ブログネタ:オリンピック、思い出のシーンは? 参加中本文はここから
恒例のブログネタです。稲妻が覚えてるのは「前畑頑張れ!!前畑頑張れ!!」じゃなくて・・笑・・やはり1984年のロサンジェルスオリンピックの柔道ですねぇ。丁度Wikipediaにその記述があったので抜粋します。
ロサンゼルス五輪で金メダル
山下が唯一出場した、1984年のロサンゼルスオリンピックでは、2回戦・西ドイツのシュナーベル戦で軸足右ふくらはぎに肉離れを起こしてしまった。山下は左に組むため、右足・軸足の肉離れで大変に不利な状況に立たされた。2回戦は送り襟絞めで勝利を収め、試合後控え室に引き返すまでの間、山下は肉離れを決して悟られまいと平然に振舞って普通に歩いたつもりが、誰にもわかってしまうほど明らかに足を引きずってしまっていた。その映像もはっきりと流れた。山下が控え室に戻るなり、コーチ陣に慌てた表情で問い正された事で、自分の肉離れが全て悟られてしまった事に気がついた。
山下は一旦は落ち込むが、次の試合時刻が迫ってくる中開き直り、足を引きずってもいいから相手を見据えて胸を張っていけ、と自身に言い聞かせ準決勝に臨んだ。準決勝の相手はフランスのデル・コロンボ。過去の対戦からやりやすい相手と山下は考えていたが、軸足の肉離れのため、体がいつものように素早く反応しなかったからか、開始30秒で大外刈りを喰らい効果を取られてしまう。投げられた直後は動揺したものの、直ぐに我に返り、激しく自身を鼓舞して、守りに入ったコロンボ選手を大外刈りと横四方固めの合わせ技で逆転した。
決勝
エジプトのモハメド・ラシュワンとの決勝戦前、山下は金メダルを取り表彰台の中央で観客に満面の笑顔で応える山下と、タオルを被って号泣してうつむく山下の両方のイメージが交互に浮かんだ。師匠の佐藤先生は「投げられても一本取られなければいい、寝技に持ち込んで勝つ方法もある」と冷静にアドバイスする。一方山下も、同じ広い控え室で試合直前のラシュワンが気合を入れて調整をしている姿を見て、意図してにっこり微笑みかけた。ラシュワンは山下と目が合い笑顔で応じた。ラシュワンの笑顔で彼の緊張が解けた瞬間を見て、山下は勝機を感じていた。ラシュワンの指導者は「初めの一分間は我慢して攻めないように」とラシュワンに指示したが、ラシュワンはそのアドバイスを忘れたかのように強気で攻め始める。冷静な山下はラシュワンの攻めに無意識に反応し、ラシュワンが体勢を崩した瞬間をすかさず捉えて押さえ込みに持っていき、横四方固め、一本を伝えるブザーが鳴った瞬間、山下は畳に両手を力強く突いて立ち上がり、涙でくしゃくしゃになった表情を隠そうとせずに喜びを表現した。この表情は繰り返し放送され山下の決して平坦ではなかった道のりを示す名場面となっている。全て一本勝ちでの金メダルである。表彰台の中央に上ろうとする山下に、ラシュワンは山下の足を気遣って手を差し伸べ、友情の証として世界から評価された。またラシュワンも、山下の右足を狙わなかったと述べたことから、そのフェアプレーの精神を称えられた。
五輪以降、そして引退
その後も国内外で不敗神話は続いたが、斉藤仁との戦いでは引き分けが続いた。斎藤も左利きで、山下との試合では防御に徹し、山下も一番の得意技の大外もかからなかった。
また怪我も完治しなかったことから、不敗記録が途切れぬまま28歳という若さで1985年6月17日引退を決断した(斉藤は次のソウル五輪で重量級代表として出場、不振の男子陣で唯一金メダルを死守し、その後引退した)。1984年10月9日、山下は国民栄誉賞を授与されている。
(Wikipedia 山下泰裕より一部抜粋)
足を負傷しながらも頑張ったあのシーンは覚えて居ます。今回井上選手も北京で是非とも金を取って欲しいですねぇ。頑張れ!!日本!!
暗黒の稲妻
BGM:上を向いて歩こう(ByRCサクセション)