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恒例のブログネタです。
今日のお題は「好きな昔話は?」です。
昔話というと色々ありますねぇ。思いつく主な物で、
* こぶとりじいさん
* ももたろう
* 金太郎
* 浦島太郎
* 花さかじいさん
* さるかに合戦
* 一寸法師
* 舌切り雀
* 笠地蔵
* おむすびころりん
* うりこひめとあまのじゃく
* かちかち山
* 鶴の恩返し
* うばすてやま
どれも一度は聴いた話ですねぇ。これって今考えると子供に教訓を教える為の話だったりするんですよねぇ。例えば「さるかに合戦」は因果応報だったりとか。中でも一番記憶に残っているのは「笠地蔵」ですねぇ。
笠地蔵(かさじぞう)は、日本の伽話の一つ。心の清い老夫婦が、道端の地蔵尊に笠を被せてやり、その恩返しを受けるというもので、特に知られる昔話の一つである。また、この作品では花咲か爺、舌切り雀などのように、善悪という対比的な図式を用いていない。この、純粋に正しい行いをする者は救われるという展開は、ある種の仏教思想の観念に基づくものであり、親が子に語り継いでいくことで、子供に対し道徳を教え諭すという寓話のような要素を持っている。
かさこ地蔵などとも呼ばれ、岩手県、福島県などに伝承がある。
あらすじ
ある雪深い地方に貧しい老夫婦が住んでいた。年の瀬もせまり、新年を迎えるにあたってのモチ代すら事欠く状況だった。そこでおじいさんは、自家製の笠を売りに町へ出かけるが、笠はひとつも売れなかった。吹雪いてくる気配がしてきたため、おじいさんは笠を売ることを諦め帰路につく。吹雪の中、おじいさんは7体の地蔵を見かけると、売れ残りの笠を地蔵に差し上げることにした。しかし、手持ちの笠は自らが使用しているものを含めても1つ足りない。そこでおじいさんは、最後の地蔵には手持ちの手ぬぐいを被せ、帰宅した。
その夜、家の外でなにかが落ちた様な音がする、そこで外の様子を伺うと、モチをはじめとした様々な食料、財宝がつまれていた。老夫婦は手ぬぐいをかぶった地蔵を先頭に7体の地蔵が去っていく様を目撃する。この贈り物のおかげで、老夫婦は無事に年を越したという。
地蔵の数
いくつかの種類があるが、売れ残りの笠の数とおじいさんの装備とともに変化している。 変化する要素は以下のような形で分類できる。
* 売れ残りの笠の数は一山(5つ)が主流である。(最低5体)
* おじいさんが自分の笠も与える(+1体)
* おじいさんが手ぬぐいなどの手持ちの品を与える(+1体)
概ね5体から7体が主流のようである。
この地蔵の登場数が物語り終盤の展開に深く関わっている。
代用品について
手ぬぐいではなく、褌を被せた異説がある。
* また当初、おじいさんが行商に持っていた物は菅笠ではなくおばあさんが内職で作った綛玉であり、それを帰宅途中で菅笠を持った行商人と交換したというバージョンもある。
代用品について
手ぬぐいではなく、褌を被せた異説がある。
* また当初、おじいさんが行商に持っていた物は菅笠ではなくおばあさんが内職で作った綛玉であり、それを帰宅途中で菅笠を持った行商人と交換したというバージョンもある。
解説・分析
地蔵のおかげで爺婆はよい新年を迎えられたという話。
地蔵に出会ったのは村と町の間、つまり境でありこの境の神としての性質を持つ傘地蔵の六地蔵は仏教の地蔵信仰ではなく、年取りの日の出来事から見るに正月神(歳徳神)の要素を持っており秋田県のなまはげ、鹿児島県のトシドンのごとく家々を訪れて幸をもたらすマレビトと根底は同じであろう。蓑傘をつけると異なった存在になるのは人間だけではなかったのである。地蔵の数も1、3、6、7、12と土地によって数に違いはあれども六体が一番多い。
西日本では別伝として爺が雪を積もらせた地蔵をかわいそうに思い背負い帰る。婆は怒り地蔵の体から米が出る。婆は欲を出してもっと米を出そうとして腹を搗くと米が出なくなったという話も伝えられている。
傘地蔵の爺に対して語り手たちは、その善良さに対し人間としての理想像を見出していたのではないか。それが全国のどこの土地でも分布している理由ではないだろうか。
(Wikipedia 笠地蔵より転載)
という訳で「笠地蔵」で。
暗黒の稲妻
BGM:じれったい愛(By T-BOLAN)