年に日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。翌07年にはコブクロが「蕾」で日本レコード大賞を受けた。同社に大賞をもたらしたのは85、86年の中森明菜(45)以来で、授賞式には吉田社長も出席した。

最終更新:10月9日(土)14時25分

今のご時世どの世界も楽な仕事は無いというがワーナーの社長も人には言えない苦しい悩みがあったのだろう。
特に音楽業界は苦しい戦国時代なのかもしれない。
多様化した聴き方や購入方法で買う方にとっては身近になってきているが、別の見方をすれば安い存在になりつつあるのかもしれない。
循環が余りにも早過ぎる。
どんなにいい音楽でも何れは忘れ去れてしまう。
今考えて見るとどうしてこんなに回転が速くなっていったのだろう。
時代の波に乗れという言葉があるが、波に乗ったのはいいが途中で転覆してしまったそんな気がしてならない。
亡くなられた吉田社長とは面識など一切無いが心よりご冥福をお祈りいたします。

BGMは省略。
暗黒の稲妻