今日、SS(シーシェパード)の攻撃を受けていた調査捕鯨船第2昭南丸が帰港したようだ。

目標数は捕鯨できなかったようだが、船員に怪我も無かったようでなによりだ。


SSの妨害行為は日本でもかなりニュースになったので、知っている方も多いと思う。

捕鯨は残虐だと主張し、妨害を続けるのである。


鯨は彼らにとって神聖な動物である。

それは昔から彼らが大切にしてきた決まり事だ。

その考えを否定するつもりは無い。


しかし、SSのとっている行動は目に余るものがある。


ペンキや酪酸入りの瓶を投げつける。

それが海を汚そうと。


ボウガンを船体に打ち込む。

海に落ちた矢を鯨が飲み込む可能性は考え無いのか。


船が故障したら放棄する。

油は?化学物質は?そのまま垂れ流しか。


しかも、彼らが妨害しているのは調査捕鯨船だ。

一般にクジラといっても様々な種が存在する。

当然絶滅の危機に瀕している種もあるが、逆に莫大な個体数になっている種も多い。

どの種がどれだけ増えていてどの種が減っているのか、病気などに感染はしていないか。

それを調査して優先的にどの種を守るか、それを考えるための捕鯨だ。

その調査を妨害するのは、クジラを守ることと矛盾していないのか。


現在大型のクジラは減少傾向にあるが、小型のクジラは増加し続けているものが多い。

仮に、このまま小型のクジラが莫大な数になったとしよう。

そのクジラが餌にする小魚やオキアミの数は急激に減少するだろう。

そうしたとき、大量のオキアミを食料とする大型のクジラが生きているだけのオキアミは残るのか。

小型のクジラも、餌を食べ尽くしてしまったら一気に絶滅するだろう。

・・・生態系は微妙なバランスで成り立っている。

どこか一部が崩れれば、瞬く間に生態系は崩壊する。

それを防ぐための調査だというのに、なぜ妨害をするのか。


それに彼らが本部を置くアメリカは、軍事利用のためにLFASを使っているではないか。

間接的な無意味な虐殺はあまり話題にはならないのだろう。

だから、こういった妨害はパフォーマンス的な意味合いが強い。

・・・要は、義勇軍気取りの目立ちたがり屋だということだ。

歴史からみても、人はそれを繰り返してきた。

より多くの敵を淘汰した者が英雄と呼ばれ、称えられた。

しかし相手からしてみれば、ただの大量殺戮者だ。

英雄と犯罪者は紙一重なのだ。

今の世の中に英雄は必要無い。

仮に敵を多く淘汰した者がいても、私は絶対にその人を英雄とは呼ばない。

英雄と呼ぶに等しいとするなら、相手のことを考えることができる人だ。

それは難しいけれど、簡単なこと。

英雄は1人である必要も無い。


大分話が脱線してしまった。


彼らの主張の1つとして、捕鯨は残虐だという意見がある。

ならば、私達が普段から口にしている鶏や豚や牛は?

大まかに、一般的な生産方法を挙げてみよう。(それでも環境の良い所の場合)

※必要最低限で大雑把に柔らかくまとめますが、残酷な表現が不快になりそうな方は飛ばすか、以下を見るのはやめた方が良いかと思われます。


・鶏

人工的に孵化された雛達は、工業製品のように選別される。

雄鶏は肉になるため、狭い小屋の中で1ヶ月半から2ヶ月の短い余生を過ごす。

その後は機械的に吊るされ、ベルトコンベア式に首を飛ばされていく。

雌鳥は卵を産む機械であるかのように身動きできない檻に閉じ込められ、毎日ひたすら卵を産み続ける。

歩くことは出来ないので、足は日に日に痩せ細っていく。

1羽でも鳥インフルエンザが発見されたら、全ての鳥が殺処分される。


・豚

豚は生まれた瞬間から母親と隔離される。

狭い豚舎でただただ餌を与えられ、太らされていく。

丸々と太ったら、電気棒で追い立てられ・電気を流され、そして屠殺。

恐怖の軽減のための電気ショックであるというが、電気ショックでも相当の恐怖だろう。

また、より多くの子供を産むように品種改良された種もいる。


・肉牛

あなたは霜降り肉は好きですか?

私はお金も無いし、脂っこいのはあまり好きではないので食べたことは無いのですが。

サシが入った牛肉。

とろける様な食感(らしい?)なので、高級品として取り扱われることが多いのだけれど。

赤身は筋肉だ。

筋肉にまでサシが入るということは、筋肉内にまで脂肪が付いているということだ。

多くの肉牛は濃厚飼料(トウモロコシなどの栄養価の高いもの)ばかり与えられている。

それに、塩のブロックを常に舐めることが出来るようになっている。

高級品の肉牛はほとんど、運動不足・塩分過多・肥満・高脂血症・ビタミン不足という不健康な状態であるといえる。


さて、こうした場であんまり残酷な表現を書くのは好ましくないので、極力控えたのですが・・・


私達が普段食べている食品の生産は捕鯨より残酷とはいえないのですか?


・・・そう言うと、私はベジタリアンだから。という人もいる。

植物に命は無いのですか?

虫を捕る植物・他の植物に寄生して生きる植物・毒を生産する植物・・・etc

世の中には変わった植物も多く、様々な方法で環境に適応している。

にわかに信じがたいが、植物に電極をつけて話しかけたところ、電圧が変化し嘘発見器の針が大きく動いたという話も聞いたことがある

それでも、植物に意志は無いと?

野菜だって、言ってみれば原型を留めないほどぶくぶくに太るように品種改良したものと言っても相違は無いだろう。

命に優劣などつける必要は無い。


・・だからといって、別に何も食べるなと言いたい訳ではない。


何かを食べなければ生きていくことは出来ない。

ただ私達が何気なく生きていられるのは、そうした犠牲があるおかげだということを忘れないで欲しい。

だから、食べる前にはいただきますと言う。

それは昔から命を屠ることに対しての最低限の礼儀だろう。

だから、粗末に扱うことだけは無いようにしたい。


あぁ、また脱線してまった。

私はイスラム教の人々が凄いと思う。

彼らは牛を食べない。

牛は神(クリシュナだったかな?)の乗り物とされ、神聖な動物として扱われているからだ。

私達はそれを家畜として先に書いたような扱いをしているのだが、彼らは訴えを起こさない。


彼らは、他の宗教・国の人が牛を食べても構わないが、私達は食べない。と言う。


私は彼らのそうした考えが尊敬できる。

そして、それが一番大事なことだと思う。

誰が何を食べようが、それはその人達の文化であり、否定はできない。

だから、中国や台湾の人達が犬を食べようが私は構わないと思う。

私自身が食べようとは思わないが。


要は、自分の価値観の押し付けは良くないということだ。

自分の常識は他人の非常識。

たった1つその考えがあれば、人間関係で悩む可能性も減るのだろうけど・・・

まぁ、その考えも他人にとっては非常識かもしれないし、あくまで自己満足の考えだけれど。


・・・今日はこの辺にしておこう。